まりっぺのお気楽読書

読書感想文と家系図のブログ。
ゆる~い気持ちでお読み下さい。

神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世妃 イザベラ2世

2011-01-16 02:16:33 | ドイツ系王妃
女系家族出身の女王
フリードリヒ2世妃 イェルサレム女王 イザベラ2世


1212~1228/在位 (神聖ローマ皇后)1225~1228 (シチリア王妃)1225~1228
          (イェルサレム女王)1212~1228

フリードリヒ2世は、最初にハンガリー王イムレの未亡人だった
コンスタンツェ・フォン・アラゴンと結婚しています。

コンスタンツェが亡くなった3年後の1225年、フリードリヒ2世は
イェルサレム女王イザベラ2世(ヨランダ・フォン・ブリエンヌ)と再婚します。

         
ものすごく簡単に言っちゃうと、イェルサレム王国は十字軍の際に
キリスト教側の中継地みたいな感じで建国された王国です。
なんか女系みたいで、夫の家系に王家が移っているパターンが多い気がします。
イザベラの母も祖母も女王です。

母マリアはイザベラを産んですぐ亡くなりました。
イザベラはすぐに女王に即位し、父のジャン・ド・ブリエンヌが摂政になります。

1223年、教皇ホノリウス3世、フリードリヒ2世、父ジャンの三者会談が開かれ
イザベラとフリードリヒの結婚が決められました。

なぜかというと…実は摂政だった教皇インノケンティウス3世は
シチリア王フェデリーコ2世(フリードリヒ)をドイツ王にしたくありませんでした。
それであの手この手を打っていたのですが、教皇の裏をかいたフリードリヒは
まずオットー4世を敗ってドイツ王になると十字軍遠征を誓って
1220年に神聖ローマ皇帝に即位しました。

だのに、第5回十字軍の時、フリードリヒは軍は出したものの自分は参加しなかったので
インノケンティウス3世の後を継いだホノリウス3世が大激怒!
「破門するぞ!」と脅して、イェルサレム王として戴冠し十字軍に参加するように言い渡し
フリードリヒも(しぶしぶ)同意しました。
でもそのためにはイザベラと結婚しなければなりませんね?

そんなわけで1225年、ふたりはイタリアのブリンディジ大聖堂で結婚しました。
その席でフリードリヒはイェルサレム王の宣言をして、父ジャンの摂政職を解き
全ての権利を自分に移譲しましたが、実際にイェルサレムに向かったのは数年後です。

フリードリヒはもともと十字軍に乗り気じゃなかったらしいのね。
その上国を離れられなかったり、病気になって途中で引き返したりしていました。
そこで怒ったのが教皇グレゴリウス9世です。
「病気なんて嘘だろ~よ」と1227年にとうとう破門を言い渡しました。

イザベラはというと1226年に(たぶん)王女を出産しましたが1年で夭逝します。
1228年に待望の王子コンラートを生みますが、この時に亡くなりました。

フリードリヒはイェルサレムに向かっていましたが途中で(また)病気になり
オトラントで静養中でした。

イザベラはアンドリア大聖堂に葬られました。

フリードリヒ2世はその後めでたく十字軍に参加して、その上(無血で)勝利し
イェルサレムに入ると王の宣言をしました。
破門中で誰も戴冠してくれなかったので、自分で王冠を頭に載せたそうです。
その後イェルサレムに進軍してきた教皇軍に勝利して破門は解かれました。
めでたし、めでたし…

生まれた時から女王というとスコットランド女王メアリーなど
華やかな経歴の人もおりますけど…

イザベラにはあまりエピソードがありませんね。
13歳までは父ジャンの、その後はフリードリヒ2世の影で過ごして…という印象です。

たった16年の人生です。
せめて父ジャンもフリードリヒも、彼女をちゃんと愛してくれていたと願いたいですね。

(参考文献 菊池良生氏『神聖ローマ帝国』 Wikipedia英語版)
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『春にして君を離れ』孤独が教えること

2011-01-13 01:15:54 | アガサ・クリスティ
ABSENT IN THE SPRING 
1944年 “ メアリ・ウェストマコット ” アガサ・クリスティ

アガサ・クリスティのファンなら誰もが知っていることですが
クリスティは別名でミステリー以外の小説も書いていました。
もうひとつペンネームがあったという話しもあったような気がしますがよく知りません。

