田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

泡沫(うたかた)の夢の跡…

2021-08-21 16:11:31 | 札幌ぶらり散歩 & Other

 東京オリンピックの競歩・マラソン競技に沸いた札幌都心はすっかり旧に復したかと思っていたが、まだまだ復旧作業の真っ最中だった。一方、意外な光景にも出会った。

 男子のマラソン競技を観戦して以来、近所のコンビニに買い物に行くか、清掃ボランティアで戸外へ出るくらいで、ほとんど家を出ることがなかった。

 それが本日、街中へ出なければならない用件があり自転車で出かけた。その帰路、オリンピックのために大通公園に建てられた各種施設はどうなっているだろうか、と気になったので立ち寄ってみることにした。マラソン競技を終え、すでに2週間近く経っているのですっかり片付いて、旧に復しているのではと思っていたのだが…。

 しかし、大通公園に行ってみるとまだまだ元に戻すための工事の真っ最中だった。私は                                                                                   関連施設は大通公園の3丁目広場と4丁目広場に設けられていたと思っていたが、今日行ってみて2丁目広場も使われていたことが分かった。傍にいた警備員に伺うと、2丁目広場は競技役員やボランティアの控室の建物が建てられていたということだったが、まだ金網の柵やプレハブが残っており、最も撤去が遅れているようだった。

   

   

※ 2丁目広場は、鉄柵がまだ残り、プレハブの建物も解体前と最も撤去作業が遅れている?   

 3丁目広場は各国の国旗などが立っていたところだが、もちろん国旗などは片付けられていたが、芝生の上を覆っている鉄板などはまだ敷かれたままだたった。

   

   

※ 3丁目広場は鉄柵は撤去されていたが、大型クレーンなどが残りプレハブ解体が進んでいた。

 最も撤去作業が進んでいたのは4丁目広場だった。周りを囲っていた鉄製の柵は取り除かれ、プレハブの建物なども撤去されて機材などを運び出すだけの段階となっているようだった。

   

   

※ 4丁目広場はプレハブなどはすでになく、作業は機材の搬出だけとなっているようだ。

 考えてみると4日間のオリンピック(札幌の場合)のために一か月以上(二カ月?)前から準備に入り、競技を終えてからも2週間近く経っても元に復していないということだから、改めてオリンピックというイベントがいかに大きく、特別な大会であるかを改めて教えられた思いである。

 いずれにしてもここ一週間以内には元通りの大通公園に復するのではないかと思われる。

 さて、意外だと思ったのは大通公園の10丁目広場に立てられていた「オリンピックモニュメント」である。東京などではすでに撤去され、代わりにパラリンピックのモニュメントが立てられているとニュースが伝えていたので、札幌のものも撤去されたものと思っていたのだが、なんとまだまだ健在(?)だった。今日は土曜日ということもあって人だかりまで出来ていて、ちょっとした観光名所になっていた?いつまで立てておくのだろうか?それとも永久保存?

   

   

※ 腰かけている人たちはそれぞれモニュメントの前に立ち記念写真(?)を撮っていた。

 オリンピックとは全く関係ないのだが、大通公園と道路一つ隔てて立つ北海道を代表する銀行の建物の壁面のウィンドウに日本ハムファイターズナインのプレーする姿がイラストで描かれていた。その中で最も大きく描かれていたのがこのほど巨人に移籍が決まった中田選手のイラストだった。「バチバチはとまらない」という文字と共に…。銀行も突然のことで困惑しているのではないだろうか?

   


日ハム中田、巨人へ移籍!

2021-08-20 17:19:48 | スポーツ & スポーツ観戦

 電光石火の移籍劇である。過日、チーム内で暴力事件を起こし謹慎中だった中田翔選手の巨人軍への移籍が決定したと報じられた。移籍劇の裏には日ハム・栗山監督と巨人・原監督との信頼関係があったとされる。果てして中田翔は再起できるのか?

