新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

7月17日のPrime Newsより

2020-07-18 09:21:47 | コラム
私の興味と関心は登場するゲストの品定めにもある:

17日のPrime Newsは見出しの点から見れば、とても楽しめる一時だった。偶々というか何と言うが、半分裏番組である「報道1930」が事もあろうに読売の野球中継をしてくれたので、心置きなくPrime Newsに専念できた。

ゲストの中で最も私の興味を惹いたのがデイビッド・アトキンソン氏である。UKの人である彼の日本語の見事さは「俺の英語の全盛時代でも負けるかな」と思わせるほどの領域にある。つくづく我が国の英語教育の至らなさを、彼の話を聞く度に情けなく思っている。昨夜の彼の発言を思い出すままに列記してみようと思う。

先ずは「Go to キャンペーン」から東京を外したこと。彼は「0.06%にしかならない東京でも感染者の発症率の為に、1,400万人をアウトにした考え方が面白い」と極めて真面目な表情で皮肉ったのだった。私はこのアトキンソン氏の視点には虚を突かれた思いがあったと同時に、ゴールドマンサックスだたかに在籍されたエコノミストらしさを痛感させられた。彼等ならばこういう見方をするだろうと事は、永年アメリカ人の中で過ごしてきた者としては不思議ではないし、我々にはこういう分析をする思考体系と言うか傾向は余りないと思った。

そう聞かされて東京都内の危険な場所の代表格である歌舞伎町を抱えた新宿区の感染者率を17日時点で計算してみた。少し大雑把になるか1.296人に対して新宿区の6月の人口が347,014人だったのだから、その率は何と0.37%と100人に1人にも満たないのだ。だが、アトキンソン氏流に見れば、健全なはずの残る34万人が「アウト」になる危険性を秘めていることになる。我が国全体でどれほどの人数が新たな感染の危険性を残しているかは、不要不急の時間をお持ちの方は試しに算出してみて頂きたい。

アトキンソン氏は小西美術工藝社の社長を務めておられるが、その外国人独得の我が国の分析と、かなりきつい評価のほどは何回かPresident紙上で読んできたので、何を言われるかはおよそ見当がつく。だが昨夜の「0.06%」にはやや意表を突かれた。彼は我が国の中小企業の過保護が「労働生産率を世界最低の水準まで引き下げている(38位だったかで韓国よりも2位低いのだ)と批判し続けている。その持論は「極端に言えば過保護を止めて、中堅企業を増強すべきだ」と主張し続けてきておられる。

その意味では、彼は「今回発表された『骨太の方針』の中では『中堅企業の育成』が採り上げられているのは大変結構である。そういう方向に持っていかないと、日本は何時かは世界で最低の工業国に低落する」とまで言ってのけた。彼の中小企業の保護無用論を私がここに述べるまでもあるまい。関心がおありの方はPresident誌のバックナンバーからお探し願いたいと思う。なお、自民党税調会長甘利明氏はほとんど反論らしき反論することなく、寧ろアトキンソン説の解説をしながらヤンワリと批判はしておられた。

甘利明氏はTPPをあそこまで取り纏められた実力がある極めて真っ当な信頼申し上げるべき数少ない自民党の政治家であると評価している。だが、あのような意見交換と討論の場ではとてもに静かに語られるだけで、真っ向からの論戦は挑まれないので、もう一つ威力が不足するのは残念な気もする。あの奇妙な秘書の事件がなければ、使える人材不足が急速に明らかになってきた安倍政権と自民党内ではもっと日の当たる場所で使われるべき人だとは思う。だが、率直に言えば徐々に「アナログ時代の政治家」になってきた感が濃厚なことか。

残るは玉木雄一郎。党内の重要会議があったとかで遅れて参加。重要なという意味は、枝野幸男が又ぞろ持ちかけた「天上天下唯我独尊」の合併話に如何に対応するかの党内の会議だったという事。玉木という人は昨夜の論旨の展開を聞いていても「流石は元大蔵官僚」と思わせるだけに限定された範囲内の知識と経験が十分にあると解る。と言うことは「狭くて限定された範囲内では有能であるが、ある一定の人数の組織の上に立って指導していく経験も十分な能力があるのか」となれば、疑問かなと思わせられた。綺麗事過ぎるから、だから枝野如き虚け者に甘く見られるのだ。

彼に「デイジタル時代にずーっと前に入ってしまっている世界の流れを前にして我が国では、特に政界ではデイジタル化に対する認識も何も一向に広まらないのは何故か。このままで良いか」との反町の問い掛けに対して、着席依頼見続けていたタブレットを持ち上げて「これを国会内で演説等の原稿ように使って良いかと提案したら、議運に前例がないと拒否された。このように国会をアナログ世代が支配しているようでは、国内でも何処でもデイジタル化が期待通りに進む訳がない」と主張した。これはその通りだろうと思って聞いた。

甘利氏は銀行の合併の例を挙げられたと解釈したが、合併前の各行がそれぞれ独自のメーカー(例えば、日立や富士通という意味だろう)のシステムを採用していたのだから、統合後に統一で難航した例があったと言っておられた。だが、一寸本筋を外しておられたかなと感じた。でも、甘利氏はデイジタル化の後れは認めておられた。そこで思い出したのは我が社のこと。各事業部がそれぞれ独立した会社の形なので、給与計算のシステムだけで36通りもあった時期があり、CEOの厳命の下に超特急で一本化したという事があった。1980年代の話だがね。

私はこの番組の他にも仮令TBSであっても、松原の司会が気に入らなくても、「報道1930」は途中までよりも長く見ることがある。それはゲスト次第で有益な話が聞けて大いに参考になるからだ。同時にゲストたちの語り方や意見や見解を聞けば、その人物たちの評価になる点に興味があるのだ。換言すれば「この議員には多くを期待できないな」という辺りが気の毒なように見えてくるのだ。更に言えば、非常に遺憾なことに「何でこの程度の人物が当選して国会に出てくるのか」と思わせられることが多い点だ。ここにはPrime Newsの人の選び方も含めて言っている。

だからと言うべきか何と言うべきか、Prime Newsでは櫻井よしこさんが単独で出られたときが聞き物になるのだし、先頃は橋本徹氏も2時間弱を単独で持たせるだけ聞かせどころがあったのだ。議員の方々は色々と発言には限度か制約があるのだろうが、国会では原稿を棒読みし、テレビでは隔靴掻痒のようなことしかしか言えないのでは、玉木雄一郎に「国会が駄目だから」とシレッとして言われてしまうのだ。これは「デイジタル化の遅れ」を指して言ったことだったが、その通りのようなのが情けない。


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