ブラームス:悲劇的序曲 作品81
シューマン:ヴァイオリン協奏曲 ニ短調
ブラームス:交響曲第4番 ホ短調 作品98
指揮:クリスティアン・アルミンク
ヴァイオリン:ヴィヴィアン・ハグナー
前・中プロは当初、
ツィンマーマン:1楽章の交響曲
ヒンデミット:交響曲『画家マティス』
が予定されていたが、上記に変更となった。指揮者意向による変更、とのことであったが、事情を勝手に推測すると、5月定期との絡みだろうか、と思う。
5月定期を指揮予定であった小澤征爾が病気のためキャンセルとなり、代わってアルミンクが指揮することとなった。そこでリハーサルの負担軽減を図ってプログラムを慣れた曲目にしたのでは、という気がする。
むろん、諸事情による変更は止むを得ないが、意欲的なプログラミングが最近のアルミンク&新日本フィルの魅力の一つであるし、実演で初めて聴く「画家マティス」は個人的に期待していたので残念ではあった。
この日の演奏は、熱気を感じる質の高いものであったように感じた。キャンセルや曲目変更といった一種の危機に対し、充実した内容で応えようとしているかのようにも思われた。
シューマンは、作曲者が精神を病み始めていたとも言われる最晩年の作ということもあってか、曲全体を通じるロジックに一貫性を感じにくい、やや散漫な印象の曲である。
演奏は、曲の散漫な部分を敢えて整理整頓することなく、全てのフレーズの一つ一つを丹念に表出することで、曲のエネルギーを余すことなく伝えようとしているかのようであった。独奏者の演奏もそうした方向にあるように感じられたが、時折現れる叙情的な表現の美しさが印象に残った。
ブラームスは、旋律線を強調し、内声部にはあまりウェイトをおかない響きであった。全体的にアクセントが強めにつけられていたこともあり、結果としてこの作曲家特有の重厚さ、逡巡するような楽想よりも、ヴェルディのオペラにも通じるような情熱的で推進力に富んだ演奏が聴かれた。
一心に突き進むかのような演奏にあって、第2楽章冒頭など、随所に聴かれた木管のアンサンブルはひときわ見事で耳に残った。また、ティンパニも常に変わらぬ安定感を保ちつつ、この曲の響きに不可欠な重量感、存在感を与えていた。こうした各部分での好演が、演奏が勢いに任せて雑になるのを防ぎ、格調高い表現を可能にしていたようだ。
この推進力があれば、次回定期で予定されている同じブラームスの1番に期待がもてよう。
シューマン:ヴァイオリン協奏曲 ニ短調
ブラームス:交響曲第4番 ホ短調 作品98
指揮:クリスティアン・アルミンク
ヴァイオリン:ヴィヴィアン・ハグナー
前・中プロは当初、
ツィンマーマン:1楽章の交響曲
ヒンデミット:交響曲『画家マティス』
が予定されていたが、上記に変更となった。指揮者意向による変更、とのことであったが、事情を勝手に推測すると、5月定期との絡みだろうか、と思う。
5月定期を指揮予定であった小澤征爾が病気のためキャンセルとなり、代わってアルミンクが指揮することとなった。そこでリハーサルの負担軽減を図ってプログラムを慣れた曲目にしたのでは、という気がする。
むろん、諸事情による変更は止むを得ないが、意欲的なプログラミングが最近のアルミンク&新日本フィルの魅力の一つであるし、実演で初めて聴く「画家マティス」は個人的に期待していたので残念ではあった。
この日の演奏は、熱気を感じる質の高いものであったように感じた。キャンセルや曲目変更といった一種の危機に対し、充実した内容で応えようとしているかのようにも思われた。
シューマンは、作曲者が精神を病み始めていたとも言われる最晩年の作ということもあってか、曲全体を通じるロジックに一貫性を感じにくい、やや散漫な印象の曲である。
演奏は、曲の散漫な部分を敢えて整理整頓することなく、全てのフレーズの一つ一つを丹念に表出することで、曲のエネルギーを余すことなく伝えようとしているかのようであった。独奏者の演奏もそうした方向にあるように感じられたが、時折現れる叙情的な表現の美しさが印象に残った。
ブラームスは、旋律線を強調し、内声部にはあまりウェイトをおかない響きであった。全体的にアクセントが強めにつけられていたこともあり、結果としてこの作曲家特有の重厚さ、逡巡するような楽想よりも、ヴェルディのオペラにも通じるような情熱的で推進力に富んだ演奏が聴かれた。
一心に突き進むかのような演奏にあって、第2楽章冒頭など、随所に聴かれた木管のアンサンブルはひときわ見事で耳に残った。また、ティンパニも常に変わらぬ安定感を保ちつつ、この曲の響きに不可欠な重量感、存在感を与えていた。こうした各部分での好演が、演奏が勢いに任せて雑になるのを防ぎ、格調高い表現を可能にしていたようだ。
この推進力があれば、次回定期で予定されている同じブラームスの1番に期待がもてよう。