神戸まろうど通信

出版社・まろうど社主/詩と俳句を書く/FMわぃわぃのDJ/大阪編集教室講師など多様な顔を持つ大橋愛由等の覚え書き

琉球共和社会憲法試案の紹介

2007年06月17日 23時28分03秒 | 思想・評論
今年一月から続いている〈FMわぃわぃ ステーションメッセージ「日本国憲法を読む」〉の第六回目の番組(〈6月17日(日)〉午後3時から55分間)を私が担当しました。(再放送は、27日(水)午後9時からです)

このシリーズは、いま改憲論争が盛んな折、果たしてその風潮が正しいのかどうか、もういちど立ち返って考えて行こうとするメッセージ性の強い番組です。今年1月から月一回の放送で始まり、今月はわたしが担当したのです。
また、このシリーズの過去の番組と、わたしの生の声は、ボッドキャスティング対応のブログ http://ken-po.seesaa.net/ で聞けるようになりますので、。

◆今回のテーマは、「戦後 もうひとつの創憲〈沖縄からの問いかけ〉」。

◇戦後の日本で、今の憲法とは違うもうひとつの別の憲法をつ
くろうとした動きを紹介します。

◆ただそれは、今の憲法をいわゆる「マッカサー憲法」とか「押し付けられた憲法」であると規定する立場の人たちが作ったものではありません。今の憲法そのものと、その憲法を生みだした戦後の日本社会に立脚しながらも、やむをえず作り出さざるを得なかった創憲の行為であったのです。

◇取り上げるその憲法の試案とは、1981年に沖縄で考え出されたものです。「琉球共和社会憲法」という名前です。川満信一氏という思想家が考えだしたものなのです。その憲法試案が訴えようとした内容を紹介しながら、発表されてからちょうど26年たった今の時点で、なにをわれわれはその憲法試案から汲み取っていくのか、また、この憲法試案を取り上げる意味がどこにあるのかを、考えていきます。

◆ここで、私の番組主旨をもう一度繰り返しますと、決してこの「琉球共和社会憲法」が「日本国憲法」の反措定として立ち上がったものではないということを、強調しておきたいと思います。沖縄の人たちの「日本国憲法」にかける思いは、強いものがありました。それは、1972年に沖縄が日本国へ「復帰」する直前に書かれた以下の文章でもはっきりしています。

「日本人に25年前(大橋註/1945年のこと)に与えられた自由と
民主主義を、25ヵ年かかっても、琉球人は、必死の努力の連続
にもかかわらず、まだ形だけでも獲得しおえていない。琉球人
が、日本の憲法を読むとき、占領軍政下で、いかに琉球内で努
力しても、日本の憲法に盛られた民主主義と同質同量の民主主
義を、琉球内に実現することが不可能なことを、あらためて思
い知らされるのである。日本人が25年前から無条件に享受して
いるものを、闘っても闘っても、ついに得られないという絶望
感は、おそらく琉球人だけのものであろう。自由なく、人権な
き異常な状態の下に、たえず自由を求め人権を闘いとるという
日常生活、これが琉球現代史の正常な側面なのである。
「『琉球人』は訴える」/平 恒次(イリノイ大学労働・労使
関係研究所)/中央公論1970年11月号所収

◇国民主権、自由、民主主義という戦後の本土(ヤマト)社会が享受したごく当たり前の光景があります。そうした社会の実現に法的根拠を与えた「日本国憲法」の存在は、沖縄の人たちにとって、まぶしい存在であり、「希望のテキスト」だったのです。

◇同じ「戦後」という時代でも、本土(ヤマト)と沖縄はアメリカの支配態度が大きく異なっていました。本土(ヤマト)では、いわゆる当時の良質な部分の民主主義を社会の諸制度に反映しようとした連合軍総司令部(GHQ/SCAP)の姿勢に対して、沖縄では、米軍=軍隊が統治するというまさに占領地統治が貫かれたのです。軍事政権の本音が象徴的に現れるのは、銃剣とブルドーザーによる基地建設のための強制的な土地接収です。沖縄は軍政を基本とした統治を背景としているために、民主主義的な要求は米軍政府に受け入れられず、米兵による暴力被害も頻発していました。また、日本本土と違って、沖縄の民族資本を育てるという積極的な姿勢は米軍政府によっては見いだされず、沖縄を米国資本が生みだした産品の消費地として位置づけ、対ドルの為替レートも1$=360円といった本土(ヤマト)レートとは別に低く設定されていたのです。

