ことばと学びと学校図書館etc.をめぐる足立正治の気まぐれなブログ

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文字・活字文化振興法案

2005年06月19日 | メディア
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 超党派の国会議員286人でつくる活字文化議員連盟(代表幹事・河村建夫前文部科学相ら)は、近く、「文字・活字文化振興法案
」を国会に提出する方針だという。その論議の経過に関する報道を見ながら、考えさせられることがいくつかあった。

「言語力」
 そのひとつは、朝日新聞2005年05月10日15時39分の記事につけた下記の見出しである。

 「言語力」育成目指し法案提出へ 超党派の活字文化議連

 これは事実関係にたいする誤った認識を読者に誘導しかねない表現ではないか。法案成立の経緯を見ても、この法案の目的は「文字・活字文化振興」(もっと直接的には出版文化の振興だと推測される)であって、そのために「言語力」という概念を作り出したことは明白である。
「言語力」については、法案の基本理念に次のように記されている。

 学校教育においては、すべての国民が文字・活字文化の恵沢を享受することができるようにするため、その教育の課程の全体を通じて、読む力及び書く力並びにこれらの力を基礎とする言語に関する能力(以下「言語力」という。)の涵養(かんよう)に十分配慮されなければならない。

 上記朝日の記事によると、「(読む力・書く力を基礎とする)言語に関する能力」とは、調べる力や伝える力を含む幅広い能力のことを意味しているらしい。
 もしも言語本来のあり方から「言語力」を規定するとすれば、読み書く力の前に、まず聞き話す力に重点がおかれるはずである。家庭・地域・学校における豊かな人間関係のなかで育まれる豊かな話し言葉の力を基盤にして読み書く力を涵養し、それをもとにして、調べる力や、調べたことを多様な表現手段によって伝える力を養うというのが、まっとうな考え方のはずである。その根本のところに目を向けないで、いきなり、ただ本を読めばいい、文章が書ければいいということであれば、本や新聞は売れても、民主主義の基盤としての活字文化や出版文化は栄えないだろう。
また、このように、ことばや活字を鵜呑みにしないで、事実と照合しながら、さまざまな視点から考えてみることも言語力の重要な一部であろう。

「国語」と「日本語」
 もうひとつ考えさせられたことは、同じく法案の基本理念で用いられている「国語」という表現についてである。

 文字・活字文化の振興に当たっては、国語が日本文化の基盤であることに十分配慮されなければならない。

 当初、自民党が「日本語」としていたのを、公明党がナショナリズムの色彩が強いと反対したそうである。ナショナリズムということでいうと、私などは、むしろ「国語」のほうに感じてしまう。 「国語」を日本で使用する共通語と考えれば全く問題はないが、自分の国で使っている言語を「国語」と呼んでいる国は日本以外に、どれくらいあるだろうか? 英語で公用語はofficial languageだし、national languageといえば、国語というより民族の言語といった意味合いが強いようである。「日本語」とすれば、世界の数千に及ぶといわれている言語のなかの1つとして相対的に捉えることができるし、学校で学ぶ教科としても、子どもたちは日本語文化を相対的に学ぶことができていいと思うのだが、そのあたりのことは、きっと人によって感じ方はさまざまだろう。

 それにしても、つい数年前に4月23日の「子ども読書の日」が出来たと思ったら、今度は10月27日が「文字・活字文化の日」になるらしい。次々に法律を作って、いろんな記念日が出来ることは、はたして喜ばしいことだろうか? まじめに取り組んでおられる方には申し訳ないと思いつつも、正直なところ、うんざりしてしまう。そういえば、全国SLAでは、6月11日を「学校図書館の日」に定めている。今度はいっそのこと、肥田美代子議員に陳情して、学校図書館振興法案でも作って学校図書館の日を法制化してもらってはどうだろう?(もちろん、冗談だが)

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