ミステリーの女王クリスティがわざわざペンネームで書いたというこの小説、
殺人やスパイなどの事件はありませんが、そこはかとなくハラハラ感を孕んだ
少し肌寒さを感じる物語でした。

主人公はジョーン・スカダモアという英国女性。
夫ロドニーは町で一番成功している法律事務所の共同経営者、
長男トニーはアフリカでオレンジ農園を経営しています。
長女エイヴラルは裕福なブローカーに嫁いでロンドンで暮らし
次女バーバラはイラクで地位のある職についている男性に嫁いでいます。

現状にはすっかり満足しているパワフルなジョーンが
病気になったというバーバラを訪問したバグダットからの帰路
女学校時代の友人で、すっかり落ちぶれ果てたように見えるブランチ・ハガードと
ばったり会ったところから物語が始まります。

細かいことは省きますけど、ジョーンは砂漠の中にぽつりとあるレストハウスで
汽車が到着しないために、(西洋人としては)たったひとり足止めを食ってしまうのね。

ジョーンはものすごく精力的で、毎日忙しく動き回っている人なわけです。
そんな女性が何もすることがなく、話し相手もいないまま何日も捨て置かれたら?
「ゆっくり休めばいいじゃない?」と思いますよね?
しかしそうはいかないのが文明社会にどっぷりつかった人間のつらいとこ。

休息時間を欲していたジョーンも、1日も経たないうちにムズムズ、イライラし始めます。
そして考えなくてはいいことを勝手に考え始めます。

例えばですけど…
ブランチが「バーバラはもう心配いらないわ」と言ったこと、
彼女を見送りにきた夫が去って行くとき、後ろ姿がやけに元気溌剌としていたこと、
若い頃「農園を経営したい」と言っていた夫を思いとどまらせたこと、
不幸なレスリー・シャーストンを、夫が「勇気ある女性」と言ったこと、などなど…

2日3日と過ぎるうちに、ジョーンの神経は過敏になっていきます。
何度も繰り返し嫌なことを考えるうちに、様々なことに思いあたります。
家庭でおこった様々な問題に対して自分と夫の考えがまったく違っていたことや
子どもたちの不自然な態度にも思いが及んでいきます。

4日目、砂漠の中で方向を見失いかけたジョーンはあることを悟りました。
それは自分がものすごく家族に嫌われていたこと、そして夫とレスリーのこと…

錯乱状態でレストハウスに帰り着いたジョーンに汽車の到着が告げられます。

そうですねぇ…
ラストでジョーンはロンドンに帰って夫に再会するんですけどね。

たとえば彼女に改心してもらって別人のように謙虚な女性になりました、とか
ものすごく痛い目に遭って、今までのことを悔やみながら一生を終えるとか
そんなラストは期待していなかったんですよね。
たしかに一番ノーマルで、賢い結末のつけかたかもしれない…でも後味悪い

このすっきりしない感じはジョーンのせいなのか夫ロドニーのせいなのか
はたまたふたりのせいなのかよくわかりません。
もしかしてふたりとも悪くないのかも… 夫婦だからって全てを正直に話す必要ないもんね。
いったいこの結末の何が私をモヤモヤさせるのか、後日じっくり考えてみます。

自分の人生に一点の曇りも無い、幸せ一杯だ! という方がもしいらしたら
じーっと自分のことを考える時間があってもいいかもしれないです。
良い結果になるかそうでないかは責任持てませんけどね
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神聖ローマ皇帝オットー4世妃 マリア

2011-01-10 02:01:57 | ドイツ系王妃
ホーエンシュタウフェン家を怒らせた再婚
オットー4世妃 マリア・フォン・ブラバント


1190~1260/在位 1214~1215

オットー4世、ダメじゃ~ん

なにか得になることでもあったんでしょうけど、前妃ベアトリクスが亡くなって2年、
1214年にオットーはブラバント公ハインリヒ1世の公女マリアと婚約しました。

       
この婚約に前妃ベアトリクスの実家であるホーエンシュタウフェン家大激怒!

