新32『美作の野は晴れて』第一部、夏の子供たち(夏の自然と風物)  

2015-08-04 17:35:31 | Weblog

32『美作の野は晴れて』第一部、夏の子供たち(夏の自然と風物) 

 我が家では、小学校の低学年までは寝る部屋に「蚊帳」をって寝ていた。それを張らないで灯りを消すと蚊に食いつかれ、血を一杯吸われてしまう。しかし、当時は悲しいかな、「吸血鬼軍団」が病原菌を媒介しているという意識はほとんどなく、無知丸出しの意識の中にいたようである。それから、まだ起きているとき重宝したのが、蚊取線香で、あの渦巻き状をしたものである。それには除虫菊の粉が練り込まれていて、それが彼らを「イチコロ」にするのだと聞いていた。ひょっとしたら、その頃にはもう原料は除虫菊そのものではなく、化学合成成分に置き換わっていたのかもしれない。
 蚤(のみ)も、おそらく畳の中に沢山いた。あれが背中に何かの弾みでちょろっと入るとたまらない。腕を回してボリボリ掻くとしばらくは楽になるのだが、そのうちに腫れ上がってよけいにかゆみがひどくなる。闇の中で蚤を捕まえるのは大変だ。なにしろ小さい生き物なのだ。ばっと捕まえに言っても、ビョーンと跳ねるのでなかなかつかまらない。やっと捕まえたら、そいつをすばやく指先で「プチッ」と潰す。そのため、梅雨が終わる頃には、蚤やダニの跋扈をさけるため、畳の下には防虫剤を頻繁に撒いていた。蚊が居間にはいなくなり、蚤に噛みつかれることも大方なくなったのは、小学校の高学年になってからだ。山深い田舎のこととて、衛生の知識や家の周りの排水をきちんとするまでには時間を要したのではないか。
 夏場には「おひつ」は竹で編んだものに代えられた。冷蔵庫のない時代には、御飯を長持ちさせるためには湿気と暑気をなるべく避けなければならない。蝿をさけるために新聞紙や濡れふきんを載せて、天井下の横柱(梁)に釘で架けられた。濡れふきんを張り付けたのは気化熱を利用するためで、経験から生み出されたものだろう。
 はえは実に手強い。手で追っ払っても、また「ブーンと」いう音とともにやってくる。そこで、蝿たたきで蝿をたたくのが日課だった。こどものおやつは、母が作ってくれるながし焼き、水飴はどこから仕入れたのだろう。それをこっそり、端をシルシル巻くようにしてあめの棒にして取り出し、あと取って食べた。ばれていたはずなのに、母に叱られたことはなかった。
 夏には、勝北の到るところで、カーネーション、グラヂオラスやあさがお(朝顔)が咲いたようだ。あさがおの花は大変面白かった。竿を立ててやると、1~3メートルの高さに左巻きに登っていく。やがて花のつく部分が膨らんで、ある朝きれいな花を咲かせている。朝顔の彩りには、色々ある。一番なじみのあったのは、紫に白の線が入った色柄だったように思出すのだが。記憶をたぐり寄せようとしても、途中でプツツンと途切れてしまう。私のような凡人の記憶とは、その程度のものなのか。朝顔の花は、早朝が一番はりがあって美しい。そのときは、まるで朝露を受けたようにシャキッとしているものの、昼にはヘナヘナとなりしぼんでしまう。本格的に咲くのは夏の盛りを過ぎて、陽差しが少し柔らかくなった頃だが、花の寿命はわりあい長く、9月の中旬になっても、それそせれの蔓に次から次へと花をかえながら巧みに咲く。
 夏休みには、交代で学校の自分のクラスの花壇に行って、植わっている朝顔などの花に水をやりに来ていた。朝顔の花の色は白、紫、赤であったろうか。日光の当たり具合で青のも紫にも見えるものもある。美しい花々には虫もよく付く。その朝顔にはアブラムシやダニもとりついている。朝顔はほとんど匂いがしないが、その美しさで虫や蜂たちをひきつけているのだろうか。
 ひまわりも学校の花壇の片隅に植わっていたようだ。こちらは、まるで生き物のようなゴッホのひまわりの絵のような印象ではなかったものの、太陽にびったりの雰囲気を持って、すっくと立っていた。美しい花々に虫もよく付く。朝顔にはほとんどにおいがしないが、その美しさで虫や蜂たちをひきつけているのだろうか。その朝顔にはアブラムシやダニもとりつく。それでも朝顔は枯れない。夏休み中の学校当番でたっぷりと水をやっておくと、その翌朝には、花壇の花たちは生気を取り戻して潤っていたようである。雑草はといえば、どこの道ばたでも咲いているツユクサが、学校の花壇にも進入してきて、おしゃれな青色の2枚花を咲かせている。こちらは抜いてもまた伸びてきて、他の雑草ともどもたくましい。
