田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

和まされた人形の数々  宮竹真澄人形展

2022-05-21 10:52:00 | 作品展・展覧会等

 なんとも味のある表情である。それは昭和の田舎の情景か?一つ一つのしぐさに、一つ一つの表情に、見ている私がいつの間にか和まされていることに気付かされた。「宮竹真澄・心のふる里人形展」に足を運んだ。

      

 5月19日(木)~29日(日)の日程で、札幌市民ギャラリーを会場に「宮竹真澄・心のふる里人形展」が開催されていると知って初日の19日に足を運んでみた。

 典型的な昭和世代である私には一つ一つの人形が思い当たる情景であり、懐かしさを憶える人形の表情だった。

        

        ※ 自作の人形を手にした作者の宮竹真澄氏です。

 宮武真澄氏は私と同年代(新聞に72歳と出ていました)のやはり典型的な昭和世代である。そんな彼女が結婚されてから主婦業の傍ら人形創作を始めたようである。彼女の創る人形は布を使わず粘土と水彩だけで作られたものである。人形創作を始めたころは関東近辺に住まわれていたが、1991(平成3)年に北海道・東川町に移住してから作風が変わり、現在のようなものになったといわれている。

 その作風は、昭和年代の田舎で繰り広げられた庶民の生活の情景である。宮竹氏は大分県出身ということだが、子ども時代の田舎の風景がモチーフとなっているという。

   

   ※ コンブ漁をする浜の母さんたちの表情が豊かに表現されています。

 展示されている人形はけっして大きなものではない。せいぜい20cmくらいだろうか?だから人形自体の顔もとても小さいのだが、その顔をよく見ると一体、一体の顔の表情が違って見えてきて、それらがなんとも観る者の気持ちを和ませてくれるのだ。

     

     ※ 農作業の手を休めて都会へ出た子どもからの手紙を読む夫婦です。

 そんな人形たちが新聞によると、会場内に65作品、196体が展示されている。残念ながら「作品の写真撮影は禁止」の貼り紙があったので、直接は撮影できなかったが、その雰囲気を伝えるためにウェブ上から写真を拝借して掲載することにした。その雰囲気を感じていただければ幸いである。

          

          ※ 何といっても素晴らしい表情を表現したと思われる作品です。いたよねこんな母さん。

 そして昭和世代を自認する方はぜひ会場に足を運んでいただき、あの何もなかったけれど、どこかにほのぼのとした幸せ感が漂っていた時代を回顧していただきたいと思うのです。(けっして主催者から依頼されたわけではありません)


札響のピアノ協奏曲を聴く

2022-05-20 13:19:28 | ステージ & エンターテイメント

 素人の哀しさか?ピアノ協奏曲の良さをどうしても感得することができなかった…。5月18日(水)夕刻「道銀ライラックコンサート」で札幌交響楽団のピアノ協奏曲を聴いたのだが…。

        

 北海道銀行のCSR活動の一環として市民に札幌交響楽団の演奏をプレゼントする「道銀ライラックコンサート」が5月18日に開催され、運良く入場券をゲットすることができたので札幌コンサートホールKitaraにおいて札響の演奏を楽しんできた。

   

 この日演奏された曲目は、

 ◆ピアノ協奏曲第2番 ハ短調 op.18/ラフマニノフ (ピアノ演奏 徳田 貴子

 ◆序曲「ローマの謝肉祭」op.9/ベルリオーズ

 ◆ピアノ協奏曲 ト長調/ラヴェル  (ピアノ演奏 鎌倉 亮太)

 以上3曲だが、うち2曲はピアノ協奏曲だった。私のイメージとしてはピアノ演奏というと、ソロ演奏か、他の楽器の演奏の伴奏というイメージが強い。ところがピアノ協奏曲の場合は、管弦楽を伴奏としてピアノ演奏が主役として演奏する楽曲である。

 演奏された二人のピアニストは道内的に見ると二人とも相当に高名な方だと思われる。二人の履歴を拝見すると、徳田貴子氏はアメリカの音楽院、並びに大学院を卒業されアメリカで活躍された後、日本に帰国し国内で精力的に活動されている方である。一方、ラヴェルを演奏された鎌倉亮太氏は道教育大の芸術文化課程、並びに同大学院を卒業された後、フィンランド国立シベリウス音楽院への留学経験があり、道内ではピアノ演奏だけではなく、指揮者としても活躍されている方である。実は、私は鎌倉氏が指揮するオーケストラの演奏を聴いたことがあったので、すっかり指揮者だと思っていた。

             

