新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

11月30日 その2 私の韓国論

2015-11-30 10:12:15 | コラム
「頂門の一針」3853号の読者の声欄に:

<阿生居士のへのへのもへじ(81)11月29 日に「ブログ「国際派日本人養成講座」を執筆・発行している伊勢雅臣さんが、 同講座で「「体面(チェミョン)」と「恨(ハン)」の精神構造~ 韓国 「反日」病を生み出したもの」をだしておられる。

http://blog.jog-net.jp/201511/article_8.html

伊勢さんは、いくつかの韓国の反日の代表例をとりあげたうえで、「反日 病は韓国の精神構造に根ざしているだけに、わが国がどうこうしようと解 決できる問題ではない。」、「韓国の 病例から「他山の石」として、わが国が学ぶべき事がある。それは自分の国への「誇り」とは何か、という点である。」としている。日韓関係に関心を持つメルマガ「頂門の一針」の読者各位に一読をお勧めする。>

と提案されていたので、確かに読んでみました。大いに勉強させて頂きましたし、ご尤もだと思うところ大でした。そこで1971年から出張も含めて5回ほど訪れた私の韓国での経験と伝聞を。

韓国人の誇り:
1971年に面倒な招聘状等を必要とする入国手続きを経て訪れたソウルで、見込み客の社長さんに市内を案内されて南山に登りました。そこから眺めたソウル市内に見えた民家が我が国のそれと良く似ていたと見えたので素直に軽率に「民家は我が国と同じ形式ですね」と言った途端に厳しく叱責されました。「何を言われるのですか。日本の文化は中国が元で、それが我が半島を経て入っていたものです。その根源は我が国にあるのです」と。穏やかな社長さんだったので、その変貌振りに驚かされました。

実は、渡航前に韓国と取引がある知人に「極力敬語を使う事」であるとか「年長者に対しては尊敬する姿勢で臨むべし」等々の韓国人とのつきあい方を教えて貰っていたのでしたが「文化比較論」までには踏み込んでいなかったので、韓国での振る舞い方の難しさを認識させられた次第でした。この社長さんには帰国の前に「言葉遣いを始めとして我々に対する謙った姿勢に感銘を受けました」と褒められてしまいましたが。

儒教の文化:
何度か採り上げた中規模財閥のオウナーのご子息(アメリカのUCLAに留学中)とは我が国オウナーと共に訪日された際に儒教の文化というか習慣を聞かされました。その中で印象深かったのが「父親の前で眼鏡をかけていてはならない。それは親から貰った“目”を誹謗する事になるから」と「『父親や年長者の前で喫煙は許されない』と言って私と二人だけの時にだけ煙草を吸っていた事」等の異文化でした。これらの意味するところは「年長者に対する礼儀が厳しい事」だと思った次第です。

反日精神:
南山の一件である程度解っていたので、極力彼らを刺激しないように振る舞ってはいましたので被害はありませんでした。だが、W社の同僚で酒好きの者は飲み屋に入ったところ居合わせた客に「日本人か」と尋ねられ「そうだ」と答えた途端に「出ていけ」と撲られたそうです。そう聞かされて思い出した事がありました。それは1971年に案内された焼き肉屋にアメリカの煙草を売り歩く浮浪児が入って来たのです。当時はそういう浮浪児がホテルの外などに屯しており、煙草売りも珍しい光景ではありませんでした。

ところが、その場に居合わせた日本人が立ち上がって子供の写真を撮ろうとしたのです。その瞬間老人が「止めろ。今は日本人が良い暮らしをしているとはいえ、戦後直ぐにはどういう状態だったのか。朝鮮動乱の際に戦ってお前たちの国を守ってやったのは我々だ。我が国に対して失礼ではないか」と怒鳴ったのです。そこまでの意識があるとは思ってなかったので、その激しい言い方には驚かされました。

これは前記のオウナーが一般人は立ち入り禁止の板門店に案内して下さった時にも「我々がこうして北の共産勢力から貴方たちを守っているのに、日本政府が共産党の存在を許しているとは何事か」と言われたのと同じ認識というか、現象かと痛感した次第でした。



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