◆そうした「復帰」に向けた希望をいだく中、次第にその「復帰」の中身が明らかになっていくと、沖縄の人たちが欣求した「本土並み」とはほど遠いものであることが分かり、絶望感が広がって行きます。そこで沸き上ってきたのが「反復帰」の思想です。1971年に新川明氏が主張している言説を引用しましょう。「少なくとも私が「反復帰」という時の「復帰」とは、分断されている日本と沖縄が領土的、制度的に再統合するという外的な現象を指しているのではなく、それはいわば、沖縄人みずからすすんで〈国家〉の方へ身をのめり込ませてゆく、内発的な思想の営為をさす。その意味で「反復帰」とは、すなわち個の位相で〈国家〉への合一化を、あくまでも拒否しつづける精神志向といっても差し支えない―」(『反国家の兇区』から)。ここで新川氏が提示していることで注目したいのは、沖縄の復帰が「日本国への再併合」であるかどうかというという沖縄内部の論争をもう一歩すすめて展開していることです。つまり、沖縄(人)に徹底した同化を求め、沖縄(人)からも内発的な同化をすすめていく〈日本(ヤマト)〉という存在の原基である〈国家〉そのものを撃つのです。「反復帰すなわち反国家であり、反国家民志向である。非国民として自己を位置づけてやまないみずからの内に向けたマニフェストである」(同上)と新川氏は続けます。

◆沖縄は1972年に「復帰」を果たしたものの、米軍基地は減らず、日米安保・地位協定の運用という超憲法的解釈にもとずき、米軍の沖縄に対する規模はもちろんのこと、態度・姿勢は変わることはなかったのです。反対に沖縄は基地依存の経済体制から脱出できないまま、日本政府からの膨大な公共工事が投下され、その依存度を高めて行きます。そうした環境のなかで、復帰から10年を迎える前年に、「琉球共和社会憲法試案」が生まれたのです。

◆これは、『新沖縄文学』という文学と思想・評論の総合月刊誌の第48号、1981年6月30日発行に掲載されたものです。いまからちょうど26年前ですね。

二つの憲法私案が掲載されています。
・琉球共和社会憲法C私(試)案(川満信一1981)4章56条
・琉球共和国憲法F私(試)案(仲宗根勇1981)
番組で紹介した「C私(試)案」と「F私(試)案」を比べてみると、「共和社会」と「共和国」という大きな違いがあります。わたしが番組で紹介したのは、共和社会を謳った「C私(試)案」です。ここには、復帰前に展開された〈反復帰/非国民の思想〉という沖縄から発せられた国民国家に対する根元的な異議申し立てをみることが出来ます。この試案の前文を紹介してみましょう。


◆琉球共和社会憲法C私(試)案/川満信一『新沖縄文学1981年6号』

一、琉球共和社会の全人民は、数世紀にわたる歴史的反省と、
そのうえにたった悲願を達成し、ここに完全自治社会建設の礎
を定めることを深くよろこび、直接署名をもって「琉球共和社
会憲法」を制定し、公布する。

全人民署名(別紙)


(前文)
 浦添に驕るものたちは浦添によって滅び、首里に驕るものた
ちは首里によって滅んだ。ピラミッドに驕るものたちはピラミ
ッドによって滅び、長城に驕るものたちもまた長城によって滅
んだ。軍備に驕るものたちは軍備によって滅び、法に驕るもの
たちもまた法によって滅んだ。神によったものたちは神に滅び
、人間によったものたちは人間に滅び、愛によったものたちは
愛に滅んだ。
 科学に驕るものたちは科学によって滅び、食に驕るものたち
は食によって滅ぶ。国家を求めれば国家の牢に住む。集中し、
巨大化した国権のもと、搾取と圧迫と殺りくと不平等と貧困と
不安の果てに戦争が求められる。落日に染まる砂塵の古都西域
を、あるいは鳥の一瞥に鎮まるインカの都を忘れてはならない
。否、われわれの足はいまも焦土のうえにある。
 九死に一生を得て廃墟に立ったとき、われわれは戦争が国内
の民を殺りくするからくりであることを知らされた。だが、米
軍はその廃墟にまたしても巨大な軍事基地をつくった。われわ
れは非武装の抵抗を続け、そして、ひとしく国民的反省に立っ
て「戦争放棄」「非戦、非軍備」を冒頭に掲げた「日本国憲法
」と、それを遵守する国民に連帯を求め、最後の期待をかけた
。結果は無残な裏切りとなって返ってきた。日本国民の反省は
あまりにも底浅く、淡雪となって消えた。われわれはもうホト
ホトに愛想がつきた。
 好戦国日本よ、好戦的日本国民者と権力者共よ、好むところ
の道を行くがよい。もはやわれわれは人類廃滅への無理心中の
道行きをこれ以上共にはできない。


