♦️240『自然と人間の歴史・世界篇』革命歌「ラ・マルセイエーズ」

2018-04-28 10:03:38 | Weblog

240『自然と人間の歴史・世界篇』革命歌「ラ・マルセイエーズ」

 20世紀の自由フランスの歴史家ジョルジュ・ルフェーブル(1874~1959)は、「革命的群集」という言葉を持ち出し、こんな批評をしている。
 「それゆえわれわれは次のように結論できる。すなわち、それに相応しい集合心性があらかじめ醸成されていないならば、「革命的結集体」ーー常識的であいまいな意味合いになるが、「群集」という言葉を使いたければ「革命的群集」と言ってもよいーーはありえないのだと。」(ジョルジュ・ルフェーブル著(1932)、二宮宏之訳「革命的群集」岩波文庫、2007))
これにある「それに相応しい集合心性があらかじめ醸成されていないならば」、それは「革命的群集」とはなりえないという下りは、その「集合心性」なるものが在ったればこそ、フランスの人民は人類初の民衆の意思による革命まで進み得たことになろうか。
 そのことを体感とともに考える素材として、ある歌がある。その発端としては、大いなるエピソードが伝わる。1792年4月、フランス政府はオーストリアに対して宣戦布告する。フランス革命にプロイセンとオーストラリアの連合が反対したのだ。戦争が勃発すると、始めはプロイセン軍が優勢であった。彼らがフランス国境内に侵入すると、革命政府は祖国の危機を全土に訴える。
 その頃のフランス北東部のストラスブールでのことである。工兵大尉のルージェ・ド・リール(17601836)らが部隊を統率しているところへ、へストラスブール市長が表敬訪問してくる。ライン方面軍の士気向上のために、音楽的素養のあったリールに行進歌を作るよう依頼する。
 リールはこれを引き受け、その興奮の醒めやらぬ中であったのだろうか、一夜にして勇壮な行進曲を作詞・作曲する。そのタイトルを『ライン軍のための軍歌』 (Chant de guerre pour l'armee du Rhin)といい、当時のライン方面軍司令官ニコラ・リュクネール元帥に献呈されたという。
 おりしも、フランス各地で組織された義勇兵達が続々と集結してくる。そんな中、マルセイユからの連盟兵が、この歌を歌いながらパリに入城してくる。それから、人々の間に広まっていく。
 この歌の歌詞は全部で7つあるというから、驚きだ。そんな中で、どのあたりが通常歌われているのであろうか、ここではさしあたり1番と2番の訳(中央合唱団によるもの)だけを紹介しよう。
 「1.起て祖国の子等よ栄えある日は来ぬ
  ぼうぎゃくのとりでに
  見よ旗は血にそみぬ
  見よ旗は血にそみぬ
  聞け我等が野山を
  ふみにじるとどろきを
  わがはらからは
  けがれし手にくびられる
  とれ武器を組め隊伍を
  進め進め我が祖国の自由を守れ
2.彼等何するものぞおごれる地獄の犬
  裏切りとさく取の手もて
  わが敵はせまりきぬ
  わが敵はせまりきぬ
  フランス人よ何たる恥ぞ
  憎しみを火ともやし
  圧制をくだきて
  きたえよ我がかちどき
  とれ武器を組め隊伍を
  進め進め我が祖国の自由を守れ」
 この歌のその後だが、1795年7月14日には、今日のタイトル「ラ・マルセイエーズ」( La Marseillaise)の名で正式にフランス国歌として採用されるにいたる。そして今日へと受け継がれる中で、有名なアレンジとしては、『幻想交響曲』で知られるフランスの作曲家ベルリオーズによる独唱者と二重合唱、オーケストラのための編曲版(1830)もある。
 以来、二百数十年の時を経て、今に生きる私たちがいう「人の時を知る」とは、歴史の不可逆性の側にある後代の人間がその時代、その時、その現場に肉薄したいとの思いを込め、言われるものとあろう。だからこそ、その作業は簡単なものではない。元々、革命時のような高揚した精神は、一朝一夕で出来上がるものではなく、そこまでして現れるものは、人が時代が抑えようとしても抑えきれない、少なくとも過去幾百年もの間、その社会に醸成されてきた大いなる精神が下地なり背景にあってのことなのではないだろうか。

(続く)

☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆


コメントを投稿