プチ熟年OL憂さ晴らし記

嗚呼、すまじきものは・・・
憂さを晴らして明日を生き出づプチ熟の情熱駄文。

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命日、思いを馳せる

2005年12月22日 | 心の叫び日記
12月21日は、父の命日だ。
私が高校一年生の時に倒れ、5年間植物状態での入院生活。
享年53歳。

母は父に付き添って、5年間介護をした。
現在のように、介護士等による手厚い介護・看護を受けられない時代の話だ。
家族がいるなら、家族が介護をするのが当然。
家族が倒れるまで、介護をしなければならない時代である。
さぞかし母は大変であっただろう。

高額な医療費を払うため、子供を育てるため、生活をするために朝から晩まで母は働く。
合間をぬって、一日に何度も病院に通う。
今に思えば、よく体を壊さなかったなぁ・・・と、思う。
本当に、母には感謝あるのみだ。

年の離れた弟の世話は私の仕事になる。
冬の寒空の中、小さな弟の手を握り、一緒に買い物に行く。
握り締める小さい手は、弟の幼さを痛感させる。
「お父さんが死んだら、お父さんの記憶は残らないんだろうなぁ・・・」
そんなことをよく考えた。

母や私がいない間、弟は一人で家で過ごさなければならない。
子供に火を使わせたくないと考える母は、弟の食事やおやつを事前に作ってからでかけた。
お金のかかるものは作れなかったのだろうなぁ。
いーっつも「おにぎり」だった。
私が作るご飯も、いーっつもおにぎりだった。
今現在、弟の嫌いな食べ物は「おにぎり」である。
それぐらい、いーっつもおにぎりだったのだね。

母は何も言わなかったが、どんなに働いても生活は苦しかったはずだ。
父は大の保険嫌いであったため、ひとつも保険には入っていなかった。
少しでも入っていてくれたら、もう少し良い病院に入れられただろうに、もう少し
ましな生活が出来ただろうに、っと思う。

こんなことがあった。
私は進学を希望していたが、それにかかる費用についてはあまり考えなかった。
お父さんが貯めたお金があって(実際には入院費で使い果たしていたのだが)、
お母さんが働いてくれているお金があって、自分でアルバイトをしたお金があれば大丈夫って、安易に考えた。
しかし、そうではなかったのだな。
生活は非常に困窮していた。
そこへ、私の進学問題。
母は、父方の親戚に助けを求めたらしい。
この数年、誰の助けも求めなかった母だから、この時、本当に困ったのだろう。

ある日、父方の親戚の一人から電話がかかってきた。
「貧乏人は貧乏人らしい生活をしろ。進学なんて以ての外だ。」と怒鳴られた。
怒鳴られたと言っても私ではない。
まだ小学生の弟が怒鳴られた。

悔しかった。
貧乏人って言われたことも悔しかった、貧乏人は勉強するなって言われたことも悔しかった。
でも、自分の家の現状を知らなかったことがとても悔しかった。
このことがあってから、私はいろいろと勉強した。
勉学ということではなく、どうすれば学費を工面出来るかを勉強し調べた。
誰かに頼ろうとするから、誰かが腹を立て、誰かが泣き、誰かが悔しく辛い思いをするんだ。
自分で出来ることは自分でする、それが出来ないならば進学は今は諦めよう。
然し、幸いなことに真面目で成績が良かった私は(ここ強調!<笑>)、この問題をなんとか乗り越えることが出来た。

少しずつ大人になり、社会というものが、大人というものが、どういうものなのかがわかった。
しっかりものの母だと思っていたが、実はそうではないこともわかった。(笑)
「ものを知らない」ということが命取りになることもわかった。
これからは、私がしっかりせねば、っと思うようになった。
12月21日、父を弟と二人で看取ってから(たまたま母は出かけていなかった)、その思いはますます強くなる。

月日は流れ、弟も大きくなった。
顔も声も思い出せない父の死の影響か・・・医学部を受験すると言い出した。
おっと、待ってくれよ!と言いたかったが、そこはグッとこらえ私は承知した。
弟の高校の費用は私が出していたが、私がそうであったように、大学費用は弟自身が自分でなんとかするだろうと考えていた。
しかし、違うらしい。(笑)
大学付属の高校に行かせたが、他校を受験することとなった。
無茶を言わなきゃ、楽に進学出来たのに、姉の気持ちを考えぬ愚か者め。

知らなかったのだが、医学部の受験料って高いのね。
当時、普通の学部の3倍以上するところがほとんど。
そんなものを5校も6校も受けられた日にゃぁーーーー、半年間、死に物狂いで貯めたお小遣いがあっという間に吹っ飛んだ。(涙)
でも、笑顔で受験料を差し出したよ。
ホント、優しい姉だ。

結果は、全滅。
当たり前。
でも、ホッとしたぁ。
受かられたら、それはそれで困ったし。(笑)
だが、ホッとしたのもつかの間・・・自分の希望の学部に行けないのなら好きな方向に行くと言い出し、芸術系へ。
あんた、もっと手堅く生きてよ、って言ってみたものの後の祭。
芸術系に突っ走った。
弟よ・・・芸術も医学同様、かなりお高いのよね・・・わかってるかい?
そんな私の心の言葉は、彼には届かなかったようだ。

斯くして、弟は自称芸術家となった。
30歳までは好きにさせて欲しいと勝手なことを言っているが、あんた、時間はもうないよ。
それから、今までに使った学費は必ず返すと言っているが、本当か?
一筆書いてもらいたいものだ。
取り敢えず、今貸している5万円を早めに返して下さい。


お父さん、

私達、なんとかやってます。
お母さんの借金、来年には片付きそうです。
あれでよかったですよね?
弟の生活も、未来が見えてきそうな気配です。
あの子はあの子で頑張っているから、もう少しだけ応援してみようと思います。
いろいろ嫌な思いをしたり、困ったこともたくさんあったけれど、今は自分の力で解決出来る自信があります。
もう、心配いりませんから。
休みになったら、お墓参りに行きます。



またね。
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