実はこの時期オットーは、ドイツ王(ひいては神聖ローマ皇帝)の座をかけて
フリードリヒ(フェデリーコ)2世と争っていました。

いくらイタリアに行ったきりだからってフリードリヒはホーエンシュタウフェン家だし
ベアトリクスの従兄弟にもあたります。

そんなわけでホーエンシュタウフェン家はフリードリヒ支援にまわりました。
けれどもオットーは婚約を撤回せずその年のうちにマリアと再婚します。

結婚からわずか1ヶ月後、同じくフリードリヒを支援するフランスのフィリプ2世と
争っていたオットーは大敗し、翌年には廃位されてしまいました。

マリアはたった1年の神聖ローマ皇后でした。
その3年後にはオットーも亡くなります。

未亡人と言ってもまだ28歳です。
2年後には20歳年上のホラント伯ヴィルヘルム1世と再婚しました。
しかし彼も2年後に亡くなってしまいました。

その後は再婚しなかったマリアですが、オットー4世ともヴィルヘルム1世とも
お子さんが生まれていないので実家に帰ったのかしら?
それとも修道院に入ったのかしら?

Wikipediaのオランダ語版を(オランダ語解らないけど)ちょいと見てみたら
どうやらルーヴァンに葬られたくさい…
ということは、実家で亡くなった可能性が大きいです。

この後しばらく、ドイツ王はいても神聖ローマ皇帝には誰も即位しないという
“ 大空位時代 ” に入ります。

(参考文献 菊池良生氏『神聖ローマ帝国』 Wikipedia英語版)
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『神の小さな土地』摩訶不思議…男の欲望と女の忍耐

2011-01-09 22:42:05 | アメリカの作家
GOD'S LITTLE ACRE 
1933年 アースキン・コールドウェル

エミール・ゾラの『大地』のような、剥き出しの欲望や金への渇望が
痛々しいほどに激しく描かれているのかと思いきや…
なんつーか、少しは理性で押さえんかい! と怒り出したくなる内容でしたね

『大地』と決定的に違うと(あくまで私が)思うのは
そこに漂う “ どうしようもない感じ ” の強さです。

『大地』では、現在の生活のため、子どもの将来のため、生産量の落ちた土地から
少しでも多くの収入を得るために、家族で激しい土地の奪い合いが展開されます。
そのためには嫁の妹にだって手をだして言いなりにさせてやる! という
荒々しいやり口だって躊躇せず選びます。

なんだけど『神の小さな土地』ではね…

金鉱掘りに全てをかけて、農園を食いつぶしてしまった父を持つウォールデン父子と
その家族たちが主人公です。

父タイ・タイは15年間一家の土地という土地で穴を掘り続けています。
バックとショウはそんな父親の手伝いに明け暮れ、これまた作物を作りませんでした。
バックの妻グリゼルダはものすごい美女で、タイ・タイの自慢の嫁です。
次女ダーリング・ジルは男好きで悪い噂が絶えません。

長男ジム・レスリーは金持ちで病気持ちの女と結婚し、貧しい実家には近づこうとしません。

長女ロザモンドは良い娘ですが、結婚して夫一筋です。
その夫ウィルは工場で働く職人ですが1年以上ストライキを続けています。

で、内容はものすごくはしょるんだけど…

タイ・タイはダーリング・ジルに求婚しているスウィントの情報のおかげで
今度こそ金鉱が見つかると思って、ロザモンドとウィルを手伝いに呼び寄せようと考えます。

冬が越せないので、ジム・レスリーにお金を借りようとも考えます。

それでウィルもジム・レスリーも、バックの妻グリゼルダに完全に参ってしまうわけですね。
自分に妻がいてもグリゼルダに夫がいてもおかまいなし、
「手に入れてやる!」と公言して憚らないばかりか
ウィルにいたっては嫁の前で彼女を押し倒しちゃう始末。

ダーリング・ジルは、姉ロザモンドの夫ウィルの男前ぶりにやられてしまって
姉が目を離した隙にベッドにもぐりこんじゃうし
押し倒されちゃったグリゼルダも「本当に探していた男はウィルだったわ」てな感じで
夫のことも忘れてスト破りについていく有様…
妻ロザモンドは「それでこそウィル!」と惚れ直しちゃうのよ、どう思う?

ジム・レスリーはグリゼルダを奪いに銃を持って実家に乱入する…て
もう無茶苦茶でしょー

問題は、彼らのどうしようもない衝動と本能のみの行動が理解できるか、
これはそうしちゃっても仕方が無いと思えるか、なんですが
わたしゃさっぱりわからんよ。

百歩譲ってどうしても人の嫁を手に入れたいとしましょうよ。
でもなにも “ 直ちに ” じゃなくたっていいのでは? 皆が寝静まるまで待ってみませんか?