◇この前文に、川満氏の思想と文明観が凝縮されています。そして言葉運びも、詩人らしい文学的な表現ではないでしょうか。「浦添」「首里」は、沖縄の歴代王朝の拠点であり、こうした王朝に近代以前であれ、抑圧機構としての〈国家〉の姿を見いだし、そして川満氏の出身である〈宮古〉からの〈沖縄〉を相対化する視線という二重の文化コードを読み取ることが出来ます。つまり川満氏の視点からは、沖縄の自立や独立の論者が歴史的な沖縄の政治的自律性の事実としてあげる琉球王国の存在ですら、相対化の対象となるのです。

◇川満氏が、沖縄本島の出身ではなく、先島といわゆる「離島」の宮古出身であることに注目する必要があります。沖縄は、日本国にあっていわゆる「辺境」に位置づけられるとすれば、その沖縄にとって宮古は「辺境」なのです。この二重性が川満氏の思想と表現を形成する大きな要素となっているのです。つまり、宮古・八重山は、沖縄つまり首里王府から差別を受けてきたという沖縄の中の差別の多重性が背景にあるのです。沖縄にあって、無条件に沖縄の来し方/ありようを賛美したり、オマージュの対象としないという思想家としての厳しい態度を見ることが出来るのです。

◇そして「落日に染まる砂塵の古都西域を、あるいは鳥の一瞥に鎮まるインカの都を忘れてはならない」。といった件りは、先の戦争で沖縄が地上戦の舞台となって焦土と化し、多くの民間人が犠牲になった事実を踏まえていることが確認できます。またその次の、「否、われわれの足はいまも焦土のうえにある」といった言葉は、1995年1月17日に震災によって都市機能が一挙に機能不全状態となった神戸のことでもあるのです。つまりわれわれ神戸の人間も「焦土」の上に立っているのです。しかし、震災の後、国家はわれわれになにをしたのでしょうか。多くのボランティアに支えながらも、ひとつの大きな教訓として立ち上がったのは「日本国は日本国民を救わない」という冷厳な事実ではなかったでしょうか。この「日本国は日本国民を救わない」という事実は、沖縄のひとたちがすでに先の戦争で経験していたことなのです。ヤマト、日本本土に住むわれわれは、沖縄の痛みを、戦災と天災という大きな違いがあるものの、いちど焦土になるという同様の被害を受けて初めて、その「共苦」を分かちあえるのかもしれません。


◇「復帰」から10年を迎えようとしている時、沖縄の人たちが抱いた「本土並み」という幻想が崩れるばかりか、「われわれは非武装の抵抗を続け、そして、ひとしく国民的反省に立って「戦争放棄」「非戦、非軍備」を冒頭に掲げた「日本国憲法」と、それを遵守する国民に連帯を求め、最後の期待をかけた」と悲痛な叫びを発するのです。こうした言説は先にも紹介しましたように、沖縄の人たちにとって、「日本国憲法」が「希望のテキスト」であったことが強く表れているのです。しかし、期待は裏切られ、沖縄の現実は変わりません。「日本国民の反省はあまりにも底浅く、淡雪となって消えた」の箇所は、今の私の心にもずしりと突き刺さります。

◇「好戦国日本よ、好戦的日本国民者と権力者共よ、好むところの道を行くがよい。もはやわれわれは人類廃滅への無理心中の道行きをこれ以上共にはできない」の表現もインパクトがあります。主権在民、自由、民主主義を享受する戦後社会を実現
し、そしてその法的根拠である「日本国憲法」を持ちながら、日本国/人は、他者/アジアに向かっては、暴力的な側面、好戦性をむき出しにするというダブルスタンダードを、行使しているのです。ここに、「戦後日本」という国家と社会のありかたについて、沖縄という〈他者〉から強烈な異議申し立てがにされているのです。
川満氏はこうした日本国/人と訣別して、どこに向かおうとしているのでしょう。「琉球共和社会憲法私案」の続きを追ってみることにしましょう。

