新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

1月24日は多忙だった

2017-01-25 05:31:11 | コラム
病院週間に考えたこと:

24日は朝9時前に国立国際医療研究センター病院に入り、先ずは皮膚科で07年1月に手術した皮膚ガンのフォローアップ検診。肝心要の循環器科検診は予約時刻は10:30だったのに呼ばれたのは11時半過ぎ。問題なしとの診断で「やれやれ」。それから会計を済ませて我が家の近所の調剤薬局に処方箋を置いて帰宅し、一休みしてから受け取りに出向き、帰路に歯科医に寄って帰宅すれば04:00。25日は昨年末の新宿区の検査で前立腺がんのマーカーの数値が悪化し、朝10時の予約でまた国際医療研究センター病院に。27日は大久保通りのクリニックにプラセンタエキスの注射に行くので、今週は当に病院週間の如き。

24日はそういう具合で、方々で考える待ち時間が豊富にあったので愚考したが、飽くまでも想像上の話しで「もしもトヨタ他の我が国の自動車メーカーがメキシコの安価な労働力の質を著しく高め、性能が一段と優れた車を現地生産して、35%とトランプ様が言われるborder taxをものともしないような価格でアメリカに持ち込んだらどうするだろうか」と思い付いた。関税でデトロイト産よりも低価格にはならないまでも、少しくらいの値差で品質というか燃費等が優れていれば、日本ブランドに対する安心感も手伝って、そちらの方が売れることにでもなったら大統領はどうされるだろうか。考えてみただけでも楽しめたのだが。

トランプ様が言われたアメリカ車が日本国内で売れないように我が国が策略を巡らしているなどと言うのは「ものを知らないのも甚だしい」と言うことで、自動車輸送の専用船でアメリカに輸出している台数など知れたもので、現地生産させたのはアメリカ連邦政府ではなかったのか。何十年前のことだったかご存じないのか。一部のアメリカ人は困った人を大統領に選んだものだと思わずにはいられなかった。私はここまで来れば、矢張り「トランプ氏は”He is ignorant.”説」に戻りたい。“Ignorance is right.”(「無知は力なり」)では困るのは日本だけではない。選んだアメリカでも困る時が来るのではないかな。

そこのけ、そこのけ、America First様のお通りだ

2017-01-24 07:39:42 | コラム
既存の制度破壊と新規構築を恣意的に:

正直なところ、流石の私もトランプ大統領を論じるのには些か草臥れきた。言うなれば「もう好い加減にしようか」なのだ。だが、そうも言っていられない状況が続くので敢えて最新版を手短に。

疑問に感じる国際的感覚:

新大統領が国際政治や経済の過去・現在に精通しておられないだろうと推測してきたし、キャンペーン中と指先で主張されてきた事柄はどちらかと言えば古き良き「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と持ち上げられていた頃のアメリカの弱点を補うどころか、逆転せて“Make America Great Again”を目指しておられるようにしか見えないのだ。現に「日本が見たこともないような大きな船で自動車を輸出してくる」などと曰うに至っては、その現場をご覧になったのかと、側近は何をしているのかなと疑いたくなってしまう。

1972年8月にアメリカの会社に転進して以来、1994年1月末で引退するまで紙パルプ産業界の(遺憾ながら嘗てのと言わざるを得ないのだ)大手2社で対日輸出を担当することになった。そこでは我が国における貿易担当業務というか、海外の市場を相手にする場合の心がけ乃至は常識がアメリカとは非常に異なっていたのには寧ろ驚かされたのだった。

即ち、(紙パルプ産業界以外でも同様だと信じていたことで)海外と取引する場合には先ず英語がある程度以上解っていることが最低の条件であり、それを基にして「インコタームズ」(=International Rules for the Interpretation of the Trade Terms)、即ち「貿易取引条件に関する国際規則」等々の知識を学んでおかねばならず、言うなれば国内取引とは違う一種の特殊技能的な仕事の理解を求められているのだった。故に、海外部であるとか貿易部は国内営業担当とは別個の組織であるのが一般的だった。

