TENDER IS THE NIGHT
1935年 スコット・フィッツジェラルド
私は作家の生い立ちや境遇にはあまり興味がない読者ですが
それでもフィッツジェラルド&ゼルダについては知っていますね。
最大の理由は村上春樹氏のエッセイに凝ったことでしょうか。
それにフィッツジェラルドの小説の解説には必ずといっていいほど
二人の享楽的で奔放な生活ぶりと、後年の不遇なフィッツジェラルドについて
書かれていますからね。
『夜はやさし』はそんな私生活を反映した、なかば自叙伝的小説だそうですが
フィッツジェラルドはこの物語を書いたことで、少しは肩の荷がおりたのかしら?
それともさらに哀しみを抱え込んでしまったのでしょうか?
物語は、有望な医学博士としてスイスにやってきたディック・ダイヴァーが
友人フランツの患者であった富豪の娘ニコルと恋に落ちて
結婚してから別れるまでの13年間を書き記したものです。
その間にはニコルの金にものを言わせたリヴィエラの家、パリでのばか騒ぎ、
パーティー、ドレス、買い物といった贅沢で豪奢な暮らしがあり
若い女優との恋愛沙汰があり、という華やかな日々がありました。
ディックはそんな暮らしを謳歌しているのかと思ったら…
どうやらディックは人生を無駄にしたという焦りを感じていた様子。
専門書を数冊出版したり、フランツと共同で立派な精神病院を設立したものの
常に発狂の危険をはらむニコルの側で、自分を消耗してしまったと思っていたようです。
本は思うように書けない、老けていく、ニコルの状況は良くない…
そんなことから酒が増えていき、とうとう病院経営からも手を引きます。
もとの怠惰な生活で顔をつき合わせていくうちに夫婦間の亀裂は大きくなって…
ヘミングウェイが『移動祝祭日』 の中で “ フィッツジェラルドは傑作を書けるのに
ゼルダのせいで書けない ” 的なことを書いていたような気がします。
彼女のことを “ スコットの前に横たわるハンデ ” とまで言っていますが
フィッツジェラルド自身もそう思うようになっていたのかしら?
物語ではディックとニコルはあっさり別れてしまいますが
フィッツジェラルドとゼルダは別れることなく、各々不幸な最後を迎えています。
クライマックスの別離はフィッツジェラルドの願望だったのでしょうか?
だとしたら、この物語を読んだ時のゼルダの気持ちはどうたったでしょう?
本当に自伝的小説だったとしたら、フィッツジェラルドは自分の思いを
外の世界に向けて吐露できたことになるけど、ゼルダの方はそうじゃないわけでしょ?
ゼルダの抱えていた問題だって、かなり彼女を圧し潰していたのではないかと
と思うんですけどね、気楽でわがままそうに見えるけど。
純粋にフィクションだと思って読んだ方が面白かったのかもしれません。
でも、どうしても重ね合わせてしまってねぇ…
こちらですと1冊で。
1935年 スコット・フィッツジェラルド
私は作家の生い立ちや境遇にはあまり興味がない読者ですが
それでもフィッツジェラルド&ゼルダについては知っていますね。
最大の理由は村上春樹氏のエッセイに凝ったことでしょうか。
それにフィッツジェラルドの小説の解説には必ずといっていいほど
二人の享楽的で奔放な生活ぶりと、後年の不遇なフィッツジェラルドについて
書かれていますからね。
『夜はやさし』はそんな私生活を反映した、なかば自叙伝的小説だそうですが
フィッツジェラルドはこの物語を書いたことで、少しは肩の荷がおりたのかしら?
それともさらに哀しみを抱え込んでしまったのでしょうか?
物語は、有望な医学博士としてスイスにやってきたディック・ダイヴァーが
友人フランツの患者であった富豪の娘ニコルと恋に落ちて
結婚してから別れるまでの13年間を書き記したものです。
その間にはニコルの金にものを言わせたリヴィエラの家、パリでのばか騒ぎ、
パーティー、ドレス、買い物といった贅沢で豪奢な暮らしがあり
若い女優との恋愛沙汰があり、という華やかな日々がありました。
ディックはそんな暮らしを謳歌しているのかと思ったら…
どうやらディックは人生を無駄にしたという焦りを感じていた様子。
専門書を数冊出版したり、フランツと共同で立派な精神病院を設立したものの
常に発狂の危険をはらむニコルの側で、自分を消耗してしまったと思っていたようです。
本は思うように書けない、老けていく、ニコルの状況は良くない…
そんなことから酒が増えていき、とうとう病院経営からも手を引きます。
もとの怠惰な生活で顔をつき合わせていくうちに夫婦間の亀裂は大きくなって…
ヘミングウェイが『移動祝祭日』 の中で “ フィッツジェラルドは傑作を書けるのに
ゼルダのせいで書けない ” 的なことを書いていたような気がします。
彼女のことを “ スコットの前に横たわるハンデ ” とまで言っていますが
フィッツジェラルド自身もそう思うようになっていたのかしら?
物語ではディックとニコルはあっさり別れてしまいますが
フィッツジェラルドとゼルダは別れることなく、各々不幸な最後を迎えています。
クライマックスの別離はフィッツジェラルドの願望だったのでしょうか?
だとしたら、この物語を読んだ時のゼルダの気持ちはどうたったでしょう?
本当に自伝的小説だったとしたら、フィッツジェラルドは自分の思いを
外の世界に向けて吐露できたことになるけど、ゼルダの方はそうじゃないわけでしょ?
ゼルダの抱えていた問題だって、かなり彼女を圧し潰していたのではないかと
と思うんですけどね、気楽でわがままそうに見えるけど。
純粋にフィクションだと思って読んだ方が面白かったのかもしれません。
でも、どうしても重ね合わせてしまってねぇ…
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こちらですと1冊で。