◆第一章
(基本理念)
第一条 われわれ琉球共和社会人民は、歴史的反省と悲願のう
えにたって、人類発生史以来の権力集中機能による一切の悪業
の根拠を止揚し、ここに国家を廃絶することを高らかに宣言す
る。
 この憲法が共和社会人民に保障し、確定するのは万物に対す
る慈悲の原理に依り、互恵互助の制度を不断に創造する行為の
みである。
 慈悲の原理を越え、逸脱する人民、および調整機関とその当
職者等のいかなる権利も保障されない。

第二条 この憲法は法律を一切廃棄するための唯一の法である
。したがって軍隊、警察、固定的な国家的管理機関、官僚体制
、司法機関など権力を集中する組織体制は撤廃し、これをつく
らない。共和社会人民は個々の心のうちの権力の芽を潰し、用
心深くむしりとらねばならない。

◇考えてみると、「日本国憲法」が、〈国家の非武装〉を謳ったとすれば、この「琉球共和社会憲法(試案)」は、〈国家そのものの解体〉という一歩進んだ様相を提案しているのかもしれません。川満氏にとって、憲法私案は、あくまで「国家」ではなくて、「共和社会」のものでなくてはならないのです。

◇ここで国家のありよう、つまり国民国家(nation-states)についておさらいをしていきましょう。「日本国には日本語を話す日本人が住んでいる」という一見当たり前に思えてしまうこの状態を作りだしたのが、国民国家の意思なのです。明治の近代国家が誕生するまでは、いわゆる日本列島(ヤポネシアと言い換えても可)には、さまざまな人たちが住んでいましたが、それを「日本語を話す日本人」に仕立てたのが、日本国の国家
運営をになう者たちの意思あり、それを内発的に支えた「国民」でした。その「日本語をしゃべる日本人」が確立していく過程で、抑圧・排除されていったのが、沖縄やアイヌ、在日のひとたちであるのは、言を待ちません。沖縄はさらに琉球処分に
よって、「琉球国」が「琉球藩」にされたすぐ後で廃藩置県によって「沖縄県」になるという国家の消滅まで至っているのです。沖縄における日本(人)への同化傾向は、奄美と共に、他の本土の地域に比べても、その内発力は強いものがありました。つまりヤマトからの強烈な遠心力(沖縄ことば・習俗・慣習の禁止)と求心力(同化)が同時に働いていたのです。

◇川満氏にとって、国家というものがあるかぎり、他の国家に対してばかりでなく自国民に対しても、その暴力性を発揮してしまう。そういう国家は、亡くしてしまって〈共和社会〉を創出したらいいのではないか、と唱えます。またこうも言います。「少数民族が大変な努力をして独立国家を持ったとしても、その国家が、近代主権国家と原理的に変わらず、先進的な現在国家群をモデルにしていくのであれば、その少数民族国家の未来はかえって希望のないものになるのではないかとみるんですね」(『ザ・クロス 21世紀への予感』沖縄タイムス社 1988 p34)。沖縄の人口より少ない太平洋の島嶼が国家を形成していることもあり、100万人以上あるその数は一国家を形成するのには、決して少なくはないのです。しかし、川満氏は「国家という病理」を見抜くのです。


◇それでは国家というフレームがないその〈共和社会〉に「参加」するのはどうしたらいいのでしょう。川満氏はこう語ります。「アメリカに国籍をもっていようと中国であろうと、どこに国籍をもっていよと構わない。その人間が「琉球共和社会憲法」の主旨に賛同して、自分もこういう憲法のもとで人民になりたいというのであれば、その人は登録によって、琉球人民社会の一員に加わることができる。ただし、この憲法には最初から「国」はないわけですから、現在の世界が定めている国籍法には触れない」(『新沖縄文学1981年6号』)。

