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私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

死をみつめ今を生きる~様々な死生観~

2017-09-28 18:39:29 | 大学公開講座
 長い間アイヌ民族についての研究を続ける講師(本田優子札幌大教授)は、アイヌ民族には独特の世界観があり、学ぶべきことが多いという。また、死生観についてもしかりであるという。死生観ということについて考える機会を得た。 

 札幌大学の公開講座を春学期に続いて、秋学期も受講することにした。
 秋学期のテーマは「地域社会における介護と看取り」と題するものだ。15回全ての講座の受講は無理だと思うが、テーマが私自身にとっても他人ごとではないとの思いもあり、遠い札幌大学まで毎週通うことにした。

 その秋学期が9月26日(火)午前、第1講目が開講した。
 第1講目は、「死を見つめ今を生きる~様々な死生観」と題して、本田優子札幌大教授が担当した。
 本田氏は歴史文化専攻、特にアイヌ民族に関する研究家として名高く、今回のテーマは専門外だが、と断りながらもアイヌ研究を通して培ったことをテーマと結び付けて語ってくれた。本田氏には思うところがたくさんあったようで、時間いっぱい精力的に早口で語られた。そのため、私のメモが追い付かず、本田氏の思いを十分にくみ取ったレポとはなっていないことをお断りしておきたい。

                    

 アイヌはまず「万物が精神性を有している」という世界観に立つということだ。アイヌ語で「シリ コロ カムイ」という言葉があるそうだが、これは「樹木が大地を支える」という意味だそうだ。
 アイヌの人たちは、現代においても「水の神」、「トイレの神」、「ストーブの神」などなど、全てのものに神が宿っているという考え方をするそうである。
 「人ありて神あり 神ありて人あり」という言葉もあるようだ。
 また、アイヌは◇死者・先祖の世界 ⇔ 人間の世界 ⇔ 神々の世界 この間を人々は絶えず行き来するという宇宙観ももっているという。

 そしてアイヌの伝統的な死生観について触れた。アイヌが死を迎えるということは、アフンルパラ(洞窟)から死者・先祖の世界へ行くことであり、その世界では現世と同じ生活が待っていると考えられているそうだ。そのアフンルパラ(洞窟)は道内各地に見られるという。

 さて、現代の普通の日本人の死生観は、死は恐怖であり、闇の中に行く恐ろしさを感じている人が一般的のようである。
 しかし、古くは宗教が今より人々が拠り所としていたこともあり、死ぬということは「自然の中に溶け込むように死んでいく」と考えられていたという。つまり、そもそも「死生観」は日本独自のものであり、生きることは死を受け入れること、とする考え方は日本人の精神性の基調にそうした世界観が息づいていると本田氏は言う。
 本田氏はここにアイヌと日本人との共通性を見ているのだと思われる。
 その根拠についても本田氏は語られたのだが、私がしっかり本田氏の語ったことを受け止めることができなかったので、その部分は割愛することにする。

 本田氏がこの講義で私たちに伝えたかったことは、アイヌ民族の世界観、死生観からは学ぶべき点が非常に多い。そのことを現代日本人はもっと謙虚に学ぶべきではないのか、ということを伝えたかったのだと私は理解した。