            ※ 徳田貴子さん      

 そうした二人の演奏は相当に高度な演奏をしていたと拝聴した。しかし……。音楽をそれほど嗜んでいるとは言えない私の耳にはどうもピアノと管弦楽の競演がしっくりこないのだ。その原因の一つに私の席がステージから遠かったことも一因だったかもしれない。ピアノの繊細な部分の音が十分に聴こえてこなかったこともあり、管弦楽との音の調和が今一つのように私には聴こえたのだ。二人のピアノの独奏者の力量は十分だったのに、ピアノ協奏曲の良さを私が十分に感得できなかったのは偏に私のせいなのだが少し残念な思いだった。

       

       ※ 鎌倉亮太さん

 その反動もあったのだろうか?2曲目のベルリオーズの序曲「ローマの謝肉祭」op.9は管弦楽の良さを十分に堪能できた。私は演奏を終えた後に「弦と管のほど良いミックス、そこにパーカッションも適度に加わり管弦楽の良さを十分味わえた。また終章へ向けての盛り上がりも素晴らしかった」とメモの走り書きをした。   

 今回、ピアノ協奏曲の良さを感得できなかった私であるが、やはりある程度聴く機会を増やすことも必要かな?と思っている。機会があれば、敬遠せずにピアノ協奏曲をまた楽しんでみたいと思っている。

※ Kitaraでのコンサートはもちろん写真はNGである。そこで掲載した写真は全て(プログラムを除き)ウェブ上から拝借しました。


北区歴史と文化の八十八選巡り №5

2022-05-19 11:05:27 | 札幌市・北区歴史と文化の八十八選巡り

  北区歴史と文化の八十八選巡りの第5弾はまだまだ北大関連である。それだけ北区にとって北大の存在は大きなものということだろう。今回は「北大イチョウ並木」、「母子像」、「恵迪寮歌『都ぞ弥生』歌碑」、「北大遺跡保存庭園」の4ヵ所をレポートする。

〈17〉北大イチョウ並木

   

   ※ 北13条門側から北大中央部方向に見たイチョウ並木です。

 「ポプラ並木」と並んで北大の観光名所の一つとして知られる「イチョウ並木」は北13条通りの道路の約380mの両側に70本のイチョウの木が頭上を覆うように並んでいる。このイチョウ並木は夏の青葉より、10月下旬から11月にかけてイチョウの葉が黄葉するときが人気である。私が今回訪れた5月初旬はあの独特の形のイチョウが小さな葉を付けたばかりのようであった。

   

   ※ こちらは反対に北大中央部から北13条門方向を見たところです。

   

 このイチョウ並木の歴史を調べてみると、北13条通りは最初からイチョウ並木ではなく、大正11年頃はサクラとカエデの並木だったという。さらに昭和14年頃にはイチョウも植栽され、サクラ、カエデと小さなイチョウが混在した並木だったが、やがてサクラとカエデは病害で枯死したり、伐採されたりしてイチョウだけが残され、現在の姿になったそうだ。 

   

   ※ 秋の黄葉のイチョウ並木です。

〔住 所〕 北区北13条西5丁目~7丁目 北海道大学構内

〔訪問日〕 5月10日 

〈18〉母子像

 この「母子像」を見つけるのにやや苦労したが、北大病院の正面の西5丁目通り沿いに北大医学部の先駆者たちの胸像が並ぶ隣に立っていた。

   

   ※ 北大病院の正面付近に「母子像」は建てられていました。

 「母子像」は1986(昭和61)年、財団法人協共会(北海道大学附属病院)が創立65周年を迎えた時、彫刻家・本田明二に依頼し制作して寄贈したものである。

   

   ※ 母子像の周辺に雑草が多いのが気になりました。

 「母子像」の傍に立てられていた説明板には「全身の愛と力を両脇に込めて、いとし子をしっかりと抱くその姿は、訪れる人たちや患者の心を強く引き付ける」と書かれてあった。 

        

        ※ 本田明二作「母子像」です。

〔住 所〕 北区北14条西5丁目 北海道大学構内

〔訪問日〕 5月10日

〈19〉恵迪寮歌「都ぞ弥生」歌碑

 この歌碑は北図書館のところから平成ポプラ並木に向かう道路脇に建てられている。そこは以前に恵迪寮があった入口のところと思われる。寮歌「都ぞ弥生」は寮歌として大変有名であるが、その経緯に著した文書を見つけることができたので参照していただきたい。なお、この「都ぞ弥生」歌碑の近くには「寄宿舎跡の碑」という石碑も建てられていた。

   

   ※ 「都ぞ弥生」の歌詞が刻まれた歌碑です。

   

   ※ その歌詞を大写ししました。

 歌碑の位置を確認したので、現在の「恵迪寮」を訪ねた。現在の恵迪寮は北大構内の北西端に建てられている。やや隅に追いやられているような印象も受けてしまうが、致し方のないことか?

