♦️101『自然と人間の歴史・世界篇』世界文明の曙(アーリア人の進出と古代インドの諸国家)

2018-01-23 09:34:10 | Weblog

101『自然と人間の歴史・世界篇』世界文明の曙(アーリア人の進出と古代インドの諸国家)


 インダス文明の後の紀元前1500年頃から同1200年頃にかけては、アーリア人の
インドへの流入があった。彼らは、イラン人から分岐した、インド・ヨーロッパ語属に属す民族であって、一説には紀元前2000年頃には故郷を出発していたとも。アーリアとはサンスクリット語の「高貴」の意からきている。
 ヒンドゥークシ山脈、カイバル峠を越えて、インダス川中流域のパンジャブ地方に進出してくる。この進出の動機ははっきりしないものの、中央アジアを中心に遊牧生活をしていた彼らが、何かの契機に恵まれ、肥沃なインダス川流域に目をつけたのであろうか。武術に長けるアーリア人たちは、部族毎に、おそらくドラヴィダ人やムンダ語諸族などの先住民を蹴散らし、あるいは支配下に置いていく。
 そして彼らがインダス川流域からガンジス川流域へと進出してくるに及んで、父系制社会の進出族と母系制社会の先住民との間では相当数の混血が行われたのではないか。両者の持つ文化についても融合化が進み、ヒンドゥー(ヒンズー)文化が形成されていく。その際の精神の結び目としては、紀元前1000年頃までには、インドの神々にちなんだ歌集「ヴェーダ」(知識の意味)がつくられる。
 かかるヴェーダは4つからなり、各々はリグ・ヴェーダ(神々への賛歌集)、サーマ・ヴェーダ(泳法集)、ヤジュル・ヴェーダ(呪法集)、アタルヴァ・ヴェーダ(祭式集)というものであり、後に成立することになるバラモン教の根本聖典へと研磨・研鑽されていく。参考までに、現在のヒンドゥー教というのは、「バラモン教の継続変形」(蔵原惟人(くらはらこれひと)「宗教ーその紀元と役割」新日本新書、1978)だといって、差し支えなかろう。
 一方、アーリア人主導の部族国家がインド域内につくられていく過程で、紀元前10世紀から紀元前7世紀にかけて、「ヴァルナ」と呼ばれる身分制度が形成されていく。このヴァルナは、後に、来航したポルトガル人によって「カースト」と呼ばれるか、生まれを意味する「ジャーティ」という語に纏われ、社会の階層化を厳格に定めることになっていく。具体的には、上から順に、バラモンは司祭階層で、宗教儀式を行う。クシャトリヤは武士とか貴族といった特権をもつ階層で政治や軍事に携わる。ヴァイシャ(バイシャ)は農民や商人などの一般庶民階層をいい、大多数がこの身分に属する。シュードラ(スードラ)は最下層の隷属民とも訳されるが、ダーサと呼ばれる奴隷のような売買の対象となる存在ではなく、上層の三つの身分に奉仕する宿命を背負わされた身分を指す。
 アーリア人たちの率いる部族単位の小国家は、そればかりに留まっているばかりではなない。このあたりは気候が湿潤で、地味も肥えていて、稲作を中心とした農耕にはもってこいの土地柄であった。このことが原動力となり、それらの国家がしだいに都市国家のようなものへ発展し、その対立連合の裡(うち)にさらに統合されていった。とりわけ、ガンジス川中流域を中心に16もの国が現れる。これらを総称して、「古代十六」と呼ぶ(それらの位置関係については、(伊藤清司「インドの古代文明」:伊藤清司・尾崎康「東洋史概説Ⅰ」慶應義塾大学通信教育教材、1976))。
 そんな中でも強かったのは、コーサラ、マガダ、アヴァンティ、ヴァンサの4国であった。因みに、仏教の創始者ゴータマ・シッダールタ(シャカ、釈尊)が王子として生まれた、現在のネパールのアーリア系南部シャカ族の国としてのカピラヴァストウは、コーサラの属国の一つであった。

(続く)

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