『(5の4*5)』『岡山(美作・備前・備中)の今昔』倭の時代の吉備(鬼ノ城など)

2018-10-02 10:50:38 | Weblog

『(5の4*5)』『岡山(美作・備前・備中)の今昔』倭の時代の吉備(鬼ノ城など)

 また、この地の北方の山(現在の総社市)に大いなる「鬼ノ城」(きのじょう)と呼び慣わされた古代城趾がある。21世紀に入ってからの総社市や岡山県の発掘調査により、築造年代が7世紀の第4四半期に遡ること、石敷きの城門や土塁に守られた外郭線が張り巡らされていたことが明らかになってきた。この山城は、瀬戸内に沿った大和朝廷の防衛線の一つに位置づけられていたのではないか。その意義について、向井一雄氏は、こう述べておられる。
 「外寇の危険が去った後もしばらく瀬戸内の山城群が維持・改修されていた理由として、吉備地域勢力との政治的決着一令制化推進があったとみたい。吉備中枢部に築かれた鬼ノ城は「有事籠城型」のプランを取りつつ、「視覚的効果」を狙った外郭線を持つ新時代型の山城として整備されており、上記施策の象徴的遺産といえよう。」(向井一雄「よみがえる古代山城」吉川弘文館、2017)
 この地に城が築かれるいきさつが、白村江(はくすきのえ)の戦いの敗北後の外敵に対する防衛ラインに、直接に結びつくものであるかどうかは、わからない。それでもこの城が築かれたのには、倭(倭)朝廷にとって吉備国(きびのくに)を監視する必要があったことを覗わせるものではないか。

(続く)

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