故鈴木大拙老師の「一日一言」から
「無明に気が付く」
吾々が今日自己の周囲のあらゆる面で目撃している、
この殆ど絶望ともいうべき事態から、
如何にしたら立ち上がることが出来るか、
最も簡単な方法は、
吾々が自己の無明に気がつくと共に、
それによって業の足枷を打ち破ることである。
江ノ島サムエル・コ-キング苑のチュ-リップは満開。
椿もちらほら咲き始めました。
ありがとうございました。
故杉本秀太郎先生の花ごよみ「春」から
「片栗」
人の欲しがる花が群生している場所は、知っていてもみだりに人に教えぬがよい。
根こそぎ大量に、そういう花を掘り起こして持ち去り、
小鉢に植えて法外の値で売りひさぐ悪人がはびこっている。
京都近傍を例にとれば、船井郡胡麻の鷺草、貴船の貴船菊(秋明菊)、
大悲山の姫射干は、いずれも人の手にかかって絶滅した。
このあいだ、友人とタクシーのなかで花のことをあれこれ話題にしていると、
運転手が(個人タクシーだったが)こんなことを言った。
京都の某方面に、片栗の花が一面に咲く林があり、
毎年その花を見にゆくお方を乗せるのですが、
場所は絶対に秘密、人には申せません。
どうかその秘密は、いつまでも守ってもらいたい。
早春の花のうち、私は片栗の花が殊に好きだ。
いたいたしいほど可憐で、やさしい風情。
片栗はギフチョウの吸蜜植物なれば、
はつ春の蝶舞ひゆく森かげに咲けるかたくりの花 高橋達明