新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

2月3日 その2 責任ある地位の代償

2016-02-03 14:30:48 | コラム
曽野綾子さんの「透明な歳月の光」より:

この曾野さんが産経に毎週水曜日に連載されているコラムで、曾野さんらしい単純明快な厳しさで「責任ある地位の代償」と題して甘利問題を採り上げておられた。私が思う結論は、曾野さんが

”責任問題の追及ということは、いかにも「正義のために」必要なことのようだが、つまりは党利に利用するためで過去のことに時間を取られることは生産的でない。政治家の時間はすべて国民の税金から出ているのだから、そんな無駄なことに時間を割かないでほしいのである”

と決めつけておられる辺りにあると思う。曾野さんの指摘は尤もだと思う。だが、その前に曾野さんは「政治家がこの程度の人々だということは、大体国民にはわかっていることで、それは野党議員といえども同じだろう。真相はまだわからないけれど、地位を利用して口利きの金を取るなどということは品性に関わる卑しいことで、辞任という形で罰せられればそれでそれでいい」と言っておられる。

私には甘利氏のような立派な実績を残された政治家が、何故に「秘書が」というような形ではあっても「口利き」をさせてその代償の如くに一色某が言う現金を受け取ったのかが理解出来なかった。だが、甘利氏と雖も「人は人」でさしたる意識もなく、政治資金規正法の規定も失念して筋の悪い金を受け取ってしまったという二面性があったのではないかとすら考えたしまった。

表現は難しいのだが、政治の表面であれほどの成果を上げる力がおありでも、その性質を野党に追及される金を貰ってしまう「コインの裏側」があったのではないかなどと思っている。その辺りを曾野さんは「政治家がこの程度の人々」という厳しく直接的な表現で指摘されたのではないのか。私には果たして甘利氏が「その程度」の範疇に入るかどうかは断定出来ないが、確かにその程度の政治家はいるだろうくらいは解る。また、枝野のように勝ち誇ったかの如き口調で「追求を続ける」とほざくのも「その程度」の一人だと思うのだ。何れにせよ、野党には「その程度」の者が多すぎるのが我が国の政界の問題点ではないのか。


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