 本日、「中田選手、巨人へ移籍」のニュースが駆け巡った。球界情報に通じていない私はちょっと驚いた。意外にも早い決着だったからだ。       

 中田はご承知のとおり東京オリンピック期間中の8月4日に函館千代台公園野球場で行われたエキシビションマッチ・DeNA戦の開始前、中田が同僚に対して暴力行為を行い、球団は試合中に球場からの退場と自宅謹慎を命じて調査を実施し、無期限の出場停止処分中だった。

 このニュースに接したとき、私はつくづく中田選手に嫌気がさしたし、そこまで放っておいた栗山監督、球団に対してさえ不信感を抱いてしまった。野球少年たちにとってプロ野球は憧れの世界であり、少年たちのだれもが将来はプロ野球選手を目指したいとする世界である。その世界が暴力に支配(とは多少オーバーだが)されているとしたら…。日本ハムファイターズのイメージはガタ落ちである。

 中田選手について、私は以前からどうしても好感がもてなかった選手だった。それは一つには外観である。よく言われるように金髪に派手なネックレスをじゃらじゃらさせている姿はどう考えても球団の顔に相応しくないと考えていた。そして思うように結果が出なかった後の不貞腐れた態度は見ている方の気持ちまで落ち込ませるものだった。

 とは言いながら、年俸3憶数千万円もの給与を稼ぎ出すほどの活躍を続けてきた選手であったことも間違いのない事実である。その資質を栗山監督は惜しんだのだろう。ある意味で栗山監督の日ハムでの10年は中田を主軸の4番に据えての二人三脚の10年とも言えるものだ。その栗山監督が「中田がこのままで日ハムに復帰することは難しい」と表明し、中田の日ハムでの居場所がないことを示唆した。ここから事態は動いたようである。

   

 結果、巨人は交換要員なしの無償トレードで中田を獲得することになった。野球評論家の高木豊氏は「一番良い形ではないか」と評した。私も同感である。それにしても引退の危機さえ囁かれていたのが、一転20日に謹慎解除となり中田としては本当に「助かった!」という思いだろう。中田がこれまでの態度を真摯に反省し、態度を改め巨人軍の中田として再起してほしいと願う。

 一方、日ハムは中田の存在であるいは委縮していたかもしれない若手が伸び伸びとプレーし、その能力を発揮してほしいと期待したい。

 ここからは私の独断と偏見である。今シーズンで最後と言われている栗山監督であるが、ぜひとも日替わりメニューのような選手起用を止めてほしい。素質充分の王柏融(ワンボーロン)選手と野村祐希選手を辛抱強くレギュラーで使ってほしいと思う。辛抱強く起用し続けることで必ず結果を残す二人だと信じているからである。

     

※ 王柏融選手

  

※ 野村祐希選手


芥川賞を読む〔2〕「貝に続く場所にて」

2021-08-19 15:45:21 | 本・感想

 タイトルは「芥川賞を読む」ではなく、「芥川賞を読めなかった」の方が正しい。本日の拙ブログは屈辱と憤怒の記である。今季文学賞受賞作品「貝に続く場所にて」を読み通すことができなくて、私は今その屈辱と憤怒に包まれている。

         

 文学とは自らの作品を他者に読んでもらうことが第一の目的ではないのか。ところがこの作品ときたら、一般人に読んでもらうことなどどうでもよくて、ただただ芥川賞狙いで書いたのでは?としか私には思えないものだった。この作品をお読みになっていない方に、その出だしを書き写してみる。

 人気(ひとけ)のない駅舎の陰に立って、私は半ば顔の消えた来訪者を待ち続けていた。記憶を浚(さら)って顔の像を何とか結び合わせても、それはすぐに氷のように崩れてゆく。それでも、すぐに断片を集めて輪郭の内側に押し込んで、つぎはぎの肖像を作り出す。その反復は、疼(うず)く歯を舌で探る行為と似た臆病な感覚に似ていた。

 私はこの書き出しの数行を目にしただけで、なんだか嫌な予感がした。するとその後もこの作者独特の言い回しの雨(あめ)霰(あられ)である。とてもストーリーに入っていくことができなかった。その言い回しの2~3を拾ってみると…、

