新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

揚げ足取りではない

2019-10-10 07:55:19 | コラム
「コングラチュレーションと来た」と言われた:

旭化成の名誉フェローである吉野彰氏が、この度ノーベル化学賞を受賞された。誠に結構なことであると心からお祝い申し上げたい。遺憾ながら、私は余りリチュームイオン電池のお世話になっていない生活をしているので、この度の受賞でお恥ずかしながら初めてその偉業を知り得たほど時代遅れなのである。

そこで件名の何が「揚げ足取りではない」のかと言えば、吉野氏が「コングラチュレーションと来た」と言われたことを指しているのだ。この辺りが私が常に指摘してきた我が国の英語教育の至らなさの残念な表れであり、カタカナ語製造業者たちの文法無視の悪影響が見えているのが残念なのだ。この「お目出度う」を意味する“congratulation”という単語はおしまいに“s”を付けて“congratulations”のように複数形で言うのが普通なのである。ところが、乱用されているカタカナ語では「コングラチュレーション」のような単数形が普及してしまっている。誠に遺憾千万だ。

吉野彰氏は理工系で京都大学の大学院のご出身である。それだけ学問に集中されてきた方でも、このように複数形で使われるべき言葉を何の躊躇いもなく「コングラチュレーション」と言われた。私が知る限りのスエーデン人たちの英語力の水準は高く、電話で授与を通知された際に「コングラチュレーション」と言ったとはとても考えられないのだ。「吉野氏のご専門の分野のことではないのだから揚げ足を取るな」と言われそうだが、私は揚げ足を取っているつもりは毛頭なく、我が国の英語教育の至らなさとカタカナ語製造業者たちを非難したいのである。

今更、彼ら業者を批判しても詮無いことだが、彼らはこのように“s”を省いて複数と単数の概念を無視するし、過去形も現在形も忘れているし、英語の読み方を未だにローマ字式にするは辞書を見たことがないのかと言いたくなるほど出鱈目だし、勝手に奇妙な造語を産み出す等々、英語教育に負の貢献をすることに専念している。それを咎め立てもせずに乱用するマスコミも無教養の輩の集合体だと批判したいのだ。余計なことだが、もう一つ複数形であるべき例を挙げれば、「弔意」を表す“condolence”も複数扱いにするのが普通なのだ。

念の為、再度申し上げて置くが、私には吉野彰氏を批判する意図は毛頭ない。我が国の英語教育の至らなさと誤ったカタカナ語の乱用を戒めているつもりだ。



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