新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

9月17日 その2 エリートの考察

2015-09-17 10:58:22 | コラム
旧制高校論からエリートを考える:

私は「エリート」というカタカナ語に接したのが何時頃のことかの記憶はないが、早くても昭和20年代の後半かそれ以降だという気がする。当初は「お金持ちの知識階級の人たち」辺りを言指す言葉かと思った程度で余り気にしていなかった。私が知る限りの戦前と戦後間もなくの我が国では、現在とは比較しようもない格差があり不平等な時代だったと、今になって考えている。それが普通に受け入れられる長閑な時代だったと思っている。

即ち、先日述べたように名門中等学校から一高を始めとするナンバースクールに進学し、そこから旧制七帝大に散らばっていった人たちが官庁や大手企業に採用され、学歴と年功序列で昇進して行くものだと解釈していた。政治家になる人たちもこのような層から出て行っていたし、戦前は貴族院などという組織もあったのだった。現代の若者に「貴族とは」と問い掛けても、もしかすると焼き鳥屋くらいしか思い浮かばないのではないか。

偶々昭和20年4月13日の空襲(だったと思う、というのは転地療養兼疎開で住んでいなかった)で焼かれた小石川区駕籠町の我が家の周囲には総理大臣以下の閣僚や皇太子殿下(今上天皇)の学習院初等科でのご学友に選ばれた幼稚園の同窓生、財界人等がいたりというやや変わった住宅地帯。その中でも未だに交流している友人がいるが、皆一様に誇り高く、強烈な自尊心の持ち主。我が家を除けば所謂名門の集まりといえる。

アメリカに目を転ずれば、私が経験した限りでは”elite”という言葉を聞いた記憶がない。余談だが、WASP等を云々するのは我が国の中だけではないか。私が常に論じてきた「アメリカを支配するのは上位にある精々3~5%の人たちの層」は、そもそもそれぞれの出身地の名門か裕福な良家で構成され、Ivy Leagueかそれと同等の私立大学のMBAかPh.D.であるのが一般的である。裕福でなければ進学出来ない私立大学出身者が多い。

そういう連中が企業に入れば”speed track”と言われる出世の軌道に乗って30歳台で幹部候補生の位置を確保し、嘗ては40歳台で経営幹部に入っていなければ”40 out”(四十にしてならずば去れ)等と極端なことが言われていた時期すらあった。要するに年間500万円以上(5万ドル)もする学費を6年間いとも容易く負担出来る家に産まれた者がspeed trackに乗れる「エリート」となって支配しているのがアメリカだと、私は実感してきた。

ここで、「eliteとは」を先ずOxfordで見てみよう。”a group of people in a society, etc., who are powerful and have a lot of influence, because they are rich, intelligent, etc.”とある。アメリカのWebsterには”2, a small group exercising power by virtue of real or claimed superiority or technical competence”とある。金持ちと言っていないところがUKと一寸違うようなのは興味深い。

では、広辞苑ではどうかと言えば「選り抜きの人々、優れた資質や才能を持ち、社会や組織の指導的地位にある階層・人々。選良」となっていて、一般的な我が国での認識を表している。ここにもUKと違って”rich”に触れていない。私はこの点に外国、それもWebsterにはなかったアメリカやUKとの違いを見るのだ。何れにせよ、欧米には我が国ような平等はなく格差も差別も社会通念で受け入れられていると言えると思うのだが。

漸く我が国を論じるところに来た。我が国で広辞苑に表されている「エリート」は確かに存在すると思う。だが、アメリカのようにHarvardのMBAを引っ提げて20歳台後半で入社し(途中ではない、念のため)瞬く間に管理職に上がっていく”speed track”は存在しない。だが、一定以上の地位というか偉さまでは平等に昇進していける崩れかかった年功序列制も残っている。

また見方を変えれば、マスコミが常に言ってきた中央官庁や金融機関や総合商社のエリートたちは一流の大学出身者が多いのは確かだが、必ずしもOxfordが言うような裕福であり知的水準が高い家族の出ではない場合があるではないか。いや、小学校から大学まで真面目に勉強していればアメリカのような裕福な家柄でなくても上記のような世界に入って行けて、末は社長か大臣かという仕組みになっているのではないか。

我が国はアメリカのような分け隔てがなくて、極めて平等な世界ではないのか。それは確かに親が良い学習塾の高額な授業料負担に耐えてくれないと、優れた私立の中学や高校に進めないという傾向はあるが、私は未だアメリカほどの階層による違いというか差別に近い区分けはない悪平等に近い状態が我が国の長所であり、反面では欠陥にもなりかねないと危惧するのだ。