   

   ※ 現在の恵迪寮の門柱です。整備が行き届いていないのは学生の自主管理のせいでしようか?

   

   ※ 大きな恵迪寮の一部です。

 次の文書が「都ぞ弥生」歌碑と「寄宿舎跡の碑」にまつわることが記された文書である。

 札幌農学校の寄宿舎「恵迪寮」の寮歌として作られた「都ぞ弥生」。日本三大寮歌の一つで、今なお学生たちに歌い継がれています。

 恵迪寮の歌碑を尋ねて、恵迪寮を目指すと、道端に「恵迪寮歌歌碑」が出て来た。「都ぞ弥生」の碑文には「横山芳介作詩 赤木顕次作曲 明治四十五年恵迪寮歌 都ぞ弥生の雲紫に 花の香漂ふ宴遊の筵 盡きせぬ奢に濃き紅や その春暮ては移らふ色の 夢こそ一時青き繁みに 燃えなん我胸 想ひを載せて 星影冴かに光れる北を 人の世の 清き国ぞとあこがれぬ」と5番ある内の1番が刻まれていた。

 次に、恵迪寮跡の「寄宿舎跡の碑」が現われる。碑文は送り仮名がカタカナで昔風だ。

 碑文には「北海道大学桑園学寮は、昭和24年/札幌市北3条西14丁目に創設され、/昭和36年北海道大学構内のこの地に/移転した。昭和58年3月その歴史を閉じたが、/その間学部男子学生512名がその青春を/謳歌した。/平成11年10月 記念碑建立委員会」と刻まれている。

   

   ※ 「寄宿舎跡の碑」です。

   

〔住 所〕 北区北16条西9丁目 北海道大学構内

〔訪問日〕  5月5日

〈20〉北大遺跡保存庭園

 私は今回の「北区歴史と文化の八十八選」めぐりをすることによって、はじめて北大構内に「遺跡保存庭園」があることを知った。そのこともあり、その位置を見つけるのにやや手間取ったが、北大の陸上競技場の横を辿っていくと「遺跡保存庭園」という表示が目に入った。

   

   

 ここは遺跡保存地区だから手つかずの自然がそのまま残っている。私はその鬱蒼とした庭園に足を踏み入れ、竪穴住居跡らしい窪みを見つけることができたので、深入りはせずに早々に庭園を後にした。札幌市内にはこの他にも数か所竪穴式住居跡が保存されているが、北大の庭園のように当時の面影を残したものは少ない。(もちろん下草刈りなどは定期的にされてはいるが)それだけにここの庭園は貴重なのではないかと思われる。

   

    ※ 微かに窪みがみられ竪穴住居跡と思われます。(下の写真も)   

   

 下の文章は、私と同じようにこの庭園を訪れた人の文章である。

 かつて、この一帯は多数のメム(アイヌ語で「泉」)がわき、古代人の漁猟基地でした。竪穴式住居跡があります。「遺跡保存庭園」がグランド脇の奥にあったので寄ってみる。入口には門柱があり、中に入ると草を刈ったばかりだったので、竪穴住居跡の窪みの遺跡が見えた。遺跡をぬうように小道が延びているが、カラスの縄張りになっていて、歩くのが怖い。 

   

    ※ 庭園内にはこうした古木然とした木が生い茂っていました。

〔住 所〕 北区北17条~18条西11丁目 北海道大学構内

〔訪問日〕 5月5日


介護保険施設と施設系の住宅とは?

2022-05-18 11:11:14 | 講演・講義・フォーラム等

 高齢者向けの施設や住宅にはさまざまな形態、さまざまな入居基準があることを知ることができた。聞いたお話はまだまだ入門編ではあるが、そろそろ私も知識として知っておくことが必要ではと考え、今回初めて受講した。

 最近はとみに体力の衰えを自覚させられることが多くなってきた。不養生もその原因の一つだが、やはり加齢による身体全体の衰えを自覚せざるを得ない年代に突入したということなのだろう。

   

 そうした私にとって、札幌市総合福祉センターが近くにあることは大きなアドバンテージである。今年は同所で開催される「私の生き方セミナー」や「札幌市高齢者市民講座」などに積極的に参加しようと思っている。今回はそれらとはまた別の札幌市社会福祉協議会が主催する「ワンポイント・シニア講座」に参加した。講座は今年度第2回目ということだったが、テーマは「介護保険施設と施設系の住宅とはどのようにもの?」と題して(一社)あんしん住まいサッポロの代表理事である篠塚正徳氏が講師を務められた。講義時間が30分と短いために、内容的には入門編といった感じだったが、この日得たことの概要を記しておくことにする。

   

