まりっぺのお気楽読書

読書感想文と家系図のブログ。
ゆる~い気持ちでお読み下さい。

『五匹の子豚』今なら科捜研があるからね

2009-09-25 01:58:04 | アガサ・クリスティ
FIVE LITTLE PIGS 
1942年 アガサ・クリスティ

これは… かなり無理があると思うんですけどねぇ…

16年前におこった毒殺事件の真相を探ってほしいという
カーラ・ルマルションの依頼を引き受けちゃったポアロ。

被害者はカーラの父で画家のアミアスでした。
有罪になったカーラの母カロリンは獄死しています。

当時彼らのまわりには、アミアスの浮気相手でモデルのエルサがいたし
カロリンを忌み嫌っているアミアスの友人のフィリップ
振り向いてくれないカロリンを崇拝しているメレディス
子供の頃カロリンに片目をつぶされた冒険家の異母妹アンジェラがいました。

けれど証拠は全てカロリンが犯人だと示していました。
彼女は裁判中もほとんど反論しませんでした。

いくらポアロでも、って思うでしょ?
16年前の事件ですもの、今ならキムタクや沢口靖子が解決しちゃうかもしれん…
しかし、当時は科学捜査が発達していたわけではありませんから。

確かにポアロは当時の関係者に話しを聞いて、事件を再構築していくのですが
やはり自白に頼る結末にはこじつけっぽさが漂いますよね。
特にこの物語の犯人はぜったい自供しなさそうなタイプなんだもの。

絶壁の上で延々と自供させるドラマの探偵じゃあるまいし
ポアロなら “ グウの音もでない ” という証拠をつきつけて
頑な犯人を落としてほしいものです。

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コメント (2)
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オラニエ公ウィレム2世妃 マリーア・ヘンリエッテ

2009-09-25 01:55:21 | オランダ王妃
故国を捨てられなかった公妃
ウィレム2世妃 マリーア・ヘンリエッテ・スチュアート


1631~1660/在位 1647~1650

マリーアはイングランド王チャールズ1世の王女なのですが
イングランドで初めて“ プリンセス・ロイヤル ” の称号を与えられています。
母であるフランス王アンリ4世王女アンリエッタ・マリア
「フランスの “ マダム・ロイヤル ” みたいのがほしいわ~」と言ったそうです。

チャールズ1世はマリーアをスペイン王フェリペ4世と結婚させたかったのです。
それから従兄弟のプファルツ選帝候カール・ルドヴィクからも
しつこく求婚されていました。

母后アマリエの押しの強さに負けたのか、結局オラニエ公子ウィレム(後の2世)と
9歳の時に結婚しました。 9さいって!
実際にお嫁に行ったのは10歳になってからです。
でも小学校5年生でしょぉ?10歳って… お母様と一緒に海を渡りました。

      

1647年に、夫ウィレムが若くして父の後を継いだのですが
3年後に天然痘で亡くなり、その後を継いだのはマリーアのお腹の中にいた
ウィレム3世、父の死から数日後に生まれました。

マリーアは母親ですから後見人になったのですが、19歳という若さだったので
同時に義母アマリエも後見人になりました。
たぶんアマリエに仕切られてたと思うよ…

マリーアは実家に対する愛情が深いってことでオランダで不人気でした。
イングランドではピューリタン革命から王党派と議会派の争いがおこり
チャールズ1世が処刑されてしまいます。

兄のチャールズ2世やヨーク公ジェームズ(後の2世)たちが亡命して来たので
マリーアは、そりゃあ受け入れますよね? 兄弟姉妹ですもの。
でもその歓待ぶりが国民の怒りを招き、ついには家族との関わりを禁じられてしまいました。
さてはチャールズったら豪遊しちゃった? たくさんの女に手を出したとか?

マリーアは1654年から3年間、オランダを離れてすごしました。
1657年、国に戻ってウィレム3世の摂政に就きましたが
アンリ4世がオラニエ公国をフランスの直轄領にしようとやいのやいの言ってきて
幼い領主を抱えたマリーアの立場は厳しいものになりました。

1660年、イングランドが王政復古になり兄のチャールズ2世が即位すると
マリーアの立場は俄然高まりましたが、そんな思いも束の間
イングランドに帰ったマリーアは天然痘で亡くなりました。

              
                 お輿入れした当時のマリーア
                       The 王女って感じですか


幼い頃に家族と離れて…どんな理由であれ家族が訪ねて来るというのは嬉しくて
おもてなししたい気持ちは分かりますよね。
ただ、当時は些細なことが戦争の口実になってしまうから
巻き込まれたくないという気持ちも分かる…
フランスなんか手ぐすねひいて待ってたでしょうからね。

(参考文献 Wikipedia英語版)
コメント (3)
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