後難を怖れずに言えば、我が国のエリートには未だアメリカのように始めから『選ばれし者』という強烈な意識を持つまでに至っていないと思わせる。アメリカ人の中にいて驚いたことは「ある日突然どこからともなく昇進してきた青年に近い本部長や副社長が、何時の間にそれほどの指導者としての見識と意欲と方針を勉強してきたのかと思わせる立派な就任演説と施政方針を述べること」だ。「これから勉強して」などと謙っていう者はいなかった。

以上を締めくくるのに「文化の違い」と言ってしまえばそれまでだが、私は率直に言って「矜恃」を持っている点ではアメリカのspeed trackに乗ったか乗ろうと努めている者たちの方があらゆる意味で上昇傾向が高いような気がしてならない。だが、アメリカでは上にけば行くほど、我が国にはないと言える「職と地位と身分の安定性が危うくなる危険性」を秘めていると言えるのだが。


国民を守る?野党の存在を考える

2015-09-17 07:13:39 | コラム
国民を戦争と徴兵制から守る野党:

我が国の一部の人たちはさぞかし幸せだろう。何しろ彼らは苔むした審議妨害戦術まで繰り出して「国民を再び戦場に送り込み、徴兵制を復活させかねない安保法制を身を挺して阻止すべく全党員を挙げて戦ってくれている」のだから。しかも各テレビ局は岡田代表が獅子吼し、北沢某だったかが「ガンバロー」と拳を突き上げて絶叫する場面まで中継して応援するのだから。

昨16日にには宮根だったかのショーに出た安藤(だったか)和津は彼に水を向けられて得々と「この法案を国民が未だ良く解っていないのに採決するとは」と陳腐な安倍内閣批判を訳知り顔で展開していた。では彼女に伺いたいが「国会で通す全法律を国民が理解せねばならないという取り決めがあったのか」と。「この法案だけは特別」と言われそうだが、消費税率の10%への引き上げ法案の際には「そう仰いましたか」と問いたい。

何れにせよ、マスコミが懸命になって国会前や横浜でのデモに参加する熱心な?国民のインタビューを流している間にも、何処かの国の主席様がほくそ笑んでいるだろうと思う時、また今日も秋雨に濡れねばならぬのかと思う以上の寒さを感じてしまう。一方では沖縄の一部の県民の委託を受けた県知事は何処かの外国にまで「県外」を訴えに出掛けるとか。知事の努力には頭が下がらない。ここにも国を売りたがる者がいるのだと思うだけ。

9月16日 その2 薬の効用を考える

2015-09-16 08:39:14 | コラム
副作用欄には下痢も載っていた:

昨15日の医長先生の定期検診で、今年2月の入院中から始まっていた何時終わるとも知れないとすら感じた下痢を起こしていたある胃腸薬が処方箋から外された。この症状は病院以外のクリニックの先生方にも診て頂き薬を出して頂いていたが、一向に止まる気配がなく、それでなくても神経が絹糸よりも細い私を苦しめていた。それが先月の内視鏡検査と大腸の組織の生検の結果で2月から処方されていた胃腸薬が原因と特定されたのだった。

私はこれまでに「薬は飲まないのに越したことはない」であるとか「副作用が無い薬はない」や「恐ろしい副作用」等々を見聞してきた。現に2006年1月の第1回目の心筋梗塞発症以来多くの薬を飲み続け、薬局が発行する説明書に副作用とされている事柄のかなりなものを大なり小なり経験してきても苦しめられるほどではなかったし、ここに言う下痢ほどの酷さは未だ嘗てなかった。

そして、多くの先生方はそれがある特定の胃腸薬の副作用とまでは診断されなかったようだった。クリニックの先生方もCTスキャン、エコー(超音波検査)、血液検査等々をして下さったが、結論が出なかった。そこで8月にS先生が敢えて国際医療研究センター病院・消化器内科に紹介状を書いて下さって胃と大腸の内視鏡検査になった次第だった。

私は複数のクリニックの先生方も気付かれなかったその薬の副作用が私に出ていたとは考えておられなかったことを、どうのこうのと論じる気はない。「恐らく極めて例外的なことだったのだろう」と考えている。しかし、クリニックの先生方は異常であると思っておられたのは間違いないと思う。私にはそもそも処方された循環器科の先生が何故ご存じではなかったのかとは考えたが、そこを責めて何になるのかとの思いもある。