ところがである。アメリカの会社に入ってみれば、その認識というか考え方は「営業は飽くまでも営業であって国の内外に分けての担当者がいる訳ではなく、営業担当のマネージャーはごく当たり前のように輸出入の業務を手がけているのだった。そこには確かに英語の専門語の特殊な知識など必要はなく、例えば「船荷証券」(=Bill of lading)はB/L以外の何物でもなく、そのまま解るのだから、特殊でも何でもないのだった。

その感覚で、国内での取引を推し進める感覚で、海外の市場や取引先や見込み客と接していくのだった。そこには私が後年散々悩まされた「他国との文化の違いがもたらす行き違いや、意思の疎通の難しさ」などには余り深い注意を払っていないかのようだった。勿論、営業担当のマネージャー全員がそのような感覚の持ち主だというのではなく、中には貿易慣行の違いを熟知して、海外の得意先を説得する技術を持っている場合もあった。だが、一般論では「余り気にしていない」と言って誤りではなかっただろう。

この度のトランプ大統領はNAFTAの再交渉を明言した。これはWTOの規定の存在があろうとなかろうと、メキシコとカナダとと域内の関税撤廃を買えていこうとの明確な意思表示であり、両国からの輸入品に高率の”border tax”を掛けて国内の産業を保護し、job(雇用と訳すのは不適切である)を守ろうという既存の制度の破壊に明らかに指向している。古き良き強いアメリカの世界に対する認識と、誇り高き優越感が通用した時代の頃を想起させられた。

このような政策を打ち出す背景には「貿易の実態と実務を知らずに言うのか、あるいは百も承知で大統領ともなればNAFTAだろうとWTOなどでも改編してみせる」という自負があって言われたのかは不明だしその意図は誠に壮大だが、極めて危険である気がしてならない。私はトランプ大統領はビジネスマンとしては不動産業しか営んで来た経験がいかなくて、その経験を基にして「国内も国外も同じ商売だ。力があれば押し切れる」とでもお考えなのかなと疑いたくなる。

即ち、「買ってやる方が強いのであり、売り込む方がアメリカの富を収奪するのだから、それに対する相応の罰を与えても良いのだ。それこそが“アメリカファースト”であり、国益を守っているのだ」という、かなり純真且つ素朴な営業感覚のようにも見える。私はこの主張を聞いた時に真っ先に思い浮かべた言葉があった。それは“retaliate”だった。ジーニアスには「[人・攻撃などに/・・・で報復する、復讐する」となっている。それ即ち、メキシコは黙っていないだろうし、WTOに提訴されれば当該する諸外国は看過しないだろうという危惧だった。

私には一事が万事で、トランプ大統領が貿易の実務というか細部までお解りなのか否かなどは解る訳がない。だが、その感覚を見ている限り、国の内外についての区別がないようで、「アメリカという『再び偉大になろう』とする国の力があれば押さえつけられる案件だ」とでも単純化して考えておられるのだろうとも思えるのだ。そうなってしまうか否かは現時点では全く“unpredictable”だろうと私は思う。それは、こういう先例がないので判断の基準がないのだからだ。

フジテレビがずっと使っている元はと言えばNHKの木村太郎氏は数少ない「トランプ当選説」を唱えていたコメンテーターだった。彼は「トランプ大統領は選挙キャンペーン中の旗印だった“アメリカファースト”をこれから先にあらゆる政策において実践していくだろう」と言い出している。遺憾ながら、私は至極尤もな観測であると思って聞いた。これは換言すれば「国益最優先」と言っているのと同じで「それを実現する為には余所の国のことなど構っていられるか」と声高に全世界に向けて宣言したのだ。

