新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

我が身を守るストーイックな生活態度:

2022-01-24 08:52:50 | コラム
心筋梗塞から我が身を守るストイックな生活態度:

昨夜、カレンダーを見ていて気が付いたのだったが、去る16日(日)は何と2006年の第1回目の心筋梗塞発症の16回目の、余り記録したくもない記念日だったのだ。何の意味もないが16日の16回目であり、その16回目が同じ日曜日だったということ。陳腐な表現で申し訳ないが「短いようであり長くもある16年だったし、悠々と楽しめるかと何となく期待していた余生を変えられてしまった出来事」だった。

どのように変わったかを振り返ってみれば「2006年以降は極力夜の外出は避け、心臓に負担がかかるだろ走ることは仮令短距離でも避け、看護師さんに教えられた血管を収縮させる作用があるカフェインを摂らない(ということは好きだったコーヒーは精々1日に一杯かデイキャフェのみとする)、心臓に負担がかからないように体重が増加しない食生活を心掛ける、長時間の公共交通機関の利用はしない等々」だ。

上記以外には、2015年の2度の心不全による入院後には「減塩、減脂肪」の食生活を1年ほど続けた。因みに、3回の心筋梗塞から生き伸ばして頂いた結果で、3本の冠動脈に合計7本のステントが入っている。言うなれば、そのステンとのお陰で生きているという事になる。

とは言うものの、2011年の11月までは医師の許可を取ったり取らなかったりという具合で、海外旅行もしていた。だが、2013年の第2回目の発症後にはそれまで10年も続けてきた専門出版社から依頼されていた海外ニュースの翻訳も辞退したし、パスポートの更新も諦めることにした。だが、生き甲斐としてきたブログの毎日更新と、渡部亮次郎氏主宰の「頂門の一針」への投稿は止むを得ざる場合以外には続けてきた。

心筋梗塞の恐怖はといえば、何時如何なる体調の時に襲ってくるのかは予測不可能であるという点だ。即ち、「今日は体調が良くないな。何かが起きるのかな」などと感じているときに発症したことがなかったのだ。1回目の時は自分にも油断があったかも知れないが、2日前の金曜日には商社マンと昼食会をやっていたし、土曜日には何時通りにジムでストレッチ、軽いウエイトトレーニング、ウオーキングをこなしてから入浴して帰宅していた。

尤も、前年の12月には2,000m以上の高地であるグランドキャニオンに行っていたのだった。1回目に救急車で搬送された国立国際医療研究センターの循環器内科で処置して頂いた医長先生には「グランドキャニオンで発症していても不思議ではなかった程悪い状態だった」と指摘された。このように心筋梗塞は気をつけていても、ある日ある時に突然襲ってくるものだと経験から解っているので、偽らざる所をいえば「今でも毎日ヒヤヒヤしながら過ごしている」状態なのだ。

これまでは3回とも自分の家の中で家内が見ているまえでの発症だったのだし、意識があったので自分で救急車を手配できていた。だが、最初の入院の時には同室の患者さんが「都内で移動中に発症して公園のベンチに座って休んでいながら通行人に助けを求めても、酔っ払いと誤認されて無視されていた」と回顧された。この発作は一過性の痛みであり、それが治まった後は痛覚がなくなっているので普通に動けるし、健常者のように見える欠陥(?)があるので怖いのだ。

「喉元過ぎれば熱さを忘れる」の喩えもあるが、私は何としたことか16回目の記念日を忘れていたほど迂闊だったのは、甚だ宜しくないと昨夜から反省しきりなのだ。ストイックな生活態度を忘れてはならないのだ。


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