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十字軍という言葉は、18世紀に発明された。 2世紀にわたる絶え間ないプロパガンダの後、啓蒙主義者がローマ教会に対する心理戦の武器として構築した「黒い伝説」

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十字軍 書き直される歴史
ヴィットリオ・メッソーリ著、コリエレ・デラ・セラ、1999年7月26日号


ここはずっと『クロシャテ広場』と呼ばれてきた。1年ちょっと前から「パオロ6世広場」になっている。北イタリアの神学部の入り口がこの広場に面していることは、瀟洒なサン・シンプリチャーノ聖堂の隣にあるミラノ広場の名称変更と無関係ではないだろう。その住所変更には聖職者の圧力があったと言われている。この名称は、世俗的な市当局よりも、ある種のカトリック信者の間で恥ずかしく思われていたようだ。教皇となったミラノ大司教を称える準備ができていた後者は、アンブロージョンの自治体も何世紀にもわたって栄光として主張してきた古い行事を犠牲にして行われることに驚きを覚えた。実際、古い銘板は取り外された。


十字軍という言葉は、18世紀に発明された。
2世紀にわたる絶え間ないプロパガンダの後、啓蒙主義者がローマ教会に対する心理戦の武器として構築した「黒い伝説」は、結局、カトリックの知識人、そして大衆の想像力に「悪い良心」を植え付けることになったのである。宗教改革の仕事を完成させ、正典となった「ローマの悪事」のロザリオが確立されたのは、実は18世紀のヨーロッパであった。十字軍については、反カトリックのプロパガンダがその名前さえも作り出した。さらに言えば、「賢明な」歴史学が、古代の壮麗さとルネッサンスのそれとの間の暗黒と狂信の隔たりを示すために作り出した「中世」という用語と同じようにである。900年前、エルサレムを襲撃した人々は、自分たちが「第一次十字軍」と呼ばれるものを遂行したのだと言われたら、さぞかし驚いたことだろう。彼らにとっては、それが「peregrinatio」であり、「succursus」であり、「passagium」だったのである。同じ「武装巡礼者」でも、自分たちが「異教徒」を改宗させたり、西洋の商業的出口を確保したり、中東にヨーロッパの「植民地」を作る目的で帰属していると予見していたら、もっと驚いただろう・・・。しかし、クレルモンやピアチェンツァの大聖堂で「第一回十字軍」を招集し、キリスト教にエルサレム征服を勧めたのは教皇であるウルバン2世であると知れば、雲から落ちるような思いであったろう。つまり、「パンフレテール」は、名前を作り出し、その周りに「黒い伝説」を構築するのである。


歴史学が構築した侵略
それだけでなく、同じヨーロッパのプロパガンダが、何世紀も前に、十字架を振り回してイスラムを破壊しようとする悪党によって「攻撃」されたことを、イスラム世界(忘れていた、あるいはまったく正当だと考えていた、あるいはしばしば気づかなかった)に「明らかに」することになるのである。西洋では、「十字軍」という不明瞭な発明は、結局のところ、教会のある人物たちを罪悪感の中に閉じ込め、実際に何が起こったのか、今となっては知る由もない。しかし、東洋では、この伝説は西洋全体を敵に回してしまった。私たちは皆、その代償を払っており、さらに支払うことになるだろう。「大魔王」に対する復讐を求めるイスラム教徒の暴徒の復讐心によって、その結果がもたらされる。それはアメリカだけでなく、キリスト教全体である。実際、「十字軍」のことである。敬虔で敬虔でおとなしいコーランの信奉者に対する恐ろしい、許しがたい侵略だったと主張しているのは西洋人自身ではないだろうか?歴史家の仕事に敬意を払っている人なら誰でも、特に当時の「政治的に正しい」蛮語に従った道徳化から守られなければならないことを知っている。しかし、もし私たちが本当にこの陰湿なレベルに身を置きたければ、自問すべきことがある。それは、キリスト教とイスラム教の間の千年以上の関係の枠組みの中で、誰が侵略者で、誰が攻撃されたのか、ということである。


事実関係
638年、カリフ・オマールがエルサレムを征服したとき、エルサレムは3世紀以上にわたってキリスト教徒であった。その直後、預言者ムハンマドの信奉者たちが、まずエジプトで、次に北アフリカ全域で、栄光の教会を侵略し破壊し、聖アウグスティヌスのような司教がいた場所でキリスト教を消滅させるに至ったのである。その後、スペイン、シチリア、ギリシャ、そしてトルコと、聖パウロが設立した共同体は廃墟と化した。1453年、7世紀にわたる攻撃の末、第二のローマと呼ばれたコンスタンティノープルは降伏し、イスラム化された。イスラムのバルカン半島への進撃は奇跡のように止まり、ウィーンの城壁の下に撤退を余儀なくされた。一方、19世紀に至るまで、地中海全体とそれに接するキリスト教諸国の沿岸は、船や船団などの人肉の「貯蔵庫」であった。
















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