私が既に何度も指摘してきたことに「アメリカの製造業は自国の強力な労組の為に労務費が製品価格に転嫁不可能なほど高騰しただけではなく、国際市場での競争力が著しく低下した為に空洞化に走ったのだった」がある。オバマ大統領がその呼び戻しに失敗したことも述べた。その状況下にあって、トランプ大統領はその世界的に競走能力を失っていたアメリカの労働市場に製造業を回帰させる政策に打って出たのだ。その辺りを「ご承知でか」と私は疑問を呈した。

自動車産業だけを考えてみれば、そういう諸般の事情がデトロイトの無残な敗北をもたらしたのだった。そこに再び「アメリカファースト」の旗印の下に自動車生産を強化させて、品質は一時措くとしても、製造コストが高い車を大量に生産して、アメリカの需要者が「そうですか、アメリカファーストですか」と言って他国のブランドの車より高価になっても国産車を嬉々として買うのだろうか。いや、だから高率のborder taxで保護してやると言われているのだろうか。だが、ここにはトヨタを始めとして多くのアメリカ車以外が大量に現地生産されているとの視点が欠落しているのではないのか。

多くの産業界に国内生産の回帰させた場合には一時的で済めば良いのだが、国内の物価水準が一気に高騰する危険性がありはしないか。インフレに向かって行く危険性はないのか。その辺りは「アメリカファースト」の前にあっては大事の前の小事とご認識かと思ってしまう。何れにせよ、新大統領は未だ嘗て誰も考えもしなかったような国際慣行無視で、自国の為だけを目指した壮大な改革を開始されたと思えてならない。

それならそれで外野か外国から四の五の言うべきことではないが、トランプ大統領はこの大改革を打ち出した以上、当たって砕けろという言わば「玉砕戦法」ではなく、私が常に指摘してきた“Contingency plan”が十分に練り上げられ、準備万端抜かりなく、代替の矢は2本も3本も用意されているものと思いたいのだが、さてどうなのだろうか。メキシコとカナダが「とんでもない。自由貿易を死守する」と言った場合のalternative ideasはどうなっているのかな。

私は、兎に角トランプ新大統領が国際的な政治や経済の場での仕来りや仕組みをご存じではないと決めつけるのも危険だが、精通した上で熟慮断行されたのだったらもっと危険だと思う。参謀(何故か英語では”staff”だが)たちが然るべくブリーフィングをしてあるので、新政策が孕む危険性を先刻ご承知だと考えておく必要もあると考えている。だが、既に言ったように「無知は力なり」で押し通されてはとても怖い存在なのだ。

アメリカ人・トランプ大統領を考えると

2017-01-23 13:24:53 | コラム
疑問に感じるその国際的な感覚:

1972年8月にアメリカの会社に転進して以来、1994年1月末で引退するまで対日輸出を担当することになったのだが、そこでは我が国における貿易担当業務というか、海外の市場を相手にする場合の心がけ乃至は常識がアメリカとは非常に異なっていたのには寧ろ驚かされたのだった。

即ち、(紙パルプ産業界以外でも同様だと信じていたことで)海外と取引する場合には先ず英語がある程度以上解っていることが最低の条件であり、それを基にして「インコタームズ」(=International Rules for the Interpretation of the Trade Terms)、即ち「貿易取引条件に関する国際規則」等々の知識を学んでおかねばならず、言うなれば国内取引とは違う一種の特殊技能的な仕事の理解を求められているのだった。故に、海外部であるとか貿易部は国内営業担当とは別個の組織であるのが一般的だった。

ところがである。アメリカの会社に入ってみれば、その認識というか考え方は「営業は飽くまでも営業であって国の内外に分けての担当者がいる訳ではなく、営業担当のマネージャーはごく当たり前のように輸出入の業務を手がけているのだった。そこには確かに英語の専門語の特殊な知識など必要はなく、例えば「船荷証券」(=Bill of lading)はB/L以外の何物でもなく、そのまま解るのだから、特殊でも何でもないのだった。