しかし、苦しかった。それは私が1985年10月にシアトルで貰い事故に遭い頸椎を損傷され、結果的に数ヶ月にわたった神経性下痢を発症して塗炭の苦しみを味わっているから余計に今回の原因が特定されない下痢が続くことが恐怖だったのだ。どのような苦しさだったかを詳しく述べる気はないが、外出するのが怖くて着るものだけではなく、はくものにも非常に神経を遣ったとだけ申し上げておく。

ここからが結論だが、私はこれまでの人生で薬のお陰で救われた経験はあるので、薬の服用を否定する気はない。また先生方は治す為に処方して下さっていると信じている。だが、今回のように半年も副作用とは知らなかった下痢を経験すれば、持論である「硬貨には両面がある」はその通りのことがあると痛感せざるを得なかった。

嘗てW社の中央研究所担当の上席副社長は「人間とは面白いものだ。自動車事故に遭って車が危険だなものだと痛感しているはずなのに、またその危険な存在である救急車に躊躇わずに乗せて貰う」と言った。私もこれから先も何時どのような副作用が出てくるかも知れないあの胃腸薬以外の薬を、生き延びたい為に飲み続けるだろうと思っている。


ファッション左翼から旧制高校を論じれば

2015-09-16 07:42:31 | コラム
旧制高校を語れば:

畏メル友尾形美明氏との間でファッション左翼論から始まって旧制高校論を交わしましたので、ご紹介します。

(1)始めに当方から:
<その昔、未だ旧制高校があった頃、弊衣弊帽に高下駄の彼等は共産党に入党し、肺結核を病んで青白い顔で咳をしている連中が流行の最先端を行っていました。実は、私たちの教育制度変更で旧制高校に行き損なって年齢層には高等学校は憧れだったのです。お笑い下さい。その後にファッション左翼と言われた者たちも現れました。私は昨夜のあの国会前でのデモ帰りの連中を見てその「ファッション左翼」を思い出しましたが、同時に極めて腹立たしい思いがありました。>

(2)尾形氏より:
<戦前の旧制高校や大学は、言っちゃなんですが、戦後の“駅弁大学”とは格が違います。戦前の大卒は本当のエリートでした。大卒への進学率は数%だったのではないでしょうか。ですから、一校・東大卒ともなると、「末は博士か大臣か」などと言われたものです。

旧制中学への進学率も僅かでした。ですから、小学校の先生も中学卒が大半だったのではないでしょうか。庶民の子供は尋常高等小学校までが普通でした。それでも、結構、子供達の読み書きのレベルは高かったように思います。>

(3)当方から:
<私の個人的な感想かも知れませんが、私の6年上の従兄弟に湘南中学→水戸高校(現茨城大)→東大法学部→弁護士(故人)がいました。彼の前後の学年の交友関係で私が「高等学校の人たち」を知り得たとも言えますが、旧制高校出身者はまさしくエリートで、アメリカで言えばIvy League出身のMBAのような支配階層になっていく存在でした。

その従兄弟との関係で知る水戸高から東大出身者だけでも弁護士、王子製紙・専務2人、旧山陽国策パルプ(現日本製紙)・専務、東大教授等々で、まさしく我が国の政治・経済・法曹界の中心にいました。21世紀パラダイム研究会の前会長・上田正臣氏(旧制山形高校→東大→興銀常務)は繰り返し「旧制高校を廃止して失ったものは大きい。あの3年間の勉強と切磋琢磨で人格が築き上げられた」と述懐されました。

しかし、私には現在の猫も杓子も大学進学時代と彼ら旧制高校出身者と何処かどのように違っているかを明確に認識出来ていません。だが、ハッキリと言えることは例えば東芝の例に見るような「経営者の劣化」を招いている感はあります。一言でいえば「気骨が違います」でしょうか。「理想も低くなってしまった感」もあります。

当時は今とは比較にならない「差別社会」でしたが、皆その分を弁えていて何処かの新聞のように「格差排除」などとは言いませんでした。再び言いますが、どちらが良いのかは解りません。現代は「悪平等を謳歌する」かの感がありますが。>

(4)尾形氏より
<仰せのように難しい問題ですね。ただ言えることは、戦前の日本は世界的な視野で見れば、それが普通だったのです。いや、世界的視野で見れば、断然、先進的であったと思います。だって、江戸時代の日本が世界最高の識字率を誇ったように、その時代の基準で見るべきだと思います。

明治以降の日本は、教育の面でも決して遅れてはいませんでした。それこそ、国民国家となり、四民平等の下で教育にも尽力してきました。当時の清や李氏朝鮮など比較になりませんでした。欧米諸国と比べても、一般国民の教育は断トツだったのではないでしょうか。