◇この考えは、ひょっとしたら、国民国家を越えるひとつのヒントになるかもしれません。つまり、所属する「国籍」はどうあれ、「琉球共和社会憲法」の主旨に賛同すれば、琉球人民社会の一員になれるというものです。この考えは、やはり同じく沖縄の思想家である高良勉氏の「琉球民族意識を共有した国籍を越えた連帯」に受け継がれています。

-----------------------------------
◆番組では、まだまだ語りたいところがありましたが、以上の箇所の紹介と解説をしたところで、終わりました。また、川満信一氏のこの「琉球共和社会憲法(試案)」についても、さまざまな角度からの異見があることも承知していますし、番組あるいは私の文章を読んで異見が発生するでしょうが、「日本国憲法」の姿をもういちど問い直す意味で、沖縄からの熱いまなざしを提示してみました。いまこうした沖縄や、アジアからの「日本国憲法」に対するまなざしを、われわれが今内在化しないかぎり、川満氏が撃つ「日本国」が近隣諸国・地域に向けた暴力性に加担しつづけることになるのでしょう。
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12 コメント

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Unknown (上原卓)
2010-05-18 22:55:27
共和国、共和社会と言えば、日本も天皇制を廃止して共和制に移行すべきだと思います。なぜかというと皇室は世襲であり、天皇家の長男が自動的に世継ぎとなるため、職業選択の自由などの自己決定権がなく、どう考えても人権が侵害されているからです。今日憲法改正のための国民投票法が成立しました。憲法改正の際にはぜひ天皇制も廃止してほしいものです。