もちろん他にもテーマはあるのよ、金鉱のこととか、また工場で働きたいとかさ。
でもそこにもあまりギリギリの崖っぷち感がないんですよね。

物語のラストでは、兄弟・義理の兄弟入り乱れての惨劇を招くのですが
哀しさも力強さも何も感じませんでした。

ドリフとか吉本新喜劇で最後にドタバタドタ~って終わるじゃない?
むしろあんな情景が頭に浮かんじゃいましたよ。

発売時センセーションを巻き起こしたと言われるこの物語…
Weblioによれば “ センセーショナル ” の語意には
あざとい、えげつない、興味本位の、などの意味があるみたいです。

この『神の小さな土地』はうっすらとそんな感じを受けた本でした。
欲望のはけ口、やり場の無い怒り、みなぎる力の象徴などなどの吐露を
すべてセックスでかたずけちゃってるような気がしてなりません。
一番手っ取り早いと言ってしまえばそれまでなんだが…
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神聖ローマ皇帝オットー4世妃 ベアトリクス

2011-01-08 00:59:16 | ドイツ系王妃
              こちらベアトリクスのご両親、踊ってんの?

完全に政治目的の幼な妻
オットー4世妃 ベアトリクス・フォン・シュヴァーベン


1198~1212/在位 1212

イタリア王フェデリーコ2世の摂政だった教皇インノケンティウス3世が
フェデリーコの(神聖ローマ皇帝予備軍的な)ドイツ王即位を阻止しようとして
前ドイツ王シュヴァーベン公フィリップの対立王を皇帝に強行指名したのが
ヴェルフェン家のオットー4世です。

ひどいわね コンスタンツェが息子を助けてほしいと指名した摂政なのに。

ホーエンシュタウフェン家 VS ヴェルフェン家の争いは激しくなっていきます。

そんなオットー4世の妃は、なんと! 宿敵ドイツ王フィリップの娘ベアトリクスです。
ベアトリクスの父方の祖父は神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世、
母方の祖父はビザンツ皇帝イサキオス2世という、東西の皇帝の血をひいておりました。

         
ベアトリクスの父シュヴァーベン公フィリップは1198年にドイツ王に選ばれました。
その約20日後にヴィッテルスバハ伯オットー8世が対立王に選ばれます。
ふたりの対立は1208年にフィリップが暗殺されるまで続きます。

オットーは自分の地位を確固たるものにするためか、フィリップにベアトリクスを含む
4人の娘のうちの誰かを嫁にちょうだいと申し入れたんですけど断られてしまい
強行手段に出たようです。
ちなみにフィリップの子どもは4姉妹だけで、継承する男子がおりませんでした。

しかしさすがに、求婚を断られたからってその父親を殺すっていうのは…というわけで
オットーは、インノケンティウス3世とイングランドのジョン王という
強力な援護者を失います。

代々の領土まで失ったオットーですが唯一のドイツ王になりましたので
ホーエンシュタウフェン家に同盟を申し入れ、その証しとして
長女ベアトリクスと結婚することになりました。
とりあえず、32歳のオットーと10歳のベアトリクスはすぐに婚約しました。

1209年にオットーが神聖ローマ皇帝に即位しましたが、結婚はまだ先です。
ベアトリクスは、14歳になった1212年にオットーに嫁ぎましたが
結婚からわずか19日後に病で亡くなりました。

なんかすごく怪しくない?
オットーは1208年のドイツ王選挙で、ホーエンシュタウフェン家の全面的援助のもと
再びドイツ王に選ばれています。
ここを乗り切りたかっただけじゃないのか…なんてね

とにかく、完全に政治的な駒でしかなかった14年の人生でした。
こんな一生なら、もし彼女が贅沢三昧でわがまま一杯の生活を送っていたとしても
許してやっていい気になりますね。

(参考文献 菊池良生氏『神聖ローマ帝国』 Wikipedia英語版)
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『オリーヴ・キタリッジの生活』活字になった不幸