 まず高齢者向け施設・住宅には大きく分けて3つの系統があるということだ。その3つとは「介護保険施設」「施設系」「住宅系」の3つである。このうち「住宅系」は民間サイドで運営されている「サービス付き高齢者向け住宅(サ高住)」、「有料老人ホーム」、「シニア向け賃貸住宅」などがあるそうだが、今回は講座では内容的に触れられることはなかった。

 残る2つの系統はほとんどが公的に運営されている施設のようである。

 「介護保険施設」としては「特別養護老人ホーム」、「介護老人保健施設」、「介護医療院・介護療養型施設」があるという。ごく粗くいうと、こちらは医療を伴う施設ということが言えそうである。

 一方、特別に医療を伴わない自立型の「施設系」には、「ケアハウス・経費老人ホーム」、「認知症高齢者グループホーム」、「養護老人ホーム」などがあるそうだ。

 それぞれ入所するには介護度とか、収入の多寡、など細かな決まりがあるようであるが、 今回はそこまでの詳しいお話はなかった。

   

   ※ 講義をされた篠塚正徳氏です。

 ともかく多種多様な施設が用意されていることは理解できた。問題は必要が生じたときに直ぐに入所できるかというと、そうは簡単にはいかなそうである。入所待機されている方が相当数いるという。したがって、ふだんから施設の内容をよく把握しておくことがまずは必要に思われる。そして自らの身体と相談し、早め早めに準備することが肝要なのかな?と今回の講座を聴きながら思ったことである。 


山本純一フォト講演会

2022-05-17 10:56:39 | 講演・講義・フォーラム等

 なんともマニアックな講演会だった。写真のことなどまったく知識のない私にとってはちんぷんかんぷんのお話だったが、山本氏が撮り溜めた写真の数々は自然が創る造詣の素晴らしさを、山本氏の技術によってさらにそれを増幅させたような一枚一枚の写真に魅入った私だった…。

        

 拙ブログの4月8日付で「鼓動する野生 山本純一写真展」と題して道新ホールで開催されていた写真展をレポートしたが、同じ写真展が会場を移して現在北海道大学総合博物館で開催されている。(5月29日までの日程で開催中)その写真展に併せて5月14日(土)午後、同博物館内で「カムイの大地」―撮影秘話 夏・秋編―と題する講演会があり,フォト講演会とはどのようなものなのか?という興味もあり参加してみた。定員が60名と限定されていたこともあり少し早めに会場に赴いたところ、幸いに最前列に空いた席があったのでそこに席を確保した。

 講演会は氏の作品を大写しにして、その撮影秘話を語るという形で進められた。一般の講演とは違い、講師の山本氏の方も構えることはなく、リラックスした話しぶりで時折りユーモアも交えたものだった。

 講演の中で印象的だったのは、川の流れや、夜空の星雲を撮った時についてだった。川の流れる様子や、光量が少ない夜空を撮るときの機材や、時間の設定など、私にはまったく分からないお話だったが、参加していた聴衆の方々の中には氏の写真仲間や、写真部の学生などが多かったようで、彼らにはおおいに参考になったようだ。

   

   ※ このような川の流れを表現するには特殊な撮影技術や機材が必要だという。

 また、自然界の動物が動いている一瞬を捉える写真などは、多い時で800回もシャッターを切ったうえでの一枚だという説明にも「さすがプロフェッショナル!」と素人の私は唸るばかりだった。

   

   ※ 飛んでいる鳥などをクリアに捉えるためには何百回ものシャッターを切ったうえでの一枚だという。

 山本氏の言葉で印象に残った言葉があった。それは美瑛町の「青い池」の作品について説明している時だった。山本氏は「“湖面が止まる”時がある」と表現した。シャッターチャンスをうかがい、じーっと待つことの多い写真家ならではの言葉だと受け止めた。

   

   ※ こうした一枚をモノにするために山本氏は「湖面が止まる」瞬間を狙っているという。

 また、山本氏は現在62歳だということだが、氏のカメラとの付き合いはフィルムカメラからデジタルカメラに切り替わる時代のど真ん中を生きた世代である。それだけにアナログな写真への郷愁もあるという。パソコンによる画像処理が当たり前となって現代において、それを利用してより素晴らしい写真としての完成度を目ざすことも必要だが、全てをそれに頼ることの安易さは避けたいと話され講演を終えた。

   

   ※ 山本氏は失敗の一枚だという。それは月の光が山頂から覗く瞬間を狙っていたのだという。

 一つの道を究めた人、究めようとしている人のお話をうかがうことは興味深い。

 ※ 掲載した写真は全てウェブ上から拝借しました。

 