琉球共和国独立は実現するのは難しいですが、沖縄に米軍基地が74%も押し付けられ差別されているので、独立したほうがいいと言えばそう思います。そのかわり、昔の琉球王国みたいに君主国として独立するのには断固反対です。前述の通り、世襲制度は人権に反しますから。
空想的社会主義だ (keenilai)
2010-11-29 15:37:45
川満の論は、まさに空想的社会主義そのもの。世の中にいろいろ貧困やら、抑圧やら、無慈悲で苦しんでいる人がいると言うのに、机上の空論を弄して悦に入っているのは知識人の務めをを放棄したも同然。もっと現実的な提案をして世間に提起し、公儀に問うべきであって、私的な商行為を禁止するなど、共産主義国家が実験してすべて破綻した歴史を全く無視しての暴論に過ぎない。
反復帰論など批判 (kenilai)
2010-11-29 15:49:28
新川明、川満信一らの反復帰論は、反日、反自民、ヤマトコンプレックス、インテリぶり病のごった煮といっていい。
島尾敏雄のヤポネシア論からの展開だといっているようだが、島尾の論に「反復帰」や「反国家」や「反権力」は含まれていない。日本国をもっと多層的、多重的に見て、ヤマト中心史観からの脱却を促したことに沖縄人の一人として感謝している。しかし新川らのように、反国家を主張するなど、全くの空論でしかない。反国家なら、大城常夫が批判したように、独立か、自治州か、一国二制か、自治権拡大か、もっと具体的に論を組み立てるべきである。
新川明、川満、高良勉批判その2。 (kenilai)
2010-11-29 16:13:59
かつて資本主義社会が、資本家による、或いは権力者による、一般大衆への抑圧、搾取が広く行われていたころ、そんなひどい状態を変革しようとさまざまな論が展開され、運動も展開された。空想的社会主義もいろいろな実験を行い、失敗していった。そして最後に出て来たのが科学的社会主義を標榜したマルクス・エンゲルスだった。その思想を元にソ連が出来、東欧諸国で共産国家が成立し、毛沢東の中国が成立し、北朝鮮、ベトナム、カンボジア共産政権が成立した。そしてその結果はソ連、中国でそれぞれ数千万の餓死者を出した。北朝鮮はいまだに共産主義を継続し、餓死者を出している。新川明、川満信一、高良勉は空論を弄さず、世界の歴史と現実を踏まえた論を展開すべきである。この人たちは文章がウマイので結構若者に受けるので厄介ではある。適宜批判を加えておく必要があると思い投稿します。
中国の民主化と反復帰論 (kenilai)
2010-11-29 19:27:56
中国では97年の天安門事件以来、大きな民主化運動は押さえ込まれていますが、民主化への希求は社会全体としては潜伏しているだけであって、なくなったわけではありません。今この東アジアでもっとも求められているのは、中国や北朝鮮の民主化です。アジアの人民がみんな普通に交流し、たがいに投資したり、留学したり、共同研究をしたり、芸能スポーツなどで交流したり、互いが庶民レベルで交流を深めていけば戦争はおのずと解消される方向に向かうのだと思います。それを妨げているのが独裁体制なのです。反国家論など夢のようなことをいわず現実的な提言をすべきです。新川明などは。
中国の民主化と反復帰論再論 (kenilai)
2010-11-29 19:37:10
前回天安門事件を97年としましたが、89年の間違いです。すみません。
再論しますと、日本は戦後民主国家に生まれ変わったと言えます。いろいろ不備な点、おかしな点があるのは確かにその通りです。しかし世の中にそんなユートピアのような国、或いは地域があるでしょうか。日本国は民主国家です。沖縄に米軍基地を押し付けている本土の国民は民意とはいえ自分勝手です。民主的だといっても多数決で厄介なものを沖縄だけに押し付けるのはひどいものです。米軍基地の抑止力を評価しますが、沖縄の過重負担は絶対認められません。イチかバチか自主防衛でやってみららどうでしょうか。
詩人とユートピアと現実社会 (kenilai)
2010-11-30 17:31:21
詩人ないし小説家などは夢と現実の区別を知らないのか。現実に生きている一般人はとりあえず詩や文学と関係のないところにいる。
まず、衣食住を整えるのにヤッキだ。政治はまず一般大衆の衣食住を整えるのに心血を注ぐべきである。その衣食住が整っていなければ、インテリはそれを指摘し、政治家ないし官僚群に提起し、設計図を示して訴えるべきである。勿論、設計図まで行かなくてもいい。構想図でもいい。しかしそれは次第に設計図になり施工図になり、完成予想図とならなければならないはずだ。川満、新川らの論のどこにそんな完成予想図があると言うのだろう。ただ、ウチのだんながあんな人だったらいいのに、こんな人だったらいいのにという不平不満に過ぎない。こんなことでは沖縄はいつまでたっても現状を変革する力を持つことは出来ない。
東アジアの平和 (kenilai)
2010-11-30 23:12:52
東アジアの平和を阻害しているのが北朝鮮と中国という独裁国家の軍事だ。決して米軍がいるから脅威があるのではない。米軍駐留は私にとっても愉快なことではない。ましてや沖縄は74%も過重負担しているのだ。しかしだからといって米軍基地撤去、日米安保廃棄というわけには行かない。日米安保体制でいくか。自主防衛でいくかしかない。もうひとつは北朝鮮、中国の民主化運動を支援し、一日も早く民主化してもらう以外に手がないと思う。
新川明の反国家論批判 (kenilai)
2010-11-30 23:36:14
新川明によれば「反復帰」は「反国家」「反中央」「反権力」だという。この中で具体的なのは、「反中央」だけである。反中央の対極にあるのは、地方分権やら自治権拡大やら、道州制やら、自治区成立やらを想定できるだろう。しかし、いったい反国家とか反権力とは何を言うのだろう。新川によれば「反復帰」は琉球独立でもないと言う。日本への統合に反対し、琉球独立でもない、そんな道がどこにあるというのか。空論もはなはだしい。中国では「琉球を取り戻そう」とか「沖縄を解放しよう」と叫ぶ連中がいる。噴飯モノと言わざるをえない。沖縄は日本の中にあって、特殊な歴史を歩んできた地域。独自性、個性を発揮できるような文化政策、教育政策、歴史教育政策などが結実したとき、分離独立論などの空論は霧散していくだろう、と私は思う。
琉球共和社会憲法? (kenilai)
2010-12-02 16:02:16
川満は言う。
 『どこに国籍をもっていても構わない。その人間が「琉球共和社会憲法」の主旨に賛同して、自分もこういう憲法のもとで人民になりたいというのであれば、その人は登録によって、琉球人民社会の一員に加わることができる。』
 それはなんらかの宗教(或いは思想)団体でいいじゃないか。またそういう風にしか成立しないはずだ。ただ机上の空論を弄んでいるに過ぎない。新川や川満はイッタイ何をしたというのだろう。せいぜい左翼界で一定の影響を与えただけじゃないか。沖縄問題は一向に進展していない。基地問題も、高い失業率も、オキナワアイデンテテイの出口も。

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