新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

カタカナ語(和製英語)の難しさ

2020-09-06 10:55:02 | コラム
本当の意味を確認しようと辞書を引かされる:

私はカタカナ語排斥論者だ。その私は後から後から出てくる新手のカタカナ語に惑わされて、その英語の単語の本来の意味は何だったかと、慌てて辞書を引くことが多い。最近の困惑は何処の会社のCMなのか全く記憶はないが「アフターフォロー」には参った。恐らく「アフターサービス」というカタカナ語の変形かと思ったが、「フォロー」(=follow)とはそもそもどういう意味だったか、またそこにはカタカナ語の「フォロー」と「アフターサービス」の意味があったかと、あらためてジーニアス英和で確認した。勿論、Oxfordも見た。

“follow”にはカタカナ語が意味しているだろう「誰々の言ったことを補足するとか、補足説明する乃至は追随する」という意味は当たり前だが発見できなかった。即ち、私は生まれて初めて“follow”という単語の意味を辞書で調べて、自分の理解で間違いなかったと確認したのだった。実は、カタカナ語に惑わされて、初めて辞書を引いた単語はこれ以外にもかなりあったのも事実だ。兎に角、カタカナ語製造業者は単語の知識が異常に豊富で、英語本来の意味を巧みに使うか、曲解して全くの新語を作り上げてしまうのだ。

この「アフターフォロー」の原形かと思わせてくれる「アフターサービス」も極めて巧妙に出来ていて、こういう英語の表現があるかと思わせるだろう。だが、こういう英語の熟語はない。私が2008年に発表した造語集では“service after sales”としたが、Weblio等では“after-sales service”か“sales”の他に“purchase”も使われていた。同様に「アフターフォロー」は何人かの権威者が“follow-through service”または“follow-up service”としておられた。だが、正直なところ、永年の英語の世界暮らしの中でも、見たことも聞いたこともない表現で「俺は浅学非才だったか」と反省。

このようにカタカナ語(造語)は敢えて言うが「人騒がせ」なのである。私は製造業者たちは我が国の学校教育の英語の問題点だと看做している「単語の知識」を十二分に学ばれた結果で、知識が豊富なのは結構だが、実用性を知らずに堅苦しい言葉や文語体であるとの認識もなく「コラボレーション」や「コラボ」などという言葉を恰も口語のようにカタカナ語化してしまったのだ。私は“collaborate”という単語があるとは承知していたが、実際に聞いたことも使った記憶もなかったので、慌てて辞書で意味を再確認したほど、日常的には使われていない言葉だった。

これなどは、そういう単語が実在しているので「語彙の広さ」というか奥行きを示すので実害はないと思う。だが、「ボリューミー」だの「スリッピー」だの「キャプテンシー」等は頂けない。これらは実在していないか、言葉の乱用か誤用だと思って辞書で確認せざるをえなかった。誰がどう使おうと構わないが、「これらを本当の英語だと思って会話などの中で使って欲しくない」のだ。「スリッピー」はOxfordにも“informal”とあるので未だ救いがあるが、「キャプテンシー」は「主将の地位」という意味であり、正しくは“captain ship”とすべきだ。

毎回同じ事を言っているが、私は遠からぬ将来「支持する」か「支える」という漢字を使った表現が消えて「サポート」が取って代わり、「チャレンジ」が「挑戦する」を辞書から消し去ってしまうかと危惧している。同様に「指導力」や「指揮」や「統率力」も「リーダーシップ」に取って代わられると恐れている。ところが、“leadership”には「指導者としての地位」という意味もあり、Oxfordではこの意味が最初に出てくる。ジーニアス英和でも同様。実は何を隠そう、私は今回初めて辞書で“leadership“の意味を調べたのだった。勉強になった。




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