臓器移植…
私は病気になる前は、献血もしていたし、アイバンク、腎バンクにも、ぱぱらっちょを説得して登録していた。
また、脳死移植カードも持ち歩いていた。
最初の病院で訊いたら、もう私の臓器は人の役にたたないらしい。
息子ともこの件に関して、何度か話し合ったことがある。
もともと動物は朽ち果てて、動物や、微生物、植物の養分になって、循環していく…。
「死んで灰になるなら、人の役に立ったほうがいいべ」と私と息子は言っていた。
ぱぱらっちょは絶対反対派だった。
息子には緑内障のお友達がいる。
最近では早期発見し、はやく治療をはじめれば、失明する事は稀だそうだ。
幸いお友達は早期発見で事なきを得ている。
息子は最初、「かあちゃん緑内障ってどんな病気?」と訊いてきた。
「○○がそうなんだって」
私は「白内障と違って怖いと言われていたけど、最近は良い薬が出てるみたいだよ」と言って検索して、息子に読ませた。
少し安心したようだった。
息子の死が告げられた後、私は一度だけぱぱらちょに言った。
「○○の角膜だけでも使ってもらえば、どこかで○○の細胞が生きていられるよ」
ぱぱらっちょは無言だった。私はそれ以上なにも言わなかった。
看取って下さった内科の医師もホッとした表情になった。
(総合病院なのに外科の先生ではなかったのは、今でも心残りだ)
今思えば、私達夫婦の精神的には正解だったと思う。
ただでさえ、息子が私の未知の世界で、苦労していないか案じているのに、その上、ドナーにすることで、不自由な思いをするのでは…と不安が増大する。
特にこれといった宗教を信心していない。
すりこまれた慣習がそういう思いをおこさせるのか?
お金で臓器を買う時代にしているのは、そのような慣習に縛られた、私達のせいかもしれない。
私は病気になる前は、献血もしていたし、アイバンク、腎バンクにも、ぱぱらっちょを説得して登録していた。
また、脳死移植カードも持ち歩いていた。
最初の病院で訊いたら、もう私の臓器は人の役にたたないらしい。
息子ともこの件に関して、何度か話し合ったことがある。
もともと動物は朽ち果てて、動物や、微生物、植物の養分になって、循環していく…。
「死んで灰になるなら、人の役に立ったほうがいいべ」と私と息子は言っていた。
ぱぱらっちょは絶対反対派だった。
息子には緑内障のお友達がいる。
最近では早期発見し、はやく治療をはじめれば、失明する事は稀だそうだ。
幸いお友達は早期発見で事なきを得ている。
息子は最初、「かあちゃん緑内障ってどんな病気?」と訊いてきた。
「○○がそうなんだって」
私は「白内障と違って怖いと言われていたけど、最近は良い薬が出てるみたいだよ」と言って検索して、息子に読ませた。
少し安心したようだった。
息子の死が告げられた後、私は一度だけぱぱらちょに言った。
「○○の角膜だけでも使ってもらえば、どこかで○○の細胞が生きていられるよ」
ぱぱらっちょは無言だった。私はそれ以上なにも言わなかった。
看取って下さった内科の医師もホッとした表情になった。
(総合病院なのに外科の先生ではなかったのは、今でも心残りだ)
今思えば、私達夫婦の精神的には正解だったと思う。
ただでさえ、息子が私の未知の世界で、苦労していないか案じているのに、その上、ドナーにすることで、不自由な思いをするのでは…と不安が増大する。
特にこれといった宗教を信心していない。
すりこまれた慣習がそういう思いをおこさせるのか?
お金で臓器を買う時代にしているのは、そのような慣習に縛られた、私達のせいかもしれない。
何を隠そう、学生時代に某解剖学教室のアルバイトで、検体を預かってくることを仕事としていた主人、そのへんもあったのだと思うけど、義父母は言葉を濁したので、その意思をくみました。
それで良かったのか、今でも悩みます。
どこかで生きてほしい、だけどそのことで苦しんで欲しくは無い。
だけど、「買う」というのは違うよね。
いらっしゃいませ~!
移植…そうなのです。
いづれにしても、後悔したと思うの…。
キリスト教だと神の元へ召され、
お釈迦様は、虎に身を挿し出したし、
日本土着の考え方なのかなぁ~?
でも身内が逆の立場だと、考えも違ってくるかも…。