その感覚で、国内での取引を推し進める感覚で、海外の市場や取引先や見込み客と接していくのだった。そこには私が後年散々悩まされた「他国との文化の違いがもたらす行き違いや、意思の疎通の難しさ」などには余り深い注意を払っていないかのようだった。勿論、営業担当のマネージャー全員がそのような感覚の持ち主だというのではなく、中には貿易慣行の違いを熟知して、海外の得意先を説得する技術を持っている場合もあった。だが、一般論では「余り気にしていない」と言って誤りではなかっただろう。

この度のトランプ大統領の選挙運動中の言いたい放題というのか暴言というのか知らないが、例えば(NAFTAやWTOの存在を知らないのか無視したのか)メキシコに自動車工場を作ってアメリカ向けに輸出するならば35だの45だのという高率の”border tax”を掛けるなどと言われるのは「貿易の実態と実務を知らずに言うのか、あるいは百も承知で大統領ともなればNAFTAなどは改編してみせる」という自負があって言われたのかが不明である。だが、私には不動産業しか営んで来た経験がなくて、その経験を基にして「国内も国外も同じ商売だ。力があれば押し切れる」とでもお考えなのかなと疑いたくなる。

即ち、「買ってやる方が強いのであり、売り込む方がアメリカの富を収奪するのだから、それに対する相応の罰を与えても良いのだ。それこそが“アメリカファースト”であり、国益を守っているのだ」というかなり純真且つ素朴な営業感覚のようにも見える。私はこの主張を聞いた時に真っ先に思い浮かべた言葉があった。それは“retaliate”だった。ジーニアスには「[人・攻撃などに/・・・で報復する、復讐する」となっている。それ即ち、メキシコは黙っていないだろうし、WTOに提訴されれば看過しないだろうという危惧だった。

私には一事が万事で、トランプ大統領が貿易の実務というか細部までお解りなのか否かなどは解る訳がない。だが、その感覚を見ている限り、国の内外についての区別がないようで、「アメリカという『再び偉大になろう』とする国の力があれば押さえつけられる案件だ」とでも単純化して考えておられるのだろうとも思えるのだ。そうなってしまうか否かは現時点では全く“unpredictable”だろうと私は思う。それは、こういう先例がないので判断の基準がないのだからだ。


1月22日 その2 ドナルド・トランプ大統領に思う

2017-01-22 16:36:55 | コラム
人材豊富なアメリカの支配階層:

私はこの度の新大統領登場で、私が長年慣れ親しんできたアメリカは何処かに消えてしまうのではないかと少々不安になってきました。お馴染みになったかも知れないW社OBのL氏も「トランプ大統領が今後アメリカをどの方向に導いていくのかはハッキリと見えてこない」と不安がっています。私はトランプ氏は未だ嘗てアメリカが目指したのではない方向にアメリカ市民の幸福と豊かさと職の安定の為に突き進んでいくという決意を表明したと思っております。

但し、その大目的の為には他国がどうなるかなどは二義的であり、兎に角「アメリカファースト」を最優先で推し進めていくのだと言っていると思うのです。1970年代にはビジネスの世界で「日本がアメリカの製品に苦情なと言うはずがないし、言える立場でもない」であるとか「我々が世界と日本を指導していると知れ」と言ったようなことを言う(威張っているのではなく)誇り高い人たちがいました。40年も前のことです。トランプ大統領の感覚はその頃のアメリカを未だに引きずっているのではないかと疑わせるものがあります。

私はアメリカの富の90%を握ると言われるアメリカを支配する人たちの層には極めて高い能力を持つ人材が豊富に揃っていると思っています。だが、その有為の人材を何時何処で、どの分野で効果的に活用するかが問題ではないのでしょうか。トランプ大統領もその中の一人でしょうが、余りにも異色で革命的ですらあるようです。それだけに、これから先に何処を目指して走っていくかはTPP離脱であるとNAFTAの見直しを言う辺りで多少見当はつきますが、何れにせよ“unpredictable”でしょう。

