まりっぺのお気楽読書

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スペイン王フェリペ4世愛妾 マリア

2018-06-04 20:55:42 | 王の寵姫・愛妾
熱しやすく冷めやすい…にふりまわされた一生
マリア・イネス・カルデロン


1611〜1646/愛妾 1627〜1629

ボヘミア王妃編が終って、後のことをなんにも考えてませんでした… というわけで
寵姫・愛妾シリーズいってみます。

どこの国にも恋多き王様はいるものですね。
情熱的な印象を受けるスペインの王室ではフェリペ4世が有名です。

とにかく好きになったらまっしぐら、手に入るものは拒まずという感じで
情事を繰り返していたらしいのですが、一番有名なのがマリア・カルデロンです。
ラ・カルデローナという名前で女優をしていました。

なぜ彼女が有名かというと、お子様はたくさんできたんだけど、なぜか王子が生まれない
あるいは長生きしなくて後継ぎが定まらないスペイン王家に
ファン・ホセという立派な男子をもたらしたからということでしょうか?
それが後々混乱を呼ぶのですが…

スペイン語がわかればたぶん書いてあるのでしょうけど、両親のことはわかりません。
16歳の時には女優として舞台に立っていたということです。

二人の出会いには諸説ありますが、コラル・デ・ラ・クルスという劇場での
デビュー公演でフェリペが見初めたという説と、旧王宮に招いた劇団にいたマリアに
フェリペが言いよった、という説が有力みたいです。

二人はすぐに恋に落ちたということなのですが、実はマリアにはすでに夫がいまして
その上、妻を亡くしたメディナ公ラミロ・ペレス・ゴンザレスと愛し合っていました。
     
すったもんだの末、フェリペはメディナ公を追放し、マリアに女優をやめさせ
とうとうマドリード宮殿で暮らすことを承諾させました。
(メディナ公は当時のスペインの有力者の娘婿でした。
 追放にはもしかしたら政治的な理由もあったかもしれませんね)

ここからはしょうるけど…
決闘まがいの事件や恋敵の追放までして、なかば強制的にマリアを手に入れたフェリペは
1629年にマリアが男の子を生むと、宮殿から追い出すことにしました。
息子のファン・ホセは、どうやらメディナ公の子供だというウワサもたっていたようです。
マリアはいやがったようですが、結局二人の関係は終わりました。

マリアはその後も女優を続けていましたが、夫とはどうなったのか
メディナ公とはどうなったのか、詳しいことはわかりません。

1642年、マリアは修道院行きを強制されました。(本人が熱望してという説もあります)
この年になにがあったかしら?

王妃イサベル・デ・ボルボーンが亡くなるのも
マリアナ・デ・アウストリアとの再婚もまだ先だし…
息子ファン・ホセの台頭はもっともっと後だし…

いずれにしてもマリアはサン・ファン・バウティスタの修道院で尼僧になり
翌年に修道院長になりました。

たった2年のお付き合いで王と別れて13年、もうほっといてあげたらどうか?
権力者に気に入られるというのも、ただただラッキーというわけではなさそうですね。

(参考文献 佐竹謙一氏『浮気な国王フェリペ四世の宮廷生活』 Wikipedia英語版)

だからって浮気のことばかりではない真面目な一冊です
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