新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

河野太郎外相の対韓国の交渉に思う

2019-02-17 10:09:05 | コラム
適切な処理を求めた」で良いのか?:

河野太郎外相は韓国の康京和外相との会談で、徴用工裁判判の原告の弁護士が差し押さえた新日鐵住金の資産を売却する手続きに入った件に関して「適切な処理を求めた」と要求したと報じられていた。これを聞いた私は極めて遺憾に思った。即ち、これでは何も要求していないのと同じで、韓国側は「待ってました」とばかりに、彼らが信じる適切な処理である「何もしないこと」を選択するのは明らかなのである。

河野外相はこれまで見たり聞いたりしている限りでは「英語で自らが思うことといいたいことを表現する能力」は備えておられるようだ。だが、その能力と外国の代表とギリギリの(私は在職中は「命の遣り取りのような瀬戸際の交渉」と呼んでいた)「勝つか負けるか」か「こちらの主張を相手に受け入れさせるか」とは全く別な問題なのだ。私は既に何度か「アメリカのビジネスパーソンは自社の意向を相手にのませるのが使命」と言ってきたが、河野外相は康京和外相に「止めさせます」と言わせるのが使命だったはずだ。

私は河野外相の使命は「適当に処理しても良い」と解釈させてはならないのではなかったか。私は彼は未だ未だ対外国の代表との命を賭けたとでも言いたいような交渉には不慣れではないのかと危惧するに至った。かく申す私は20年以上もアメリカの会社の一員として「対日本の大手企業」との交渉の場にいた。私は日本人であるが、ここでは非常に恐ろしい場面であっても、日本人である事を離れて可能な限り厳しく且つ徹底的に論争を挑んで交渉し説得に努めたたものだった。

そのような交渉をするのは非常に辛いし、時には心苦しい場面さえあったが、そこはアメリカ式に言えば“That’s what I’m paid for.”であり、私は「その為に雇われている」のであるから、やる以外ないのである。であれば、河野外相は最低でも「何としても止めさせる方法を考えて、これ以上日本との関係を悪化させないように努めるのが貴女の役目ではないのか」と主張すべきではなかったか。私はこれだけを捉えて、敢えて「河野外相は甘い。あれでは未だ外国交渉に不慣れな日本人に過ぎない」と言っておきたい。



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