 ゲッティンゲンは時間の縫い目が目立たない街である。ひとつの時間から別の時間へ、重ねられた記憶の中をすいすいと進んでゆくことができる。

 さらには、次のような言い回しのところもあった。

 私たちは多面体の結晶を手の中で転がすようにして、他人の証言的な言葉を集めて覗き込み、この出来事を消化しようとしていたのかもしれない。

 こうした断片的な紹介は、かえって拙ブログを読んでいただいている方を戸惑わせることになってしまうかもしれないが、私はこの作品を通読しようとしてもどうも「お前のような一般人は作品の中に入ってきてくれるな」的オーラが漂っていたように感じ、とうとう途中で投げ出してしまった。

 ところがこの作品について、芥川賞選考委員会の選者からの評は概ね好評だったのだ。先に紹介した「彼岸花の咲く島」より高い評価を受けているのである。これまでの芥川賞受賞作品には同じような傾向は見られたが、この「貝に続く場所にて」はその傾向がより顕著であったように思った。その点では作者のねらいはズバリということなのかもしれない。しかし、そんな選者の中にも私の味方はいた!作家・山田詠美氏は次のように言う。

 (前略)しかし、作者が「文学的」と信じている言い回しが読んでいて照れ笑いを誘う。〈意味の解けた物の塊の映像が別に浮かび上がり、歯痛を真似て疼き出した〉とか。うぷぷ……全然、意味わかんないよ!(後略)

          

 私は拍手喝采した。私だけの独りよがりではなかったことに安堵した。一般に純文学と云われる分野は、私のように文学的な素養の無い者には難解に映る。それでも一億数千万人の日本人の中には一定数の読者が存在しているということなのだろう。しかし、作者の石沢麻衣氏がこれからも同じような文章を紡いでいくとしたらはたして作家として成り立っていけるのかと思ったりしたが、門外漢のいらぬ心配か???

※ なお、8月16日の投稿「芥川賞を読む」で本年度下半期の芥川賞と記したが、上半期の間違いだった。訂正しておきます。


近美を愛するブリリアの会 会報 第244号  

2021-08-18 15:55:42 | ボランティア

 「近美を愛するブリリアの会」の会報第244号を今朝発刊した。会報はブリリアの会の次回活動日をお知らせするのがメインであるが、その他もろもろの情報を会員に届けるのを目的としている。それにしても244号とは塵も積もれば…、である。

 会報はA4版裏表印刷で、上述したように会の活動日を知らせることを主な目的としているために2週間に1度の割合で全会員に届けることにしている。

 今朝発刊した会報第244号の内容はおおよそ次のとおりである。

           

           ※ 会報の表面です。

 表面には、時候の挨拶を交えながら次回第8回目の活動日を8月20日(金)午前6時からに設定したことを伝えている。そして、その下段には、前回第7回目の活動日の様子をレポートした文章を載せている。

 裏面は、今夏の札幌の異常な少雨のことを記録として残すことを主眼とした。その象徴的な情景として拙ブログでもレポしたが、道立近代美術館前庭の芝生の様子を写真と共に伝えた。その下段には「よもやま話あれこれ」と題して、会員の動向とか、私たちが維持管理する花壇の様子など、会に関わるエトセトラを短く伝えるコーナーとしている。今回は会員の方が転居されること、徒長した花の茎を刈り取ったところ再び花を付けたこと、花壇に予想もしていなかった花が生えてきたこと、などを伝えた。

           

           ※ こちらが会報の裏面です。

 これらのことをA4版裏表にまとめ、プリントアウトして会員18戸分をマンション内の郵便受けポストに投函して一巻が終了する。(実はマンションにお住まいでない会員の方も一人おり、その方へは私がお宅まで届けている)