2011-01-05 01:37:54 | アメリカの作家
OLIVE KITTERIDGE 
2008年 エリザベス・ストラウト

これから訪れる人生の中盤から後半を考えさせられる興味深い一冊、
すごく面白い本です。

この本は、どうにもこうにも人をやりきれない気分にしてしまう
オリーヴ・キタリッジという女性と、彼女を取り巻く人々を描いた
13篇の短篇から成り立っています。

オリーヴが40代だった頃から70代になるまで、物語は断片的にちりばめられています。
彼女が主人公のものもあれば、一瞬しか登場しない物語もあります。

何がすごいって、読んでいたら不幸のオンパレードなんです。
ごく日常茶飯事的ものから、ありそうもないことまで一緒くたになっているのですが
それがものすごくスムーズに一冊に収まっているんですよ。
“ 不幸かも… ” を旗印にして活字にしたことで、違和感が無くなってしまっているみたい。

好きだった物語は他にあったりするのですが
せっかくなのでオリーヴが主人公になっている物語をいくつか紹介しますね。

『小さな破裂(A Little Burst)』
息子のクリストファーが気に入らないタイプの女性と結婚することになりました。
家族で造った息子の新居での結婚パーティーで
疲れを感じたオリーヴは新婚夫婦の寝室のベッドに横になります。
すると窓の外で嫁が友達に自分のことを話している声が聞こえてきました。

新しく家族になった人が自分のことを何て言っているか、考えたらドキドキです。
良いことならいいんですけどね、悪口だったら…
オリーヴは腹いせにとんでもない行動にでます。
最初が肝心です、気をつけましょう。

『チューリップ(Tulips)』
クリストファーは嫁にそそのかされ、新居を捨てて西海岸に行ってしまいました。
すぐに離婚してしまったのですが故郷へ帰ってくる気は無さそうです。
夫のヘンリーは倒れて介護施設に入ってしまいました。
オリーヴは自分より不幸そうなラーキン家のルイーズを訪ねてみることにしました。

人の不幸を見て自分の不幸を軽くしようとオリーヴが考えていたとしたら
そのあては見事に外れます。
やはり母親の不幸は子どものことになるんですかね?
ふたりの母親が息子のことで当てこすりを言い合う様は、想像するとちょっと恐ろしい…

『セキュリティ(Security)』
ニューヨークに引っ越して子持ちの女性と再婚したというクリストファーに呼ばれ
オリーヴは老体にムチ打って出かけて行きます。
再婚相手のアンは妊娠中なのに酒もタバコもやめません。
連れ子の男の子は生意気だし、下の女の子はまったくオリーヴになつきません。

オリーヴは、人が言うほどやりきれない相手だとは思っていませんでしたが
この物語を読んだら少し理解できました。
側にはいてほしくないタイプだけど、見方によってはだだっ子みたいで可愛いかも…
しかし老母を呼んどいてちょっとないがしろにしすぎじゃないのかね?

この作家の文章は簡潔で読みやすいと思います。
けれども話しの核心にまっしぐらに向かっていくという書き方ではありません。
ちょっと寄り道があって、ユーモアがあって、別件が見え隠れしているうちに
テーマとなっている問題に迫ってる、という感じです。

私は最初に不幸のオンパレードと書きましたが、泣ける! 涙が止まりません!!
という、いかにもお涙ちょうだいな悲しさはありませんので念のため…
不幸押しまくりではないので、気分も重くならずさっぱり読めますよ。

こう言ったらわかっていただけるかしら?
友人から聞かされる家庭内や恋愛の愚痴とか不満がありますね。
その時はかなり真剣に同情するのだけど、翌日にはまったく考えないという…
忘れたわけではなくて考えないのです、という程度の不幸。

そういう本です。
友達の愚痴を聞いている気分で読んでみたらいかがでしょうか?
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神聖ローマ皇帝ハインリヒ6世妃 コンスタンツェ

2011-01-04 01:11:55 | ドイツ系王妃
俗世に連れ戻された皇后
ハインリヒ6世妃 シチリア女王 コンスタンツェ・フォン・シシリエン


1154~1198/在位 (神聖ローマ皇后)1191~1197 (シチリア女王)1194~1198

名君の誉れも高いハインリヒ6世の妃コンスタンツェは
ナポリ・シチリア王ルッジェーロ2世の王女です。
ハインリヒによるイタリア抱え込み作戦のための政略結婚でした。

ルッジェーロ2世には生存していた子どもがコンスタンツェしかいませんでした。
後継者の甥グリエルモ(2世)は未婚で世継ぎの期待薄でした。
ゆくゆくコンスタンツェが女王になる可能性大! です。