札幌市のパークゴルフ場めぐり〈35〉東茨戸パークゴルフ場

2022-05-16 11:58:16 | 札幌市のパークゴルフ場巡り

 茨戸川の川中にできた中州を利用したパークゴルフ場である。中州だけに起伏はほとんどなく、36ホールあるコースはどれも単調な印象だった。コースは地域住民の方々が自主的に管理されているパークゴルフ場のようだった。

 「東茨戸パークゴルフ場」は札幌市北区の中でも最北部の石狩市との境界に近いところに建つホテル「ガトーキングダムサッポロ」への導入路が始まるところにある大きな駐車場に車を停める。

   

   ※ 140台が駐車可能という駐車場は広々としていた。

   

   ※ 駐車場のすぐ横から川を挟んで東茨戸パークゴルフ場が見えます。

 リード文では茨戸川と表記したが、もともとは石狩川の直線化によって生まれた川(茨戸川)なのだが、そこにできた中州を利用したパークゴルフ場である。パークゴルフ場へは駐車場から連絡橋を渡って入る。橋を渡ると直ぐにテント張りの受付が待っている。ここで維持管理協力費として300円を支払い、領収書代わりのバッヂを貸与され、受付は終了し、直ぐにプレイができる。

   

   ※ 橋を渡って中州に入るとパークゴルフ場です。

   

   ※ 中州に入ると直ぐにA・B・C・Dと四つのコースが並列に並んでいます。(写真のところはCコース)

 私はコースが空いていたBコースでさっそくプレイを開始した。コ―スの状況は必ずしも望ましいものとはいえなかった。最近は少雨の影響が農作物でも深刻だと伝えられているが、パークゴルフ場の芝も影響を受けているようだ。またホール周りもつぎはぎがやや目立っていたのは残念だった。

   

   ※ 写真の芝はまあまあでしたが、全体的には水不足のためか枯れかかっている芝が目に付きました。 

   

   ※ 遅咲きのサクラ(種類は?)がコース上で満開でした。

 コース全体は両側を川に挟まれていて、プレイの合間に水景が目に入るのは 心地良く感じられた。ただ、コ―ス全体は起伏がなく、コースレイアウトも4コースが縦に並列に並んでいて、そこを折り返す単純なレイアウトであった。コースに変化がないだけに飽きを感じさせてしまうコースかもしれない。パークゴルフの上級者たちにとってこのようなコースはどのように感じているのだろうか?

   

   ※ 写真のようにプレイ中に水の光景を目にすることができるのは気持ち良いですね。

 私は他のコ―スも体験しなくてはならなかったので、二つのコースを体験しただけで失礼した。                                                                

《コース概要等》

〔住      所〕北区東茨戸中島

〔コース概要〕・36ホール、パー132 総延長 1,700m

〔休      日〕第2水曜日

〔利用時間〕4月~10月 8:00~17:00  〔駐車場〕有(140台)

〔プレイ料金〕維持管理費として1日300円

〔ティーの用意〕有

〔問い合わせ〕北区パークゴルフ協会 ☎080-6063-2733

〔訪問日&私の成績〕22/05/12   Bコース 33/33  Cコース 31/33


野幌森林公園 オオバナノエンレイソウは花盛り

2022-05-15 12:22:45 | 環境 & 自然 & 観察会

 ニリンソウやヒトリシズカなどの花が目立ち、前日の盤渓市民の森と大差ないように思えたが、その中で目立ったのがオオバナノエンレイソウの白い大きな花の群落だった。その他もさまざまな木本について学ぶことが多かった。

       

      ※ 野幌森林公園の全体図です。この日の観察会では中央線の一部を歩いただけでした。

 昨日は野幌森林公園と北海道ボランティアレンジャー協議会の共催による「春のありがとう観察会」があり参加した。「春のありがとう…」とは、公園内のゴミ拾いを兼ねながらの観察会ということのようである。しかし、公園を利用する方々のマナーが向上したためだろう、ゴミはほとんど見当たらなかった。

 ボランティアレンジャー協議会主催の観察会は、ガイドの方が多いために小さなグループで観察することができ、ガイドの方と親しく会話ができることが大きなメリットである。この日も私はもう一人の男性の方と二人でガイドの説明を聞くことができた。そうした中で得ることのできた新しい知識を記録しておきたい。

 まず、◇フキノトウ(アキタブキ)が成長して、雌花は大きく育ち、役目を終えた雄花は打ちひしがれたように小さく目立たない姿になっていた。

   

   ※ フキノトウ(アキタブキ)の雌花です。受粉を終えて大きく伸びていました。

   

   ※ フキノトウの雄花ですが、花粉を雌花に与えてお役御免で萎れかかったいました。 

 続いてこの日の大きな収穫は、野幌森林公園は北広島市の方から続く「野幌丘陵」の一部であることが説明された。野幌丘陵は粘土質の土質で表土が30 cm前後だという。そのために強風が吹くと倒木する木が多いということだ。以前から「野幌森林公園内では倒れた木が異常に多いなぁ」と思っていたのだが、その疑問が氷解した思いである。