 こんなことをこれまで12年間にわたり244回も繰り返してきたことになる。我ながら「よく続いたもの…」と思うが、私はこの会報こそが「ブリリアの会」をこれまで存続できた源ではないだろうかと考えている。というのも、会員である18戸の方々は全員が活動に参加しているわけではない。会費のみを納入し私たちの活動を後方支援してくれている方もいらっしゃる。また、諸々の事情から年間に2~3度くらいしか参加できない方もいる。常時活動に参加される方は7~10名程度である。ということは、会報が会員全員を繋ぐ重要なコミュニケーション手段となっているのではないか、と私は思っているのだ。

 時おり、会員の方から「会報を楽しみにしています」というような声を聞くときが会報を発行している者にとって何よりの喜びである。

「ブリリアの会」が存続するかぎり、発行を続けていこう!と心に期している私である。

※ ちなみに「ブリリアの会」という名を初めて目にするの方のために説明すると、私たちが住むマンションの近くにある北海道立近代美術館前の歩道を、自発的にかつ定期的に清掃しているボランティアグループです。活動開始以来、今年で12年目を迎えているグループです。


映画 エアーフォースワン №319

2021-08-17 19:30:22 | 映画観賞・感想

 「エアーフォースワン」…、言わずと知れたアメリカ大統領専用機のことである。そのエアーフォースワンがハイジャックされ、大統領自らがハイジャック犯とスリリングな戦いを繰り広げるという奇想天外なストーリーである。

      

 コロナ禍は私をますます家の中に閉じ込める。今日もアウトドアへと思いながらもその思いを果たせなかった。そんな私は毎度のことのようにB Sプレミアムで放送され、撮り貯めておいた映画番組を視聴するくらいしか楽しみはない。

 今回は7月5日放送された「エアーフォースワン」を取り上げることにする。映画は1997(平成9)年にアメリカで制作されたものである。ストーリーはリード文でも触れたが、大統領専用機(エアーフォースワン)がハイジャックされるという奇想天外というか、あり得ない話だと私は思うのだが…。大統領専用機というと、そのセキュリティはおそらく人類が考え得る最高機密となっているはずで、それが簡単にハイジャックされるというところが、いかにもエンターテインメントに徹していることが伺える。

        

※ ハイジャック犯のリーダーイワン役を務めたゲイリー・オールドマン

 私が興味を抱いたのは、エアーフォースワンの豪華さであり、さらにはセキュリティの厳重なことだった。大統領専用機は、もちろん大統領の執務室があり、会議室や随行員が執務できる部屋も完備しているが、もしもの時に備え武器も装備されていることに驚いた。さらに驚いたことは、もしものときに備え緊急脱出用の「脱出ポッド」を備えていたことだ。最後の最後まで国の最高権力者である大統領を護ろうという思想が見て取れた。

     

※ エアーフォースワンには、大統領の妻子も同乗していてハイジャック犯から脅された。

 大統領役を演じたハリソン・フォードはこの時55歳。まだまだ若き大統領である。絶体絶命のピンチに陥りながらも「脱出ポッド」はダミーとして投下し、自らは専用機に残ってハイジャック犯たちと戦うことを選択する。

 大統領が直接ハイジャック犯と戦うということもあり得ない話だと思うが、エンターテイメントとしては面白い設定である。組織化されたハイジャック犯との手に汗握る飛行機内での戦い。あるいは飛行機内の大統領と、アメリカ国内のホワイトハウスに陣取る副大統領(グレン・クローズ)ら首脳たちとの緊迫したやり取りなど、いわゆる「パニック映画」としてはとても楽しめた映画だった。

     

※ 副大統領役を務めたグレン・クローズです。

 しかし、何度も言うがアメリカの大統領専用機がそう易々とハイジャックされるほどセキュリティが甘いとはとても思えない。日本の首相専用機だって同様だろう。ただ、エンターテイメント映画としては、それでも「もしも」を想定してこのような映画を創るのだろうなぁ、と思った。


芥川賞を読む〔1〕「彼岸花が咲く島」

2021-08-16 20:11:50 | 本・感想

 「彼岸花が咲く島」とは、沖縄八重山諸島の「与那国島」がその舞台であろうと思えた。八重山諸島では女性神職「ノロ」を中心とする「御嶽信仰」が古くから信仰の中心である。物語はその「ノロ」を中心とした島の人たちの風俗や生活を描いたものである。

