ちょっと、標題からはずれる内容になるかもしれない。
言葉の威力、言霊・・・・一撃に、相手を倒すことができると感じる。
好天の下で、古本市を開催した。朝、九時前に集合し、何冊あっただろう・・・・たくさんの本を、女性だけで運んだ。お昼時間も交代しながら、3時過ぎまで、6時間強の時間を要して、古本市は終了した。売上金は、100ドル強。冊数にして400冊強を買ってもらったことになる。目標を100ドルとしていたから、メンバーは揃って万歳をした。
すべてが終了し、片付けも済み、報告した際に返ってきた言葉が、ソレダケデスカ・・・
正直、声がでなかった。すいません。ショウガナイデスネ。
怒りの感情とかではなく、正直私は打ちのめされた。一撃をくらった。
どれだけの準備をしてきたのだろうか・・・どれだけの時間を使ったのか。どれだけ本は重かったか。。。。いろいろなことが、頭を駆け巡る。返ってきた言葉を、仲間の人たちに言うことはできない。私、ひとりの胸の中で、その言葉を何度も考える。正直にいうと、その言葉が、消えてくれない。
冷静に考えようとする。
誰にも頼まれた訳ではない。自分たちで考えて、少しでも・・・役に立てるようにと思っただけだ。つまり、そうか。私は褒められたかったのかもしれない。褒められて当然だと感じていたに違いない。
古本市の最中にこんな光景を見た。パン喰い競争で一等賞をとった、幼稚園の子供さんが、お母さんところへ、一生懸命駆け寄ってきた。
僕一等賞だったよ!
あんた、手を使ったでしょう。だから、一等賞が取れたのよ。
・・・・・。
その子は、何にも言葉にできなかった。気まずい沈黙が、青空の下で、その場だけに広がった。
今の私は、あのときのあの子と同じなのかもしれない。褒められると思っていたはずが、そうではない、言葉が返ってきた。それは、褒めるとは真反対の言葉であり、そんな言葉が返ってこようとは、まったく予想していなかった。
つまりそういうことだ。
歳を比べると、情けないくらい違う、あの子と私。人間の本質は、どこまでも変わらないのかなあ・・・・・。
では、自分はどうだろう・・・・と、考えてみる。同じように、一撃で相手を倒すような言葉を使っては居ないだろうか。決して激しくののしるような言葉ではない。ただ、褒めてあげない、それだけ。
もっともっと褒めてあげればよかったと、今心から、そう思っている。
普段から何かを行うとき、たとえば集会を開いた時に、少人数しか集まらなかった場合、これしか集まらなかったと考える考え方と、こんなにも集まってくれたと考える考え方があります。
私はいつも後者の考え方をするようにしていますし、あらゆる機会を通して、みんなにも、そのような考え方の大切さを話します。
MARIMAさんにそのような発言をされた方は、その意味、言葉の重要性について気付いていないんです。 何かの折りにそっと話してあげてください。
私も、何事にも感謝の心を持ち、いいところをたくさん、見つけられる生き方をしたいと思います。
ただ、他方、自ら進んでしたこと、ボランティアの仕事は、見返り、お褒めの言葉、名誉、など、こちらから、求めてはいけないのだと、反省もしました。
あたりまえのことを、あたりまえにしたのだと、淡々としていなければならないと、肝に銘じました。
いい、勉強になりました。
子育てのなかで、子供の頑張りを褒めていたら、親の期待以下の頑張りでも褒める羽目になり、苦しんだことがあります。子供の褒めを待っている気持ちを裏切りたくないし、でももうちょっと頑張ってもできるのになあ~というものです。言葉は本当に難しいですね。
それは、その子のタイプにもよるでしょうね。本当に難しいなあと、思います。
古本市に関しては面白いことも発見。売り上げだけを考えると、本ともっと高めに設定したらよかった・・とも、言われました。
でもね。来る人は、実はリピーターが多かったのです。好きな人たちが気になって何度も見に来ます。無関心な人たちはまったく無関心です。熱心に本の背表紙を見ている親御さんだと、子供さんは、自分で興味を惹かれる本を見つけてきます。
どうやったら。。。。本を好きな子供に。。。。それの回答はここにあるのだなあ。。。と。値段を高めに設定したら、売れた本が限られただろうと思いました。結局、どうやったって、売上金は同じなのだと思います。やらないよりは、やっていろいろと勉強をした、一日でした。