新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

部活問題に思う

2018-01-17 08:12:43 | コラム
部活って何:

別に広辞苑に頼るほどではなかったが、私には当初「部活」という言葉の意味が良く解らなかった。漸く認識できるようになってから大分年月を経てからのことだが、何処かの高校で陸上競技のフィールド種目であるハンマー投げを練習していた際に失投でハンマーがネットを超えて、サッカー部の生徒に当たって死亡事故になったという報道があった。誠に痛ましいことだ痛感して新聞記事を読んだ。

ところが驚いたことがあって、その練習の場に運動部の顧問が立ち会っていなかった事が問題視されていたのだった。以前に何処かで読んだか聞いたことで、教師たちの大きな負担として運動部の顧問に就任すると、毎日(毎朝か?)の練習に立ち会っていなければならず、帰宅の時間が遅くなるので大変だというのがあった。

昭和20年代に新制高校とやらを卒業した私にとって、顧問の教師が練習に立ち会っているというのは理解不能だった。昭和21年の第1回の国体で優勝し、第3回では準優勝だった我が蹴球部には部長という名の先生はおられたが、顧問などという難しい先生は存在しなかった。勿論、朝練などは考えたこともなかった。大体からして部長だろうと誰だろうと、学校の先生が練習を見に来られることすらなかった。

練習は主将の指揮の下に自主的に行うか、関東大学リーグ一部の大学の正選手(レギュラーを和訳するとこうなるのだ)であるOBの何方かが指導に来ておられるか、地方に住んでおられた監督がお見えになって指揮されるのかの何れかだった。私の6年間の記憶では誰か先生が視察に来られたことなどなかったと思う。何時も決められた時刻に集合し、時にはボールが見えなくなるまで続けることはあったが、通常は日没前に終わらせていた。

それが時移り人が変わると、モンスターペアレントなるものが現れて色々と学校の行為や行事に介入されるようになると、運動部の練習で負傷等の不測の事故が発生すると重大な問題になりかねないので、顧問という称号の先生が練習に立ち会わねばならなくなったのかと想像している。ここから先については、古き悪しき時代?に育った私には想像も推理も不可能だ。

もしも言えることがあれば「その競技の経験者ではない先生が顧問になられたとして、練習を見ている(監視している?)事が何の役につのかなというくらいで、遅くまで立ち会われるとは大変な負担だと思うだけだ。しかも、現在の高校生の技術の水準は高く、大学時代に一寸かじった程度では到底指導などできるものではないと思うが。

これらの一連の問題について、もしも私に言えそうなことがあるとすれば、それは「練習中に何らかの負傷をした生徒がいたとしても、それはその子供の責任であって学校には何ら責任はないと思うが」くらいである。
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