          

 今日もまた外に一歩も出ずに、本年度下半期の「芥川賞」受賞作品の李琴峰(り ことみ)作の「彼岸花が咲く島」を読むことに没頭した。

 芥川賞作品、あるいは純文学を読むとはどういうことなのか?恥ずかしながら私はこの歳になってもこの命題に答えられない。今期の受賞作のもう一つの作品である「貝に続く場所にて」などはその文体にまったくついていくことができなくて、ついには途中で投げ出してしまったほどである。そしてこちらの「彼岸花の咲く島」を先に読むことにしたのだ。

 こちらもけっして私にとって読みやすい作品ではなかったが、前者よりはましであり、読み進むうちに「これは私が訪れたことのある与那国島が舞台である」と確信したあたりから、物語に没入できるようになっていった。

 物語は一人の少女が彼岸花の咲く島に流れ着いたことから始まる。その少女は全ての記憶を失っていたが、発見者「遊那(ヨナ)」によって「宇実(ウミ)」と名付けられる。しかし、二人が話す言葉よく通じない。遊那の話す言葉を、遊那は〈二ホン語〉というが宇実には通じない。宇実の言葉は〈ひのもとことば〉らしいのだ。そこに遊那はもうひとつ自分が習っている〈女語(じょご)〉を持ち出す。この〈女語〉がどうやら〈ひのもとことば〉と共通点があるらしいことに気づき、二人はコミュニケーションを図る。

 いったところから物語は始まるのだが、私にはこれらのことがなぜこの物語の中で必要なのかが今一つ理解できないのだ。このあたりが私の文学的素養の無さなのだが…。

 それより私が興味を抱いたのは物語の舞台である。物語が沖縄の小さな島で東西に長く、南北に狭く、島の最東端を〈東埼(あがりざき)〉最西端を〈西埼(いりざき)〉という呼び方、そして島には三つの集落〈東集落〉、〈西集落〉、〈南集落〉があると物語では表現していたが、実際の与那国島でも順に〈与那国集落〉、〈久部良集落〉、〈比川集落〉の三つの集落しか存在しない。これはもう作者は完全に与那国島を架空の舞台として設定していることが容易に読み取れた。

 物語の方は、島の人たちは生活の中心に〈御嶽信仰〉があって、その中心を司るのが女性の神職「ノロ」である。その「ノロ」になることを「遊那」と「宇実」は願い、願いが叶うという物語なのだが、私には八重山諸島では神道とか、仏教か普及せず、「御嶽信仰」が根強く人々に信仰され続けてきたという八重山諸島の特殊な事情を理解したという            程度のことしか残らなかったのだが、「芥川賞」としてはもっともっと深い意味があって選定されたようなのだが、私にはその良さは理解できずじまいだった…。

        

 なお、作者の李琴峰氏はその名からも類推されると思うが、台湾人の方である。この物語を書き上げるにあたって相当日数にわたり与那国島で生活し、その宗教事情に精通されたのではないかと思われる、その努力には敬意を表したい。


映画 ポセイドン・アドベンチャー №318 

2021-08-15 16:30:12 | 映画観賞・感想

 大型客船が津波によって転覆し、そこからの脱出を図るというパニック映画である。フィクションとはいえ手に汗握る脱出劇は純粋に娯楽作品として楽しむことができた。

        

 1972(昭和47)年に制作されたアメリカ映画で、大ヒットして続編が何本も作られた作品である。7月15日(木)、BSプレミアムで放送されたものを録り貯めておき、昨夜観たものである。

 総トン数81,000トンの豪華客船「ポセイドン号」は1,400名の乗客を乗せ、ニューヨークからギリシアのアテネに向かっての航海中だった。ところが航海中に海中地震が発生し、その影響から大津波が発生したことにより、「ポセイドン号」はあえなく転覆してしまった。映画は1,400名の乗客の中のほんの一部の客が英雄的な牧師の道引きによって、脱落者を出しながらも転覆した船からの脱出に執念を燃やす映画である。その様はまさに「アドベンチャー」そのものだった。

