まりっぺのお気楽読書

読書感想文と家系図のブログ。
ゆる~い気持ちでお読み下さい。

ノルウェー王オーラフ5世妃 マッタ

2016-10-04 21:28:12 | ノルウェー王妃
お裁縫好きの王太子妃
オーラフ5世妃 マッタ・アフ・スヴェリエ


1901~1954/在位せず

今回でノルウェー王妃編は終了です。
読んでいただき、ありがとうございました。

現ノルウェー王ハーラル5世のお父様にあたるオーラフ5世の妃は
やはり北欧の王家出身のマッタです。

お父様はスウェーデン王オスカル2世王子、ヴェステルイェートランド公カールで
お母様はデンマーク王フレデリク8世王女インゲボルグです。
オーラフ5世とはいとこ同士になりますね。

         
オーラフとマッタは、こっそり婚約したそうで、その後公に発表されたそうです。
なぜなぜ? 政治的な理由? それとも親の反対を押し切った?

1929年にオスロで結婚式を挙げました。
ノルウェーでロイヤル・ウェディングが行われたのは340年ぶりだったそうです。
ずっと共治だったし、ホーコン7世とモードはバッキンガム宮殿だったしね。
盛り上がったでしょうね!

王の孫で王女の娘で王太子の奥さまという、すごーいセレブのマッタなんですが
お裁縫が得意だったらしく、自分や子供のお洋服を縫っていたそうですよ!
庶民的で親近感がわきますね! でもすごく高い生地使ってたりして…

第二次大戦前に夫婦でアメリカを訪問し、ルーズヴェルト大統領と親しくなりました。

ドイツが侵攻して来た時、マッタは子供たちを連れてスウェーデンに避難しましたが
快く迎えてくれない人々もいました。
スウェーデンの中立が脅かされると考える人もいましたし
ドイツが国民感情を抑えるために、3歳の王子ハーラルをノルウェー王に指名し
マッタが王子を連れてノルウェーに帰るという噂もたちました。
ビックリしてしまったマッタは、ルーズヴェルト大統領の招待を受けアメリカへ向かいます。
その時夫オーラフは、父王ホーコン7世と、亡命政府とともにイギリスにいました。

ホワイトハウスに滞在した後ポートシティに落ち着いたマッタは
世界にノルウェーを印象づけようと、赤十字などで精力的に活動しました。
ルーズヴェルト大統領は「ノルウェーを見よ!」とスピーチしています。

ゴア・ヴィダルは後に、マッタは「ルーズヴェルトのとって最後の恋だった」と
どこかで書いたそうですが、どうでしょう?
頑張ってる女性を応援しただけかもよ… ロマンティックな話しに水を差して悪いけど…

夫オーラフが、ロンドンで亡命政府とともにレジスタンスをバックアップしていたように
アメリカでノルウェーのレジスタンスををサポートするために活動していたマッタは
戦後帰国すると、ヒーローとして迎えられます。

“ 国家の母 ” と呼ばれ、王太子妃として、亡くなった王妃モードに代わって
王家の女性の勤めをこなしていたマッタでしたがガンを患ってしまいます。
長い闘病生活の末、1954年に亡くなりました。

オーラフは、その3年後にオーラフ5世として即位しました。
1991年に亡くなりましたが、再婚はしていません。

もちろん、どの国の君主の妻も必死だった時代でしょうが
自分たちとともに戦ってくれている! と感じられる人がいると心強いですよね。

               
                   お美しいのでもう1枚

(参考文献 武田龍夫氏『物語北欧の歴史』 Wikipedia英語版)

ひとことK-POPコーナー
東京ドームのDVDがやってきて、ファンクラブ会員限定誌Seekがやってきて 、ティザーもあがって祭り状態の1週間!
しゃをるの皆さーん! いよいよ明日はカムバックですね〜!! もうしばらく浮かれます宣言
コメント (2)
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