アメリカで難しい点は如何に能力があり、優れた学歴を有してもその人たちの出自が活動の場を左右する社会の仕組みになっている点に問題があると言えるかも知れません。と言うことは、結局はそういう一部の人たちの思想・信条・信念・哲学・理念がアメリカを支配し、世界を指導するというか世界の他国に影響を与えていくことになると思うのです。

私はトランプ大統領がその信念に従ってその豊富な人材を有効活用するのか、あるいは誰が何を言おうと自分の思うがままにアメリカを統治していった場合に、アメリカ合衆国が何処に行き着くかの想像が付かないのが一寸怖いのです。

1月21日の出来事

2017-01-22 16:15:44 | コラム
今年になって初めての遠征の結果は:

21日は漸く体調に自信を取り戻せたので、好天にも誘われて家内と片道30分は歩くだろう職安通りの「脱Koreanization」の模様を視察に出かけてみた。約1年振りくらいだったかも知れない。途中にはどうしても大久保通りと職安通りを結ぶ路地を通過するのだが、そこには相変わらず無数の韓国料理店が健在だった。だが、その中のいくつかは店名が変わっていたとはいえ、かなり繁盛している模様だった。我が国の若い女性たちにとっては、日韓関係などはさして気になる材料ではないのかと思わせられた。

職安通りは取り立てて語らねばならないほどの変化は見られなかったが、段々に明治通りに近付くと模様が変わってきて大型の観光バスが数台停まっていて多くの中国人と覚しき団体が、嘗ては韓国の物品を大量に置いて販売していた大型店の前の路上に群がっていた。この店舗は何をやっても当たらなかったので「今は何をやっているのか」と団体客に紛れて中に入って見れば、どうやらそこは免税店の如きで、中国人の団体はそこに案内されてきたらしいと察した。

これ以外の変化は日韓共催のサッカーW杯の頃に無数の韓国人が集まって「デーハンミングック」と大声で応援していた料亭「大使館」の広場が完全に消滅して、カフェに変わっていたものが未だ営業を続けていた辺りだろうか。多くの韓国料理店も往年のままに残ってはいたが、韓国語を話す者がほとんど歩いていなかったのも印象的だった。免税店から吐き出されてくる中国人たちがほとんど何も持っていない様子からすると、彼らはあの建物の3階にある食堂に案内されたのかと疑いたくなった。

我々は丁度時分時だったことでもあり、言わば区役所通りの外れにある、毎年築地で最高値でマグロを落札するので有名な「すし三昧」の支店に入ってみた。ここはなかなかの繁盛で何とか片隅のテーブル席を確保した。そこで「なるほど、時代は変わってきた」と痛感させられたことがあった。それは、明らかに中国語を話す大勢の家族が寿司をお好みでとって楽しんでいる風景だった。しかも善くぞ職安通りまで来たものだと感心させられた。これもネットの効果かと家内と感心し合った。

次に現れたのは英語ではない言葉を話す3人組の白人のグループで、着席するやメニューを一瞥して馴れた口調で注文したのだった。寿司が外国人にとって人気がある食べ物だとは散々聞かされてはいたが、彼らが「寿司屋」だから入ってきたのか「すし三昧」を選択したのかと尋ねてみたい衝動にも駆られたが、そこまですることもあるまいと回避した。このすし三昧の店が出来た頃には「こんな場所に作って当たるのか」と疑問視したが、そうではなかったようだ。

大久保通りでは先ず出会うことがない白人に職安通りまでやってきて、しかも寿司屋で見かけたとは新鮮な驚きでもあったし、この界隈の私の好みではない国際化は未だに進行中かと悟らせられた一時だった。

僅か2時間足らずの社会復帰を目指した歩行訓練だと思った外出だったのだが、情けなや戸籍上では満84歳となる22日(日)には朝から肩が凝るは軽い頭痛がするはで、湿布を貼ったり何とか懐炉をつけたりしてボンヤリと過ごしている状態。23日には重要な検査を受けに国立国際医療研究センター病院に朝から出かけねばならないのだ。もしかすると、PCなどに向かっている場合ではないのかも知れない。