 森林内の山野草の花たちは前日の「盤渓市民の森」とそう変わりはなく、◇ニリンソウ◇タチツボスミレ◇ヒトリシズカなどが咲き誇っていた。その中で、◇マイヅルソウ◇クルマバソウが花の初期を迎えていた。このあたりは「盤渓市民の森」より標高が低いことから花の時期が若干早くなっているようだった。

   

   ※ ニリンソウ

   

   ※ オオタチツボスミレ

   

   ※ いかにも楚々としたヒトリシズカです。しかし、実際には群生していることが多く、その様はニギワイシズカといった様相です。

   

   ※ 特異な葉の形をしたマイヅルソウです。(全日の盤渓市民の森よりは標高が低いこともあり、花が蕾をもっていました。これが時と共に白い小さな花となります)

   

   ※ クルマバソウも盤渓市民の森よりは成長が早いようです。

 そうした中で、圧倒的に目立っていたのが◇オオバナノエンレイソウだった。白い大きな花が至るところに咲き誇り存在感を辺りに振り撒いていた。ちょうど花盛りの時期だったのだと思われる。

   ※ オオバナノエンレイソウの競演です。

   

   

   

   

 その他ではツル性の木本として◇ツルウメモドキ◇ヤマブドウ◇コクワのツルがちょうど見本のように三本並んでいた。しかし、その違いについてはガイドの方も詳しくはなかったようだった。

 他には、◇アカイタヤ◇ハイイヌガヤ◇キタコブシなどの花を紹介いただいた。

   

   ※ アカイタヤの花です。

   

   ※ アカイタヤの新葉です、赤い色の葉が春紅葉を演出します。

   

   ※ ハイイヌガヤの雄花です。花に触ると花粉がワッと飛び散りました。

   

   ※ ふれあい交流館の前に散り忘れたようにキタコブシの花が咲いていました。

 その他にも紹介いただいた木本や山野草があったのだが、自信をもって掲載できないので省略することにしたい。

   

   ※ 私がサンカヨウの葉と間違えたミミコウモリの葉です。

   

   ※ バイケイソウも大きく育っていました。やがて先端に薄緑色の花を付けるそうです。

 前述したように少人数にガイドが付いてくれる親切な観察会なのだが、時間が1時間程度と短いことである。野幌森林公園までの往復に90分程度を要する私としてはコストパフォーマンスが悪い観察会である。今後もできれば参加したいとは思っているのだが…。


サンカヨウを求めて 盤渓市民の森トレッキング

2022-05-14 15:48:32 | 環境 & 自然 & 観察会

 タイミング的には「やや早かったかな?」といった印象だったが、多くの山野草の花たちに接することができ充実のトレッキングだった。それにしても同じ森の中で、場所を違えるとずいぶん様相が違ってしまったのはどうしてだろう?

   

   ※ いつもの「盤渓市民の森」の入口です。鎖の下でニリンソウが迎えてくれています。

   

   ※ 森の中は新春の若い緑に覆われていました。

   

   ※ 私はこの日は主として南側の散策路を歩きました。

 昨年は5回も通い詰めて、ようやくサンカヨウの開花を目にすることができたのだが、 今年はじーっとタイミングを図っていた。実は8日(日)にも市民の森まで行ったのだが、入口付近の山野草の様子を見て時期尚早と判断して引き返していた。そこで昨日、満を持して出かけてみた。すると、入口のところでニリンソウに歓迎されたことで期待が高まり、市民の森の奥へと足を進めた。

   

    ※ 入口で迎えてくれたニリンソウです。

 私が昨春サンカヨウの群落に出会ったのは盤渓市民の森の南側の最奥部である。そこへ向かってのトレッキングを開始した。すると散策路上にはたくさんの春の山野草が顔を出してくれた。◇タチツボスミレ◇フッキソウ◇ニリンソウ◇サンリンソウ◇ヒトリシズカ◇エンレイソウ、そしてすでに花の時期は終わったと思われていた◇エゾエンゴサクまで顔を出してくれた。   

   

   ※ 淡い薄紫色が爽やかなタチツボスミレです。(下の写真も)

   

    

   ※ フッキソウが花の時期を迎えていました。(下の写真も)

      

   

   ※ よく見ると、ニリンソウではなくサンリンソウでした。

   

   

   ※ サンリンソウをよく見てみると、葉の上に小さな葉柄が出ています。(ニリンソウにはそれがない)

   

           ※  こちらはどちらか分かりませんが、散策路の両脇を覆っています。

    