   

 英雄的な牧師フランク・スコットを演じるジーン・ハックマンは言います。「戦おうとしない者は神に見捨てられる」と…。しかし、脱出劇の中で次から次へと襲って来る苦難に対して彼は「あなたはどこまで我々を苦しめるのか。あなたになど頼らないから、その代わり邪魔しないでくれ」と叫び、彼は仲間を助けるために煮えたぎる湯の中に身を投げたのだった。牧師である彼はいみじくも「神は頼るべき存在ではなく、戦うべき相手である」と言っているように思えた。

    

※ 絶体絶命に追い込まれた牧師フランク・スコットは写真の場面で神に対して叫んだあと、力尽きハンドルの手を放し、煮えたぎる湯の中に身を投じたのだった。

 余談ではあるが、この映画の続編「ポセイドン・アドベンチャー 2」の企画が持ち上がった時、ジーン・ハックマンにオファーがあったそうだが、彼はそれを断ったという。本編で亡くなったものが再登場するのは不自然だと感じたハックマンの矜持だろうか?

 フランク・スコットの英雄的な活躍によって、1,200名の乗客の中からわずか6名ではあるが無事に生還することができ、映画はTHE ENDとなった…。楽しめた2時間だった。


ステイホームで私は…

2021-08-14 21:02:47 | その他

 昨日、今日と私はほとんど家を出なかった。このところの札幌のコロナウイルスの感染状況にはさすがに私も恐れおののいている。そんなことで家にいながらブログの投稿内容をあれこれと思案したのだが…。

 最近は毎日のように「さて、今日のブログの話題は何にしようか?」と思い悩む日が続いている。そろそろ連日投稿にこだわらなくとも良いのかな?と考えているのだが、今のところはできるだけ続けたいと思っている。

     

 そこで今日は定期購読している月刊誌「文藝春秋」の9月号に今年下半期の「芥川賞」受賞作の2作品が掲載されたのでその読後感をと思った。そこでまず石沢麻依氏作「貝に続く場所にて」を読み進めることにした。ところが文学作品に全く疎い私にとってこの作品はハードルが高すぎた。まったく作品の内容が私の中に入ってこないのだ。かなり頑張ったつもりだが、今日中に読了することは無理だと諦めた。

    

 そこで急遽予定を変更して、我が愛するJ1のコンサドーレ札幌が本日FC東京と札幌で対戦したのだが、その試合が珍しく地元民放で中継放送されたので観戦した。試合は開始直後2分に相手FC東京に先制点を献上し「これは今日はダメだ」と思ったのだが、なんと追いつ追われつの試合展開となり、FC東京に再びリードされるもまたまた追いつき、最後には決勝点となる3点目を決めて見事逆転勝利を収めた。

 以前のコンサドーレ札幌はJ1とJ2を行ったり来たりのチームだったが、このところはすっかりJ1の常連チームとして定着した感がある。チームの地道な強化戦略が功を奏している感じがある。北海道民としては嬉しいかぎりである。チームを後援する有力企業もない北海道において善戦する「北海道コンサドーレ札幌」をこれからもずーっと応援し続けたい。


古館伊知郎トーキングブルースが待ち遠しい

2021-08-13 19:51:51 | ステージ & エンターテイメント

 「古館伊知郎トーキングブルース2011 in 札幌」が近づいてきた。私にとって彼のトークステージは初めての体験なのだが、いったいどのようなステージになるのかワクワクしながらその日を待っている。8月26日はもう直ぐだ。

   

 札幌も依然としてコロナウイルスの感染者数が高止まりのまま推移している。そんな中、私は悶々としながら家の中で燻っているのだが、今日は一日中パソコンの前に座り古館伊知郎のステージのユーチューブを見入っていた。というのも、8月26日(木)に札幌市民ホールで開催される「古館伊知郎トーキングブルース2021のチケットを購入したからだ。