 夏の野原には、シモツケの赤い花が眩しそうに咲いている。今では少なくなりつつある桔梗も野原の涼しいところに、処々可憐な花を咲かせていた。ササユリはもっと森の深いところかと思いきや、ふと気がつくと道ばたの涼しいところでも神秘な花がほころんでいる。やや日陰の道端の涼しげな草むらには、ホタルブクロは梅雨の頃から白、ピンク、紅紫などの釣鐘形の花が茎にびっしりと群がっていて、暫し見入ってしまう。色の鮮やかさではダリアで、真紅というより純粋な赤色で人の目を引きつけている。この花はメキシコ原産で、16世紀にヨーロッパにわたり品種改良が施され、それから19世紀中頃の1842年(年)オランダから渡来したものらしい。あの圧倒的な輝きで人の心を魅了するダリアの花は、いまでも先祖が眠る墓下の畑隅の畦で脈々と息づいているのだろうか。
 夏に元気になる植物は、もちろん、よく知られている花ばかりではない。都会の夏の風物詩で知られるほおずきは茄子科の植物で、ここ関東の地では浅草浅草寺のほおずき市があまりにも有名であるが、私たちの田舎でも栽培されていた。袋の中の赤い実を採りだして、何度も掌で押してから口に入れて苦い汁を吸っていた。ヤマグワは夏の頃、赤から黒っぽい紫になつて完熟した実を手で掬って食べる。こちらはさほど甘くないものの、上品な味がする。
 雑草のようなものも含まれていて、あるとき我が家の坂下の2軒の近所の家を通り抜けていく途中にある、道沿いの石垣の上の僅かな地面にヘビイチゴの赤い実がなっていた。それを観ながら「これは何の花かなあ」などと友達2人と首をかしげていたところへ背中越しに「何を観とるんじゃ」という低い声がするので振り向くと、祖母であった。「これじゃけど」と言うと、いきなり「これはヘビが食べようるんじゃ。知ってないんか。それを食べたら、ヘビに噛みつかれるぞ」と脅された。一同「ええっ?」と驚き、何かを言おうとする時には、彼女は既にその場からさっさと退き、我が家に向かう短い坂道を上り始めているのだった。
 夏の魚採りは、他の季節とは異なる楽しみがある。浅瀬の川底の土砂をすくい上げると、まわりから水が流れこんでくる。流れ込むときの水の表面はキラキラと光輝く。その水は太陽光線のために直ぐ温かくなる。温泉は出ないものの、膝から下はそれに浸かった気分になるから不思議だ。そうなると、魚採りには、別の楽しみが加わった。
 夏の日のアイスキャンデーは格別うまかった。流尾部落の半鐘のある場所は高台にあり、私の家の東の「かど」からはるかに見渡せる。だから、その場所にアイスキャンデー売りのおじさんの自転車がやってくると目でわかるし、チリンリンリン、チリリリーンと真鍮製のように見える振鐘がおじさんの腕をふってうち鳴らされる。急いで母から50円であったのか小銭をもらって、走って買いにいく。
「坊や、何本にするの?」
「おじちゃん、二本頂戴。一本は、ああちゃん(兄)に持ってかえるけん」
 そう言っておかねを自分の目より上の方へと腕で差し出す。
「2本でこれでいいんかなあ、おじちゃん」
 そういって、たぶん、2本分で50円くらいを差し出していたのではないか。キャンデー売りのおじさんは、にっこり笑ってそれを受け取って、「はいはい、毎度」と返事してくれる。それから、自転車の荷台に据え付けてある冷凍箱から取り出しにかかる。
 木の箱を開けると、ドライアイスの白い煙がファーと上がった。涼気のなかから、軍手をはめたおじさんの手で、長めのアイスキャンデーが取り出された。そうしているうちに良介(仮の名)ちゃんも啓介(仮の名)ちゃん(年上だが、ちゃん付けで呼んでいた)もやってくる。いまにして思えば、西下部落の北端までやって来てくれていたおじさんは、子供の喜ぶ顔見たさにわざわざ部落の最北端へと来てくれていたのだろうか。
 小学校の高学年になると、キャンデー屋さんはぷっつりと来なくなった。これと相前後してアイスキャンデーのスタイルはモダンになり、西下部落の南、勝加茂村の上村を通っている国道53号線沿いの町内の店に置かれているのを目にするようになっていた。

(続く)

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