”ご縁日記”木挽棟梁をめざして

出会いに偶然はないと聞く。これまで出会った方々からどんなメッセージを受け、私はどのように進むのだろうか?

杉皮葺きの意外な歴史

2006-11-08 18:53:53 | 「山の文化」のルーツを探る

先週2日から4日まで、奈良・吉野に行きました。気持ちは、そちらに行っていますが、今日で杉皮葺き民家調査シリーズにひとまず区切りをつけたいと思います。

杉皮葺き職人さんたちと待ち合わせしたT邸。ぶ厚く荒々しい杉皮葺き民家が、石垣と裏の杉山に囲まれ、悠然と佇んでいる。

このお宅にお住まいのTさんは、お茶農家でもあり、農林水産大臣賞を受賞されたらしい。とても美味しいお茶をいただいた。

Tさんは、台風などで屋根が傷むと、自分で杉皮を刺し込み補修するのだという。

このT邸で、杉皮葺き職人の中村さんとお話しし、その後、元杉皮葺き職人だった樋口さんにお話を聞きに行った。

これは、杉皮葺きに使用する道具。左端の櫓のようなカタチのものが「キゴテ」。皮を打ち込みながら、レベルを合わせ、形を整えるもの。右端のものが、シンプルながらも優れものの鎌。

柄の元端が細くなっていて、茅と杉皮を止めるための縄を通す針の役目も果たす。

(元職人の樋口さん)

そのとき、↑写真のように持っても怪我しないように、刃は、先のほうだけにある。

技術的なことは、現場写真を見ながらの説明でなければわかりづらいと思うので、又の機会にしますが、

話を聞いていて疑問に思ったのが、どうも杉皮葺きには、二種類あるということ。

ひとつは、現在、杉皮葺きと呼ばれるスタンダード「平皮葺き」。長さ90センチ巾45センチの広い皮を重ねていく方法。90センチの長さのものを、二本の「ホコ」という細い真竹でとめ、3センチ程ずらしながら重ねていく。計算すると、もっとも重なりのあるところは、30枚ということか・・・さらに、薄い皮では勾配がとれないため、3センチより狭く重ねなくてはならないという。あまりの坪数に驚く。

もう一つが、「ケズリブキ」と呼ばれるもの。寒い時期の剥けにくい杉皮を、鎌で剥いだ細い皮(巾5~6cm程度)を重ねるものらしい。昔は、鎌剥ぎ皮を山で拾っていたそうだ。樋口さんによると、ケズリブキの方が、虫のつきにくい皮であるし、施行が早く、仕上がりもきれいで上手くいったという。おまけに予算もかからなかったと。

いろんな話をしていて、重要なことに気づく。中村さんも樋口さんも二代目なのだ。

「この辺り一体で、杉皮を葺くようになったのは、何時の頃からですか?」

大事なことを聞き忘れていることに気づき、慌てて聞いた。すると、意外な答え。

「戦後からだよ。それまでは、茅葺きか小麦藁葺きだったから。」

そんなに、最近のことだったのか・・・だから皆さん二代目なんだ・・・それに、小麦、茅、杉皮と何層も重なっているというのも説明がつく・・・(ちなみに、茅葺の軒先の部分は、下に小麦藁を使うらしいので、初めから二層とのこと。)

「つまり今、茅葺きをトタンで覆うような感覚で、杉皮を葺いたのですね・・・」

多少、残念に思った・・・ところが、嬉しい答えが返ってきた。

「そうだよ。でも、杉皮で葺けば長持ちするよ。大風が吹いても、こまめに自分で修復できるし。」

いったい、どれくらいもつのだろうか?訪ねてみた。

「ずっと手入れを続ければ、150年でも200年でもいけるんじゃないかな。」

なるほど、ここに杉皮葺きの魅力があるのか・・・

そんな話を聞いた翌日の午前中は、筑後市内に残る杉皮葺き民家を二軒見る。こちらは、「竹千木」(タケチギ)。

こちらは、最近の修繕で欅の千木に替えたらしい。昔は、浮羽の杉皮葺き職人さんに頼んでいたという。離れてはいても、繋がってたんですね・・・どうりで、二軒とも平野の真ん中にあるのに、「チギ」(山の文化)なんですね。茅葺民家を見るのが楽しくなってきました。

そこで、「ダゴ」を探しに、午後は、日田市にある重文民家「行徳家」、山国町にある「神尾家」を訪ねることになる。

行徳家と神尾家の棟の形は、どうなっているのでしょう・・・あれれ・・・区切りつけるんじゃなかったっけ?

 


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1 コメント

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はじめまして (TY)
2019-05-06 19:50:24
最近杉皮葺の屋根の家を買いたいと思いましたが
屋根が部分的に雨漏りしていてその修理にかなりな金額が掛かりそうです。(宮大工さんに訊くと60㎡程の杉皮屋根に
4400万銅で2200万とか・・・)
それほど掛かるものなのでしょうか。
また安価で屋根を修理出来ないものでしょうか。
お知恵を拝借出来ませんでしょうか。
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