ヒトリシズカのつぶやき特論

起業家などの変革を目指す方々がどう汗をかいているかを時々リポートし、季節の移ろいも時々リポートします

岐阜県中津川市の馬籠宿から馬籠峠を越し、名所の男滝・女滝を見ました

2013年11月21日 | 旅行
 岐阜県中津川市の山麓にある馬籠宿から、長野県木曽郡南木曽町の山の中にある妻籠宿まで向かう、中山道に沿った山道を移動しました。

 馬籠宿と妻籠宿の間は、約8キロメートルのつづら折りの山道です。標高約600メートルの馬籠宿から標高約800メートルの馬籠峠を越えて、標高約400メートルの妻籠宿までの山道を歩く方も多いようです。徒歩で3時間強かかるハイキングだそうです。今回は、高校生の20人ぐらいの一団と外国人の数人が歩いていました。

 馬籠宿の上部にある広場(展望台)からみえる山です。恵那山ではないかと推定しています。



 馬籠宿の上部から山道をさらに上ります。つづら折りの馬籠峠を越えると、緩やかな下りの山道になります。その途中に、中山道の難所だったといわれる男滝・女滝が現れます。

 男滝・女滝の案内版のある山道の脇から急な階段を下りると、馬籠峠側(上側)に女滝が見えます(位置関係は推定です)。





 その下流側にあって、水量を豊かに落としているのが男滝です。



 現在の山道(車道)より下側にある男滝・女滝に近い川沿いの所を、以前の中山道は通っていたようです(中山道の経路は何回かつくり直されたようです)。

 男滝・女滝付近の渓谷は、当時の中山道が険しい山の中を歩く道だったことを示しています。

 山道の道沿いにある男滝・女滝への降り口付近の木々は美しく紅葉しています。



 この男滝・女滝の場所から緩やかな山道を下っていくと、川沿いに妻籠宿が出現します。坂道につくられた馬籠宿に比べて、妻籠宿は川沿いの平らな所に設けられています。妻籠宿の方が平地な分だけ住みやすい感じと思いました。

 江戸時代に、馬籠宿と妻籠宿の間の約8キロメートルの距離のつづら折りだった中山道は、馬籠峠越えがある、なかなか厳しい山道だったように感じました。江戸時代に中山道を歩くことは、現代人からみれば、かなりの難儀だったように思います。