人にアドバイス(ファッション、健康法、起業、女性の為の活動が中心)するのを、仕事にしている私ですが…
ただの人間⤴️
今日はわたしの話をしますが、あなたの何かに変換して読んでいただけると嬉しいです。
私はお店を経営して6年です!
お店は借りていますから、お家賃も相当な額になります😅
すべて希望の条件が詰まった!まるで、わたしが!お店をするのを待っていた?なんて思いたくなるような、願いをそのまま形にしたような物件なのですが〜
ふと、我に返って…大丈夫なの❓って、怖くなることがあります。
どんどんと、押し流されるような波に乗っているときというのは、怖がっているヒマなど
ないものです。
怖くなる時というのは💡ある意味、余裕があるときだったりして。
時間的にも、精神的にもヒマなときだったりします💦笑
わたしは、1年前にあたらしい人生のサイクルをはじめたのですが、何かに追い立てられるように、駆り立てられるようにして日々を過ごしていたので、そこでは希望しか見えなくて。
暗闇にいて光のほうを見ていると、光しか見えないものです✨
そして、明るい光の中に身を浸しはじめると
少し前にいた場所を、振り返る余裕が出てきたりして、暗闇の余韻を味わえるようになるというのか⁉︎、
怖がる余裕が出て来るのだと思うのです。
わたしの周りには、光を見つけはじめた方や少しずつ、恐れながら!その光に身を浸しはじめた方、その光の中で恐れを感じている最中の方が多くいらっしゃいます。
わたしも、恐れながら1つ1つ、願いを叶え
1つ1つ、喜怒哀楽し今日を生きています😊
また、怖くなって立ち止まってしまうかもしれないし💦楽しみに震えながら過ごす瞬間があるかもしれないし💦
また、小さい物件にに引っ越すかもしれないし、もっと大きいところに移るかもしれないし、それは!フリーハンド(手帳の活用)で描いたままになるのだろうけど〜
どんなときの、どんな自分も、受け入れて
その自分を認識👁🗨していこうと思います。
小さな自分、弱い自分、できない自分
迷う自分、力なき自分…
そんな自分からは、目をそらしたくなるかもしれないけど
そんな自分を操縦して、らしくないダンスを踊らせたくなるかもしれないけど、どんな自分も見ていてやろう💪と認識していてやろうと思います。
自分を認めよう!とかって言うけど
それって、自分の良いところを見つけて、それを褒めてやる💓みたいな意味として使われているような気がするのです。
自分を認める!って、自分を認識してやる!ってことだと思うのです。
小さな自分、弱い自分、できない自分
迷う自分、力なき自分
どんな自分がそこにいても、それを変えようとせず、それを調教しようとせず、それを監視するのでもなく…
ただ認識していてやり、そうなんだね!と
否定も、肯定も、是正もしないまま
あなた、いま、そうなんだ〜💕と静かに、共に在る。
どんな自分であっても、ただ静かに横に居てくれる人がいたら❗️
そんなありがたいことはないでしょう❓
そんな温かいことはないでしょう❓
そのあたたかさを欲しているのに、欲するがあまり他人にあたたかさを提供せんとして、自分を冷やし続けている人がいかに多いことか💦
わたしも、誰かのとなりに!ただ静かに居たかったのに、それができなかったときは
わたしが、わたしのそばに居なかったからでした😥
他人を温めたいと執着するのは、自分を温めたいからでした。
誰かに向けた目や、誰かに伸ばした手を
自分に向けるのは、かなりの勇気とエネルギーが必要です。
しかし、その目も、その手も!ただ、ひとり
自分に向ける勇気を出し、あなたがあなたのそばに居て、あなたをあなたが、温めるとき
ただ、ひとり、のようで
その熱が近くにいる人を勝手に、温める❗️事に気づいたのが自愛の始まりでした。
自分の良いところ?を、認めよう?としている限り、それに当てはまらない部分を避難し
排除し、認識しないようにしてしまわないかなって。
自分を認識しない、自分を見ないわけですから、たとえば…もっとわたしを見て!もっとわたしを愛して!もっと構って!もっとわかってよ!
みたいな事象を招き入れることになります。
あなたがあなたを認識していない、見ていないことを、他人を通して見ることになるのです。投影ですね💡
誰かに思うこと、誰かに言うことは
自分自身に思われていること、自分自身に言われていること!であることがほとんどです。
さて、あなたはどのくらい自分を認識」 してやり静かに、共にひとり、在ることができていますか❓
それができると、足りないものがなくなるから不思議ですよ😇
ただの人間⤴️
今日はわたしの話をしますが、あなたの何かに変換して読んでいただけると嬉しいです。
私はお店を経営して6年です!
