新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

続・続アメリカ合衆国では

2024-08-23 08:20:31 | コラム
実力の世界か:

「アメリカの会社に20年以上務めていました」と言うと「アメリカは実力が物を言う世界でしょう」であるとか「実力で生存競争をするのだから大変だったでしょう」のように言って下さる方が多い。その時は何時も「全然違いますよ」と答えて、先方様のアメリカの認識と言うか常識と違うので驚かせてしまった事が多い。実は、この答え方では「実態の説明にはなっていないかも」と反省しているのだ。

そこで、今回は「アメリカのビジネスの社会で20年以上も過ごしてきた経験から、実力の世界なのか、生存競争は熾烈なのかどうかをできる限り紹介していこう」という企画である。我が国のような機会均等の世界ではないのだ。実力さえあれば長らえられるという事でもなく、何処の世界でもある事だろうが「上司に嫌われる、疎まれては・・・」と言う世界であると言いたいので、その辺りを読み取って頂ければ幸甚である。

実力と学歴が物を言う世界:
ここで結論を出してしまえば「高い学齢に裏打ちされてこその実力と能力であるので、如何に実力か潜在能力があっても、MBA等を取得していないと容易にspeed trackと呼ばれている出世の世界には入っていけない」と言って誤りではないと思う。

私が転進した1972年頃には余り学歴というかMBAが重要視されていなかったと思う。だが、その後徐々に「経営学修士」ことMBA(=Master of Business Administration)の存在が目立つようになり、遂にはMBAの功罪までが論じられるようになって行った。要するに、大学院で修士号を取った実務経験に乏しい若手がその学識を振りかざして、いきなり管理職なり何なりの高い地位に就き、speed trackと呼ばれる出世街道まっしぐらとなって行ったからだ。

私が知る限りでは「実務の経験もない若者が机上の空論を振り回して、実力もないのに、長い間実務を担当してきた我々の上に立って会社を運営させて良いのか。不公平では」という類いの反感を買ったという事。しかし、現実には若きMBAたちが責任ある地位について段々に実務の面でも力を発揮するようになってからは、MBA無用論のような声が聞こえなくなって行った。即ち、学歴と実力が一致し始めたのだと言える。

別な見方をすれば、「大学院卒のような高学歴がないことには、speed trackに乗れる資格?が得られない」という様式が一般的になった感があるのだ。ということは「多額の学費がかかる有名な私立大学のビジネススクールでMBAを取得することが出世というか、責任がある地位に就ける資格であるかの如くになり、有名な私立大学の4年+2年間の多額の学費を負担できる富裕な家庭に生まれないことには、speed trackには乗れないということ。

実力と能力があっても高い学歴がない:
次に「アメリカでは私立大学よりも格下と看做されている州立大学出身者は、どのように学歴に裏付けられた実力の世界に対処しているのか、処遇されているのか」を考えて見よう。割り切って言えば「この人たちには企業社会で地位の垂直上昇、即ち高い地位には上がっていく機会は殆ど訪れないのだ。そこで、彼等はあらゆる分野での専門職として実力を発揮して活躍し、高学歴の管理職を支えていく格好になるのである。

専門職とは何かと言えば、私の解釈では近頃我が国でも勘違いした人たちが称え始めた「job型雇用」のことだろう。例えば、事業部内で新規の市場を開拓するのにその点に長けた者を雇用して、それだけに専念させることだ。但し、その営業職ではそれ以上の地位に上がっていくことはなく、リタイアするまで同じマネージャーなり何なりの肩書きだけなのだが、実績を挙げていく限りそれに見合うだけの年俸は与えられると行くという仕組みである。

営業職のように成績が挙がっていくのが誰にも見える場合は良いが、内勤の事務職の場合には実績か業績という点では一寸微妙な点がある。即ち、彼等も専門職としての実力があるのだが、売上高のような測る尺度がないのだ。そこで、高い年俸を求めて転進していく例が多いと聞いている。と言うよりも、誰かを支えている内勤の職は学生たちにも魅力的ではなく応募者も少ないので、会社側の悩みの種となっているそうだ。

間違っているかも知れないが、アメリカ人の中に入って経験し、且つ広く見てきたことから感じているのは「極論すれば、私立大学出身の高学歴の者たちが管理する側に立てて、州立大学出身の実務に経験豊富な実力ある者たちに支えられていると言う二極分化」という形である。私は州立大学出身ではspeed trackに乗れないと言っているのではない。

我が事業部の副社長のように州立大学からの途中入社でも、vice presidentに任じられていた例もある。彼には類い希なる頭脳と実務経験の中で鍛え上げられた実力があった。だが、彼の場合は例外的な出世であって、一般論としては力というか実力だけではない世界であり、同期入社間の出世競争などはないのだ。

結び:
私から言えることは「どうすればこの会社のこの経営環境の下で、この上司の下で生存出来るか」に必死になって務めてきた世界だったし、そうだと認識している。その場その部門で求められている実力や能力は違っていると思う。私の場合は4万5千人の従業員の中の一人としてどうやって生存するかの実力を備えていたが、身分の垂直上昇の機会には恵まれなかった。


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