新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

日本の英語教育を憂える

2019-11-14 08:14:35 | コラム
宮家邦彦氏の World Watch:

宮家氏は以前から我が国の英語教育の不備というか至らなさを指摘しておられ、改革論者の私にとっては数少ない同じ意見というか考え方の持ち主である有り難い有名人だと、この点では大いなる敬意を表してきた。その宮家氏が本14日の産経のコラムで「日本の英語教育を憂える」と題して改革の必要を強調しておられた。勿論大賛成なのだが、その中から私が大いに興味を持った2点を挙げておこう。

最初は宮家氏が「世界各国で語学教育を展開する国際企業の発表によれば」として、我が国の英語力の低さを指摘しておられた点だ。この企業名は引用されていなかったが、その企業の発表では「日本人の英語力は非英語圏の100ヶ国・地域の中53位で、前年の49位から低下。我が国はアジアの中でも後れを取り、シンガポールが5位、フィリピンが20位、韓国が37位、台湾が38位、中国ですら40位という。日本はロシアやベトナム、イランと同程度だということだ」と言わば嘆いておられた。私の経験上も残念ながら「矢張りそういう評価が出るか」と思って読んだ。

次は「英語をしゃべれない英語教師に何年間英語を習っても英語がしゃべれるように決してならない。これが英語、中国語、アラビア語を学んだ筆者の外国語学習の教訓である」とした上で、「朝日が主張するように『まず話す力を含む総合力が学校で身に付く』」ためには、先ず今の英語をしゃべれない英語教師を総入れ替えすべきなのだ」とまで言われるのだ。改めて申し上げる」として「英語のしゃべれる立派な英語教師から学べば、必ず英語がしゃべれるようになる。」と主張されているのだ。

随分と思い切った主張であり改革論であると思うし、賛成できる点は多いと思う。だが、朝日の主張はそもそも見当違いで、私がこれまでに何度も引用してきた女性の英語教師が「何年やっても話せるようにならないのは、話せるようにする為に教えているのではなく、生徒たちを5段階で評価して優劣を付けるようになっているので、話せるようにならないのはおかしいという非難は当たらない」と公開の席で言い切ったのをご存じないらしい。始めから会話能力をつけるなどという目標はない教育なのだ。宮家氏もこの点をご存じだったかが疑わしい。

私は英語教師総入れ替え説は大いに興味を持ったが、その非現実性を考える時に、これまでに何度か指摘してきた「外国人離れした発音しか出来ない教師に教えられれば、native speakerたちの発音についていけないのは当然であるから、学び出す初期だけには正しい発音と知識階級にも通じるような英語を母国語とする外国人に教えさせると良いのでは」が最大限の妥協だと思う。私自身が昭和20年に中学に入って最初に教えて頂けた先生が、何とアメリカ人を親にしておられたことで、本当の発音を教えて頂けたという幸運があった。

その後でGHQの秘書の方に「英語で話すことを仕込まれたお陰で、英語で自分の思うことを表現できる能力がついた」のだった。即ち「正しい発音」と「英語とは日本語とはものの考え方が違うのだ」ということが自然に身に付いたのだった。ここには二重三重の幸運に恵まれたことは否定できない。だが、宮家氏の真っ向からの改革論と私の経験を重ね合わせてみれば、英語教育改革の道筋が見えるのではないかと思うのだ。

私は自分の独自の勉強法だった「音読・暗記・暗唱」方式を他者にも応用して、中学生や某大手商社での個人指導でも実績を残せた(と思っている)」のだ。ではあっても、英語で話せる能力を万人につけてやる必要があるのだろうか。私が13歳から教えられても間に合ったのに(アメリカ人の中で20年以上過ごして評価された)、現在のような英語教育を小学校から開始することに意味はないと思っている。しかし、考えれば考えるほど、英語教師たちの改革というかカタカナ語でいう「レベルアップ」が先決問題だと思ってしまう。しかし、その先には文科省という難物があるのだが。


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