”ご縁日記”木挽棟梁をめざして

出会いに偶然はないと聞く。これまで出会った方々からどんなメッセージを受け、私はどのように進むのだろうか?

「住い」は「人の心をつくる」

2007-04-20 16:20:28 | 斜め34度からの視点

今回の木青連フォーラムのタイトルは、「地球温暖化を考えるフォーラム2007」。

そしてテーマは「木で学校をつくるということ」とした。

つまり、「環境」そして「教育」への閉塞感をなんとかしよう、という企てなのは間違いない。

それでは、その閉塞感とはどこからやってくるのだろうか?

おそらくそれは、未来のことを憂いて初めて、肌で感じることだと思う。

「今から30年後、我が子が私と同じ年齢になったとき、いったい、どんな世の中になっているのだろうか・・・」

この「世の中」への不安とは、「人」と「自然」への不安と言い換えられるのではないかと思う。

 

 先月、「多生の縁」という本を読み、面白いことに気づいた。

「多生の縁」は「中陰の花」で芥川賞作家となった玄侑宗久氏と九人の方々との対談集である。

以下、玄侑氏と元日本医師会会長 坪井栄孝氏の対談より抜粋したい。

(抜粋始まり)

玄侑:人間の欲求の中で、睡眠欲と食欲と、普通は性欲といいますけれども、そうではなくて「コミュニケーション欲」というものが最後まであるのではないかと。(中略)「出来れば死んでいく時は、もっと気持いいコミュニケーションを感じながら死にたい」という思いがあるんですね。(中略)

坪井:「中陰の花」の書評に石原慎太郎さんが、キューブラー・ロスのことを書いてますね。四段階とも五段階ともいわれる死への段階の中で、コミュニケーション欲みたいなところに最後は到達するといっている。

(抜粋終わり)

これは、とても説得力があると感じた。

息を引き取る寸前に、仮に意識があるならば、空気や睡眠、まして飲食物を欲しがるだろうか・・・

もしも自分であれば、おそらくダイイング・メッセージを残そうとするのではないか・・・

そう考えると、「コミュニケーション欲」というものは間違いなくある、と思えてくる。

そこで仮説を立ててみた。

「現代の日本は、「コミュニケーション欲」に満たされていないのではないか?」

 

すると、私が惹かれる「民家」と「木造校舎」に共通する魅力が鮮明に浮かび上がってきた。

それは、人と人とが良好なコミュニケーションをとっている様をイメージさせ、

と同時に、人と自然とがうまく共存している姿を連想させる、からではないだろうか。

理屈ではなく直感で。おそらく幼児体験があろうとなかろうと。

 

言い換えるならば、どちらも二つの座標軸の交わるところにある、と言えよう。

二つの座標軸とは、

人と人とのコミュニケーション」という座標軸と

人と自然とのコミュニケーション」という座標軸だ。

沖縄本島で唯一の重要文化財民家 中村家住宅で見た言葉が思い起こされる。

「人は住いをつくり 住いはそこに住む人の心をつくる」

これを拡大解釈してみると、

エコロジーな家をつくれば、ライフスタイルはエコロジーなものになる、とも言えるし、

人との和を大切にしたいのであれば、そうなるような住まいづくりが必要だ、とも言える。

住宅も学校も住いである。

「住い」は「人の心をつくる」ということを忘れてはならない。

 


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2 コメント

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Unknown (にわたん)
2007-04-21 02:02:03
その通り!!!

庭もいっしょだね^^
ホントだね! (まるすぎ)
2007-04-21 09:47:08
職人の手が必要とされるものは排除していく、という効率優先の経済活動の中で、「人と人とのコミュニケーション」という座標軸と「人とお金のコミュニケーション」という座標軸の交わりばかりを追っかけてきた、と思うんです。
そして「人と人」との座標軸自体がおかしくなってしまった・・・
それは皆が、直感的に感じていることなんじゃないかな・・・

今わたしたちができることを見つけなきゃ、そしてやらなきゃ、って思います。

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