 彼が早くから「トーキングブルース」と称してステージでしゃべりの芸を披露していることは知ってはいたが、これまで直接聴いてみようとは思っていなかった。ところが確か新聞だったろうか?古館伊知郎が取り組んでいるトーキングブルースについての評論を目にして、たまたま札幌公演が近いことを知ったので「一度、彼の話を生で聴いてみよう!」と思い立った。

 そこで今日、時間を持て余していた私はユーチューブにあげられていた古館伊知郎ものを次から次へと聴いてみた。さすがにしゃべりの達人” 古館伊知郎の話芸は半端ないものだった。まさにマシンガントークの極致ともいえる早口から繰り出す言葉は古館伊知郎しかなしえない技ではないかと思えた。

         

 今日、私は聴いた中では「薬局ドリンク売り」、「しゃべりのマジカルツァー」、「四次元ニュース」などが秀逸だった。さて、26日の札幌のステージではどのような話を聴かせてくれるのだろうか?今からワクワクしている。

 心配はコロナウイルスである。全国ツアーとして回る「古館伊知郎トーキングブルース2021」だが、ツアーの初日に予定されていた東京の8月14日の公演が9月以降に延期になったというニュースを耳にした。札幌は大丈夫だろうか?それが今一番気になっている。   


水は命の源と実感した…

2021-08-12 14:55:13 | 環境 & 自然 & 観察会

 当たり前と言ってしまえば、至極当たり前のことなのであるが、水が全ての命の源であることを実感した。今夏の札幌は稀にみるほど雨のない日が続いた。そのため我が庭とも見ていた道立近代美術館の芝生は完全に枯れてしまっていた…。

 今夏の札幌の過去の天気を調べてみた。すると7月7日から8月3日までの間一滴も雨が降っていない。およそ一カ月近く全く雨が降っていないのだ。その前も6月21日から7月7日の間に弱い雨がぱらついた日が2日あっただけという極少雨の天気が続いた。そのため私は8月1日に投稿したように、我が管理地の花壇に懸命に水遣りを続けた。そのことで花壇の花たちはなんとか命を繋げたが…。

 しかし、その傍にある道立近代美術館の前庭の芝生は乾きに乾き、無残にも芝生の態をなさぬほどに枯れあがってしまった。

   

※ 8月3日に撮った近代美術館前庭の芝生の様子です。

 札幌に恵みの雨が訪れたのは、東京オリンピックの競歩・マラソン競技が終わった8月4日だった。その後10日から11日にかけてしとしとと雨が降り続き一息ついたというのが実状である。

 さて、枯れあがってしまった道立近代美術館の芝生はどうなったか?芝生の表面は確かに枯れてしまったが、芝生は根の部分で逞しく命を繋いでいた。10日の日に芝生の様子を見に行ってみると、ところどころに緑が蘇っていた。逞しい生命力である。本日も再び芝生の様子を見にいくと、さらに緑が増えているように見えた。ダメージが大きかったために簡単には蘇らないかもしれないが、いずれ全面に緑が還ってくるだろう。水が命の源と実感したシーンだった。

   

※ 8月10日に撮ったものです。

   

※ 本日(8月12日)撮ったものです。10日とあまり変わっていないように見えますが…。

 そしてもう一つ。私たちが管理する花壇にもう一つある。そこには主としてアリッサムという小さな花をつける種を栽培している。そのアリッサムは水不足を感知してか、早々と花を付けて散ってしまい、種子を付けて茎が伸び切っていた。私は花壇を整理するには時期尚早と思い伸びた茎を短く刈り切り、そのうえで水を遣り続けた。花は終わっても葉の緑が鮮やかだった。それが!今朝見てみると再び花を付けているではないか!今夏二度目のアリッサムの小さな花びらを見ることができた。素人考えで「あるいは!?」とは思っていたのだが、その思いが的中して密かに喜びに浸っている。 

    

   ※ アリッサムは見事に今夏2度目の花を付けてくれました。