   ※ ヒトリシズカを大写ししました。普通に撮った写真が見つかりませんでした。

   

   ※ 森の最奥部では、このエンレイソウが最盛期を迎えていました。

    

   

   ※ エンレイソウとともに最奥部ではこのエゾエンゴサクが盛んに咲いていました。

         

 そしてなんと目的の場所に着くはるか前になんと目的の◇サンカヨウが路傍に咲いているのを発見した。これには正直言って驚いた。さらにはたった一輪だったが、あの淡い薄紫色がなんとも言えない◇シラネアオイまで見つけることができた。

   

   ※ 散策路の思わぬところで出会ったサンカヨウです。

   

   

    ※ この日唯一目にしたシラネアオイです。   

   

   ※ このカタツムリはエゾマイマイでしょうか?

 森の奥部へどんどんと進み、標高もかなり高くなった。するとそれまで少なかったエゾエンゴサクやエンレイソウが辺り一面に咲いていた。私はちょっと嫌な気分になった。というのも、エゾエンゴサクは春早くに咲く花である。最奥部はまだサンカヨウの花が咲く時期にはなっていないのではないだろうかと…。

 悪い予感は当たった。喘ぎあえぎ最奥部の群落があったところまでやってきたものの、サンカヨウの葉はたくさん目に入るもののほとんどは花を付けてはいなかった。「やはり早かったか…」と残念な思いだった。

   

   ※ 昨年見つけた群落で唯一見つけたサンカヨウの小さな花です。他は全て蕾か葉だけでした。

   

   

 花のないサンカヨウの傍に長居は無用である。残念な思いを引きずりながら、私は周回コースを先に進んだ。すると!群落のところからそれほど行かないところでなあ~んとサンカヨウが数輪かたまって花を付けているではないか!私は喜んでカメラのシャッターを切りまくった。昨年見た群落のところでサンカヨウの花は見ることができなかったが、代わりのところで見ることができたことを感謝した私だった。

   

   ※ 思わぬところで出会ったサンカヨウの花です。

   

   ※ サンカヨウの花の魅力は雨に濡れると花びらが透明になるところです。

   

   

   ※ 写真のようにサンカヨウが固まって咲いていました。    

 さて、問題はその後である。私は最奥部に至るまでに唯一目にしたシラネアオイをもっと見たいとの思いで、森の中を進んだ。ところが森の散策路の様相が一変したのだ。私が森の最奥部に至るまでは比較的森の南側の散策路を歩いてきた。そこはけっして南斜面ということではなかったのだが、たくさんの山野草の花に出会った。帰路は森の中心部の散策路を下った。すると散策路の様相が一変してしまったのだ。まったく面白みに欠けた散策路だった。山野草の花はほとんど見かけることがなかったのだ。見かけた山野草といえば、花が付く前のマイヅルソウやクルマバソウの類くらいで、シラネアオイなど欠片も見ることができなかった。

   

   ※ クルマバソウの花はまだ蕾状態でした。

 この原因は何なのだろうか?あるいは周りの森林に陽光を遮られるために山野草が生育しづらい環境になっているということだろうか?専門的なことはよく分からないが、同じ市民の森の中でこれほど生育している山野草に違いがあることを今回改めて教えられた思いである。

 ちょっと山オヤジさんが怖いけど(この日も鈴2個を持参していた)私にとってホームゲレンデでもある「盤渓市民の森」にこれからも出来るかぎり出かけたいと思っている。


札幌市のパークゴルフ場めぐり〈34〉拓北公園コース

2022-05-13 09:59:38 | 札幌市のパークゴルフ場巡り

 約8カ月ぶりのパークゴルフだったが気持ち良くプレイすることができた。「拓北公園コース」は、周りに有料コースが多い中にあって無料のコースである。そのためもあってだろうか?コース案内がやや不備のようにも思えた。

         

        ※ パークゴルフコースは「多目的広場」を取り囲むように設定されていました。

 札幌市には私設のパークゴルフ場を除き、札幌市が直接、間接的に運営に関わっている公営のパークゴルフ場が65ヵ所ある。私は一昨年からその全てを巡ってみようと考え実行に移した。当初は2年くらいで達成できるのでは?と考えていたのだが、コロナ禍でコースが一時閉鎖されたことなどから、一昨年には27ヵ所、昨年は6ヵ所を巡るにとどまった。

 ようやく半分を終えたところである。できれば今年中にとの思いもあるが、道は険しそうだ。できるだけ巡りたいとの思いもあり、昨日から今年のパークゴルフ場巡りを開始した。

