チャーチル首相の、ある意味偉大なる母
レディ・ランドルフ・チャーチル ジェニー・ジェローム
1854~1921/愛妾 1875~1895?
エドワード7世って在位期間は短いし、母君ヴィクトリア女王が偉大すぎて
日本人には馴染みが薄いかもしれませんが、豊艶家で101人 という
べらぼうな数の愛人がいた王様です。
しばらくエドワード7世の愛妾シリーズでいってみましょう。
ジェニーは愛妾と言うより浮気相手になるんですかね?
エドワード7世も遊び上手、ジェニーもラヴ・アフェア大好きということで
お互い軽い気持ちの火遊びだったんじゃないでしょうか。
ジェニーはニューヨークの資産家レオナルド・ジェロームの娘です。
父親もけっこう有名な粋人だったようです。
崇拝者たちから “ 女性と言うよりレパードだ ” と讃美された美貌のジェニー。
結婚前出版社で編集をしていたのですが、彼女の腕には蛇のタトゥーがあって
ブレスレットで隠していたという噂が根強く残っているそうです。
当時蛇のタトゥーは最先端のおしゃれで、ありえないことはないのですけど
彼女の場合はただの噂のようです。
当時最も美しい女性のひとりと言われていたジェニーは20歳の時
パリのイギリス大使館でランドルフ・チャーチル卿と結婚しました。
ランドルフ卿はモールバラ公爵の三男とはいえ貴族です。
ジェニーは資産家かもしれないが一般ピープルなわけで、なかなか勇気ある縁談。
ただランドルフは売春婦から梅毒をうつされていて
結婚後精神錯乱が始まり年々悪化していきました。
結婚から8ヶ月後、後の首相ウィンストンが誕生していますが
ジェニーの姉妹たちは、子供の父親はファルマス男爵イーヴリンだと信じていました。
ちなみに次男ジョンも父親は違うらしい…
知的で機智に富んでいて、すぐに場を和ませる魅力的な人柄のジェニーは
多くの人たちを惹き付けて社交界の人気者になりました。
それから恋にも大忙しで愛人は多数、有名なのはカルル・キンスキー伯です。
ジェニーは後年、キンスキーのことを一番愛していたと語っています。
ジェニーは王太子エドワードの愛人にもなります。
エドワードがほっとくかいな!
王太子妃アレクサンドラ はふたりの関係は知っていましたが、ジェニーに魅せられて
サロンに呼んだり呼ばれたりと親しくしていたようです。
ランドルフ卿が亡くなると、ジェニーは息子ウィンストンと同じ年 の
スコットランド軍隊長コーンウォリス=ウェストと再婚しました。
ボーア戦争の時には負傷兵を乗せるために病院用の艦船をチャーターしたりしました。
1912年コーンウォリス=ウェストと離婚すると今度はウィンストンより3歳年下 の
ナイジェリア軍隊のモンタギュー・ポーチと再婚。
第一次大戦後にポーチは幸運を得ようとアフリカに向かいますが
ジェニーはイギリスに残りました。
67歳の時、ハイヒールで転んだジェニーは痛めた足首から壊疽になり
膝上から切断したものの2週間後に亡くなりました。
最初の夫であるランドルフ卿と並んでチャーチル家の墓に葬られました。
ウィンストン・チャーチルは母ジェニーを崇拝していて
寄宿学校時代にはせっせと手紙を書き送っています。
ウィンストンが首相になるために、ジェニーの社交界の人脈や愛人たちが
大きくものを言ったのは言うまでもありません。
母は偉大なり! でもグレなかったチャーチルも偉い。
(参考文献 ドーン・B・ソーヴァ『愛人百科』 Wikipedia英語版)
有名な愛人や愛妾をピックアップしA〜Zの順で紹介しています
読んでみたいな!という方は下の画像をクリックしてね
レディ・ランドルフ・チャーチル ジェニー・ジェローム
1854~1921/愛妾 1875~1895?
エドワード7世って在位期間は短いし、母君ヴィクトリア女王が偉大すぎて
日本人には馴染みが薄いかもしれませんが、豊艶家で101人 という
べらぼうな数の愛人がいた王様です。
しばらくエドワード7世の愛妾シリーズでいってみましょう。
ジェニーは愛妾と言うより浮気相手になるんですかね?
エドワード7世も遊び上手、ジェニーもラヴ・アフェア大好きということで
お互い軽い気持ちの火遊びだったんじゃないでしょうか。
ジェニーはニューヨークの資産家レオナルド・ジェロームの娘です。
父親もけっこう有名な粋人だったようです。
崇拝者たちから “ 女性と言うよりレパードだ ” と讃美された美貌のジェニー。
結婚前出版社で編集をしていたのですが、彼女の腕には蛇のタトゥーがあって
ブレスレットで隠していたという噂が根強く残っているそうです。
当時蛇のタトゥーは最先端のおしゃれで、ありえないことはないのですけど
彼女の場合はただの噂のようです。
当時最も美しい女性のひとりと言われていたジェニーは20歳の時
パリのイギリス大使館でランドルフ・チャーチル卿と結婚しました。
ランドルフ卿はモールバラ公爵の三男とはいえ貴族です。
ジェニーは資産家かもしれないが一般ピープルなわけで、なかなか勇気ある縁談。
ただランドルフは売春婦から梅毒をうつされていて
結婚後精神錯乱が始まり年々悪化していきました。
結婚から8ヶ月後、後の首相ウィンストンが誕生していますが
ジェニーの姉妹たちは、子供の父親はファルマス男爵イーヴリンだと信じていました。
ちなみに次男ジョンも父親は違うらしい…
知的で機智に富んでいて、すぐに場を和ませる魅力的な人柄のジェニーは
多くの人たちを惹き付けて社交界の人気者になりました。
それから恋にも大忙しで愛人は多数、有名なのはカルル・キンスキー伯です。
ジェニーは後年、キンスキーのことを一番愛していたと語っています。
ジェニーは王太子エドワードの愛人にもなります。
エドワードがほっとくかいな!
王太子妃アレクサンドラ はふたりの関係は知っていましたが、ジェニーに魅せられて
サロンに呼んだり呼ばれたりと親しくしていたようです。
ランドルフ卿が亡くなると、ジェニーは息子ウィンストンと同じ年 の
スコットランド軍隊長コーンウォリス=ウェストと再婚しました。
ボーア戦争の時には負傷兵を乗せるために病院用の艦船をチャーターしたりしました。
1912年コーンウォリス=ウェストと離婚すると今度はウィンストンより3歳年下 の
ナイジェリア軍隊のモンタギュー・ポーチと再婚。
第一次大戦後にポーチは幸運を得ようとアフリカに向かいますが
ジェニーはイギリスに残りました。
67歳の時、ハイヒールで転んだジェニーは痛めた足首から壊疽になり
膝上から切断したものの2週間後に亡くなりました。
最初の夫であるランドルフ卿と並んでチャーチル家の墓に葬られました。
ウィンストン・チャーチルは母ジェニーを崇拝していて
寄宿学校時代にはせっせと手紙を書き送っています。
ウィンストンが首相になるために、ジェニーの社交界の人脈や愛人たちが
大きくものを言ったのは言うまでもありません。
母は偉大なり! でもグレなかったチャーチルも偉い。
(参考文献 ドーン・B・ソーヴァ『愛人百科』 Wikipedia英語版)
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