お店は借りていますから、お家賃も相当な額になります😅
すべて希望の条件が詰まった!まるで、わたしが!お店をするのを待っていた?なんて思いたくなるような、願いをそのまま形にしたような物件なのですが〜
ふと、我に返って…大丈夫なの❓って、怖くなることがあります。
どんどんと、押し流されるような波に乗っているときというのは、怖がっているヒマなど
ないものです。
怖くなる時というのは💡ある意味、余裕があるときだったりして。
時間的にも、精神的にもヒマなときだったりします💦笑
わたしは、1年前にあたらしい人生のサイクルをはじめたのですが、何かに追い立てられるように、駆り立てられるようにして日々を過ごしていたので、そこでは希望しか見えなくて。
暗闇にいて光のほうを見ていると、光しか見えないものです✨
そして、明るい光の中に身を浸しはじめると
少し前にいた場所を、振り返る余裕が出てきたりして、暗闇の余韻を味わえるようになるというのか⁉︎、
怖がる余裕が出て来るのだと思うのです。
わたしの周りには、光を見つけはじめた方や少しずつ、恐れながら!その光に身を浸しはじめた方、その光の中で恐れを感じている最中の方が多くいらっしゃいます。
わたしも、恐れながら1つ1つ、願いを叶え
1つ1つ、喜怒哀楽し今日を生きています😊
また、怖くなって立ち止まってしまうかもしれないし💦楽しみに震えながら過ごす瞬間があるかもしれないし💦
また、小さい物件にに引っ越すかもしれないし、もっと大きいところに移るかもしれないし、それは!フリーハンド(手帳の活用)で描いたままになるのだろうけど〜
どんなときの、どんな自分も、受け入れて
その自分を認識👁🗨していこうと思います。
小さな自分、弱い自分、できない自分
迷う自分、力なき自分…
そんな自分からは、目をそらしたくなるかもしれないけど
そんな自分を操縦して、らしくないダンスを踊らせたくなるかもしれないけど、どんな自分も見ていてやろう💪と認識していてやろうと思います。
自分を認めよう!とかって言うけど
それって、自分の良いところを見つけて、それを褒めてやる💓みたいな意味として使われているような気がするのです。
自分を認める!って、自分を認識してやる!ってことだと思うのです。
小さな自分、弱い自分、できない自分
迷う自分、力なき自分
どんな自分がそこにいても、それを変えようとせず、それを調教しようとせず、それを監視するのでもなく…
ただ認識していてやり、そうなんだね!と
否定も、肯定も、是正もしないまま
あなた、いま、そうなんだ〜💕と静かに、共に在る。
どんな自分であっても、ただ静かに横に居てくれる人がいたら❗️
そんなありがたいことはないでしょう❓
そんな温かいことはないでしょう❓
そのあたたかさを欲しているのに、欲するがあまり他人にあたたかさを提供せんとして、自分を冷やし続けている人がいかに多いことか💦
わたしも、誰かのとなりに!ただ静かに居たかったのに、それができなかったときは
わたしが、わたしのそばに居なかったからでした😥
他人を温めたいと執着するのは、自分を温めたいからでした。
誰かに向けた目や、誰かに伸ばした手を
自分に向けるのは、かなりの勇気とエネルギーが必要です。
しかし、その目も、その手も!ただ、ひとり
自分に向ける勇気を出し、あなたがあなたのそばに居て、あなたをあなたが、温めるとき
ただ、ひとり、のようで
その熱が近くにいる人を勝手に、温める❗️事に気づいたのが自愛の始まりでした。
自分の良いところ?を、認めよう?としている限り、それに当てはまらない部分を避難し
排除し、認識しないようにしてしまわないかなって。
自分を認識しない、自分を見ないわけですから、たとえば…もっとわたしを見て!もっとわたしを愛して!もっと構って!もっとわかってよ!
みたいな事象を招き入れることになります。
あなたがあなたを認識していない、見ていないことを、他人を通して見ることになるのです。投影ですね💡
誰かに思うこと、誰かに言うことは
自分自身に思われていること、自分自身に言われていること!であることがほとんどです。
さて、あなたはどのくらい自分を認識」 してやり静かに、共にひとり、在ることができていますか❓
それができると、足りないものがなくなるから不思議ですよ😇