新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

外したい予想

2008-03-10 19:51:15 | 200803
北京オリンピックのマラソン代表が決まった。後難を怖れて言えば、男子には関心がないし、女子の部でも良い結果は出ないと見ている。
その理由を女子の部について述べていこう。その前に私は人間の身体のバイオリズムが競技などに与える影響は大きいと思っている。そう言う根拠は、ここ10年以上も続けているウオーキングの速度の変化を挙げたい。今日こそは絶好調と思って歩き始めても、1周80mの室内トラックでの私の平均の45秒にしか過ぎないことが屡々ある。だが、何ということなしに歩いていても、軽々と43秒だという日もある。自分の感覚や、意欲だけでは記録が出てこないのである。いや、自分ではコントロールできない何かがある気がするのだ。
選手たちは1日40kmも走るような練習を重ね、試合当日を目指して身体を調整していると聞く。それでも、目指すタイムどころか、思うように走れなかったなどと終わってから振り返っていることがある。何か人知が及ばない要素が、スポーツにはあるようだ。矢張り人間は機械ではないと思わせてくれる。
そこで、このような見えざる要素を加味して私の予想を一席、選手別に。
先ず、土佐礼子。この人を世界選手権で粘って3位に入ったからと選んだのは陸連の誤り。彼女の前にすでに2人も上を行く人がいたではないか。それに「粘り」が売り物の時代は過ぎた。女子もすでにスピードを競う時代に入っている。そこに如何にも時代遅れの安手な精神主義を振り回している。それに、あの人にはもう伸びる要素が余り残っていない気がして不安だ。
次が野口みずき。この人は安定している実力者と思う。だが、高橋尚子でさえ最高潮をオリンピックに持って行けたからこそ、あの金メダル。野口が上手くオリンピックに二度もバイオリズムの最高点を合わせられるだろうか。そこに、自分の経験から言うが、彼女自身の絶好調を、目に見ない要素にピッタリと合わせられる確率は、マスコミが希望的に言うほど高くはないと懸念するのだ。
最後に中村友梨香。初マラソンに最高潮と勝負をかける度胸が絶妙にあってあの成績。そう言う幸運プラス実力を、人生にそう何回も合わせられるものではないと危惧する。高橋尚子は1回で使い果たした。有森裕子は2回もあわせたが、1位にはなれなかった。中村がそれほどの強運を2度もバックアップする実力の持ち主か否かは不明だ。それに8月に向けて、どのように調整していくかは、彼女自身と監督にとっては大きな課題ではないか。実力でツキを引っ張り込んで貰いたいのだが。
マスコミが好む惜敗を表す言葉に「実力を発揮できずに」というのがある。とんでもない誤解と誤認識である。無い実力など最初から出てくるはずがない。負けたところが実力である。敗者を慰めて何になる。
彼女たち3人に必要なことは「持っている力をどうしたら最大限出せるか」への練習であると思う。最大限の力を出して3位になったら、それがその人の実力である。実力は発揮されたのだ。褒めて上げねばならないのだ。
何れにせよ、この予想が外れて最低でも誰か一人が優勝してくれることを切に望む。


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