戦後、奇跡的な経済成長を成し遂げると、国民の大半を占めていた農村から長男以外は都会に出て、サラリーマンになりました。そして、1990年までの高度成長時代に、日本では中産階級が大半を占めるようになり、子供たちの進学率も年ごとに高まってきたというわけです。

私は昭和二桁生まれですが、高校進学率は50%程度、大学進学率は2割程度だったでしょうか。それが現在は、高校進学率は90%超、大学進学率は50%超ということになっているようです。

世界的にはどうなっているかは分かりませんが、欧米と比べてもい方ではないでしょうか。ドイツやフランスは、意外と低いかと思います。ドイツでは小学校の高学年から進路が決まってしまうようです。フランスの事情の大いにユニークです。カルロス・ゴーン氏の自伝的な本を読むと分かりますが、フランスは超エリートが政財界を牛耳っています。

ロシアや旧東欧は酷い格差社会です。アジア・アフリカ・南米などの教育環境は相当厳しい国が大半ではないでしょうか。こうした問題を考えることは殆どありませんが、こうして改めて考えると色々ありますね。>

(5)当方よりの結び:
<私にはアメリカとの比較しか出来ませんが、我が国民の一般的な教育水準の高さと質は明らかにアメリカを凌駕しています。それが大学進学者が増えたことと言うよりも小学校教育の徹底が効果を発揮していると実感していました。算数などは九九がないアメリカの教育とは比較にもならないほど違うと思います。しかし、それを「ゆとり教育」とやらで崩しかけている感が深いのは、文科省の責任は重大でしょう。

President誌が毎号採り上げる大手企業の社長を始め役員の学歴を見ると、圧倒的に全国の有名私立校と各県の公立校の出身者ばかりです。勿論大学も旧制七帝大、一橋、四大私立(または三大)までが過半数です。ということは、私にはIvy League卒等にエリートが集中している「アメリカ化」の傾向を見る気がします。それが皆「試験で良い点を取る受検秀才」というか「答えは一つ」式試験の熟練者ばかりか?との疑問も湧きます。

私はアメリカ式の「少数の名門の家柄で有名私立校の修士以上ばかりが支配する」という世界が良いとは思えませんが、我が国ではそうはならないと見ています。アメリカは少数民族が「草鞋を作る人」の役目を担っていますが、我が国では草鞋作りを嫌う人たちが出てきた気がして不安です。皆が駕籠に乗れる訳はないので、分相応の社会で出来る限りの努力をして社会に貢献してくれないと、国が纏まらないかも知れないと懸念しています。

戦争放棄のタンクトップを着て

2015-09-15 07:27:31 | コラム
楽しげに語り合う集団に出会った:

昨14日夜は急用があって、今年になって最も遅い時刻まで外出していた。帰路は10時過ぎに丸ノ内線(メトロである、念のため)赤坂見附から新宿に向かった。車内は予想通りに混み合っていたが、有り難いことに我が後期高齢者夫婦を見た方2人に席を譲られた。我々の斜め前方に3~4人の異様な風体の若者と中年と見える男女が楽しげに「下北沢での公演では」等々を語り合っていた。

彼らの服装は一寸異様で、中心になっていた女性はタンクトップというのだだろうか黒地に白抜きで「戦争放棄」とあるものをTシャツの上に羽織っていた。他の仲間も「廃案」とアルミ箔(銀紙のこと)の切り文字を貼ったトートバッグを持っており、私の目の前に立った長身の青年はローマ字で”ABE”と記された部分が見える紙をプラスティックのホールダーに入れて掲げていた。全員の服装は言わば芸人風だった。

そこまででふと気付いたのだが「今日は確かまた国会前のデモがあった日ではなかったか」だった。「なるほど、彼らはその参加者で今は帰る途中か」と考えた。彼らの会話を聞きたくなくても聞こえて来たが、政治的なというか安保法制反対等に関するものは一切含まれておらず、激しいデモに参加してきた余韻を感じさせない、彼らが属する集団の関係のことばかりだった。

私は彼らの出で立ちを見て話題を聞き、「矢張りあのデモには、彼らのようなファッション反対派がいたのだ」と思うに至った。彼らが本当にあの法案を仔細に検討し廃案を安倍内閣に迫ろうとして止むにやまれずデモに参加したとは到底思えない雰囲気を漂わせていた。マスコミを信じない私は「恐らく彼らはそういう参加者の実態を承知していても、それを報じては”犬が人を噛んだ”的なニュースであり、価値がないとでも判断したのだろう」と考えた。

病み上がりの身にはやや不安があった夜間の外出だったが、言わば思いがけない発見というか収穫もあったので、それはそれで価値があったではないかと、一寸満足して帰宅した。