また、グリエルモもイタリアに進出しつつあったノルマン家の勢力に対抗するため
ドイツとの同盟を強化しようと考えていました。

両者の利害が一致して、ハインリヒとコンスタンツェは1186年に結婚しました。

       

コンスタンツェこの時32歳 当時の王女としてはかなりの晩婚です。
ハインリヒは11歳年下でしたから21歳ですね。

どうやらコンスタンツェは修道女になっていたらしいんですれど
結婚のためにやめさせられたという説があります。
この時コンスタンツェは大激怒したという話しもありますが定かではありません。

王女様で、未婚のまま修道女や女子修道院長になってる人は結構いるのよね。
勝手な想像なんですけど、一般の修道女にくらべて楽しい世界だったに違いない…
クヴェートリンベルク修道院なんて城みたいですもんね。

さてさて、この結婚は、ドイツ側とグリエルモには好都合でも
皇帝と敵対する教皇や、ノルマン系の貴族たちにとっては危機以外のなにものでもなく
まったく歓迎されませんでした。

しかも、グリエルモ2世は後継者にコンスタンツェを約束していたのに
いざ亡くなると彼の従兄弟のタンクレーディ王が即位しました。
タンクレーディは庶子ですが、王国の大半が彼を支持しました。

「くっそ~!」と思ったに違いないハインリヒ6世はイタリアに遠征します。
この遠征にはコンスタンツェも同行しました。
これが功を奏したのか、カプア・サレルモ・アヴェルサなどはふたりを歓迎しました。

しかしナポリで反撃にあった皇帝軍はマラリアにも見舞われ、各都市で敗戦しました。
結局シチリアを掌中に収めたのは、タンクレーディが亡くなって
4歳の息子グリエルモ3世が即位した後です。

ハインリヒ6世が晴れてシチリア王エンリコとして戴冠した翌日
コンスタンツェは40歳で待望の皇子フリードリヒを生みます。
ダブルのおめでた! 物語みたいです。

けれども喜びも束の間… 3年後にハインリヒ6世が急死しました。
ハインリヒはシチリアの反乱を鎮めるための出兵前で毒殺説もあります。

コンスタンツェはシチリア王に即位した3歳の息子フェデリーコ(フリードリヒ)2世の
摂政になりましたが、神聖ローマ皇帝の座を狙うものたちが蠢き始めます。
筆頭はハインリヒ6世の弟で息子の公権人のシュヴァーベン公フィリップでした。
フィリップはフェデリーコをお飾りの王にしてイタリアを支配する気でした。

教皇インノケンティウス3世を頼り、なんとか息子の戴冠までこぎつけた
コンスタンツェでしたが、疲れがどっとでたのか病に罹って翌年亡くなりました。

30歳まで過ごした清らかな修道院から連れ戻され、策謀渦巻くどろどろの政治の世界に
投げ入れられて、身も心もクタクタになっちゃんたんじゃないかしら。
そっとしておいてあげればよかったものを…

コンスタンツェは次の摂政に教皇インノケンティウス3世を指名しましたが
この人のせいで息子は一時窮地に陥ることになります。
次の皇后のところを読んでくださいね。

フリードリヒ2世はたくましく育ってそれなりに立派な皇帝になったんですけど
ホーエンシュタウフェン家による皇帝の座は終焉へと向かいます。

(参考文献 菊池良生氏『神聖ローマ帝国』 Wikipedia英語版)
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一番綺麗な瞬間を残しておきたかったので…

2011-01-03 15:15:59 | もろもろ
あけましておめでとうございます

てなわけで、大掃除を終えて今が一番綺麗な状態のわたくしの本棚です。

また本を買っちゃったり、読んだ本を出しっ放しにしたりしているうちに
部屋中が本だらけでグチャグチャになっちゃうはずです。
いちいち前の本を引っ張り出して後ろの本を探さなきゃいけないのよぉ

本当は壁一面に本棚を配置して
どんな本があるのか一目瞭然でわかるようにしたいんですけど
三方がうまっちゃっているのでね…

では、今年も宜しくお願いします。
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