 リード文にあるように「拓北公園コース」の周りには「茨戸川緑地コース」「東茨戸コース」「福移の杜コース」「篠路コミュニティセンター横パークゴルフ場」と有料コースに囲まれる中、無料コースとして開放されている。コースに伺うと、地元の方が中心に楽しまれているコースのようだった。

   

   ※ 駐車場はしっかりと整備されています。

 コースに伺った時、札幌市が発行する「パークゴルフマップ」によると、コースは9ホールとなっているのだが、実際には18ホール造成されていた。ところがそれが正式なものなのか、それとも地元の要請によって便宜を図った経緯なのか、ティーグランドのコース表示は9ホール分しか表示されていなかった。さらには二つのコースが錯綜しているために、初めて訪れた者にとってはコースそのものが分かりづらかったのが残念だった。

   

   ※ スタート地点にちょっとユニークな形で注意書きが掲示されていました。

 コースそのものは、平坦なホールあり、丘に上るホールありと、変化に富んだコースは興味深いものだった。関係者にはぜひともコース表示に工夫していただきたいと思った。

   

   ※ 第1ホール(パー5)平坦に一直線のコースでした。

 さて、私の成績の方だがあまりこだわってはいない。この日もこの「拓北公園コース」を含めて数コース回ったのだが、私の場合はいつもパースコアの前後である。私はいつも単独プレイであるが、上級者の方々は30を切るのはもちろん25前後を平気で出しているようである。まあ、私の場合は上達を目指しているわけではないので、これからもあまり成績にはこだわらず、楽しみながら市内のパークゴルフ場巡りを楽しみたいと思っている。  

    

   ※ ここは冬のスキー山を利用した丘を上がる第3ホールです。                          

《コース概要等》

〔住      所〕北区拓北5条5丁目

〔コース概要〕・9ホール、パー33 総延長 418m

〔休      日〕月曜日

〔利用時間〕9:00~日没 〔駐車場〕有(32台)

〔プレイ料金〕無料

〔ティーの用意〕無

〔問い合わせ〕北区土木部 ☎771-4211

〔訪問日&私の成績〕22/05/12   32/33 


吉村昭著「魚影の群れ」

2022-05-12 11:09:39 | 本・感想

 「魚影の群れ」は短編4編が収められた短編集だった。その中で最初に収められた「海の鼠」は、実際にあった話をもとにしたもので島全体が鼠に占拠されてしまう話だった。読んでいて身の毛もよだつ恐ろしい話だった…。

         

 上述したように吉村昭著「魚影の群れ」は、動物を仲立ちとした小説「海の鼠」「蝸牛」「鵜」「魚影の群れ」の4編が収録されたものである。

 いずれもが吉村の筆致によって興味深く読ませてもらったが、私は特に最初に収録された「海の鼠」に圧倒された。

 昭和25(1950)年3月、四国・宇和島の先端に浮かぶ小島である戸島が鼠の集団に襲われた。戸島は面積が僅か3km²にも満たない小島で、戸数が当時で416戸だったという。島では気が付いたときには島中がドブネズミに覆いつくされていたというが、その描写を読むだけで寒気がするほどだった。どのような被害があったかというと、島の住民の食料である甘藷、麦、トウモロコシ、大豆など軒並み食べ尽くされ、島の特産物である水産加工物のイリコも狙われた。また家屋や家具がかじられ、天井を走り回って冬眠は安眠妨害にも悩まされた。そしてとうとう幼児の唇がかみ切られてしまうという事故まで発生した。この状況は、札幌で過去に遭ったバッタの襲来より酷い状態にも思える。そうした中、郡や市の担当部署や大学の研究者たちは鼠の退治のためにさまざまな方法を講じるがどれも決定的なものは見つからなかった。例えば、黄燐製剤やデスモアなど薬剤による駆除。弓張式竹罠やねずみ捕網など器具による駆除。ヘビ、イタチ、猫など天敵による駆除。等々考えられるあらゆる駆除法を試したが効果はなかったという絶望的状況が描かれた。

 最後は増える鼠の量に対して、島内の餌が不足するような状況となり、1063年頃になって姿を消したという。実に13年間も島の人たちを悩ませ続けたのである。

 この様子を吉村はこれでもか、これでもか、執拗に描き続け、読む者の恐怖を煽るがごとくの筆致で表現した。短編とはいっても155頁に及ぶ「海の鼠」は吉村文学の中でもかなり上位の支持を得る作品ではないか、と思えた。

 残る「蝸牛」、「鵜」、「魚影の群れ」も読みごたえ十分だった。ただ、「海の鼠」が実際に起こった事件を忠実に再現したのに対して、他のそれはヒントになる出来事はあったようだが、吉村の創作の割合が多い作品だと聞いた。そういう意味ではやりは事実を克明に、迫真的に描いた「海の鼠」が他を圧していたと言える作品だった。