まりっぺのお気楽読書

読書感想文と家系図のブログ。
ゆる~い気持ちでお読み下さい。

ボヘミア公ヴラジスラフ1世妃 リチェンツァ

2017-10-31 20:46:01 | ボヘミア王妃
                Jarmily Haldovéさん作
失意の未亡人
ヴラジスラフ1世妃 リチェンツァ・ゼ・ベルグ


1095〜1125/在位 1111〜1117、1120〜1125

二人の兄、従兄弟に続いてボヘミア公になったヴラジスラフ1世の妃は
ベルグ伯ハインリヒ1世の娘リチェンツァです。

1111年に結婚しました。
姉妹のソフィアはブルノ伯オト2世と結婚しています。
妹のサロメはポーランド公ボレスワフ3世と結婚しました。
         
1125年、瀕死のヴラジスラフ1世は、後継者にブルノ伯を指名しました。
これはリチェンツァの希望でした。

しかし、ここで姑スヴァタヴァが介入してきます。
ヴラジスラフ1世は気を変えて、弟のソヴィェスラフを指名しました。

この時ヴラジスラフ1世とリチェンツァには、男の子が二人いたのよね。
なぜに息子を指名しなかったんでしょう?

夫の死後、失意のリチェンツァは、ツヴィーファルテン修道院に隠遁したいと申しでました。
願いは聞き入れられたのですが、修道院に向かっている途中、亡くなってしまいました。
どう思う? 私はけっこう勘ぐってるんだけどね…



                
                Jarmily Haldovéさん作
家系図のみで・・・
ソビェスラフ1世妃 アデレータ・アルパードヴスカ


1105 or 1107〜1140/在位 1125〜1140

兄ヴラジスラフ1世のご指名でボヘミア公になったソヴィェスラフ1世の妃は
ハンガリー王ゲーザ1世の孫アデレータです。
         
なにも書くことはないのだが、家系図は面白いのでのせときます。

(参考文献 Wikipedia英語版)

ひとことK-POPコーナー

27日にテソンに会いに、パシフィコ横浜の
D-LITE DなSHOW に行ってきました
あれは… コンサートなのだろうか? ファンミ? ディナーショーって行ったことがないんだけどあんな感じ?
テソンは歌だけでなくておしゃべりも上手なので、すごーく楽しかったですけどね 
席メチャクチャ近くて妄想ふくらんだし…
そしてやはり、来年からBIGBANGが長いブランクに入るというはなしがありました
寂しいけど、2年のガマンだもんね!! BIGBANGの選択は良かったと思います 
 金のDくんがまぶしかったっす


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『猫の文学館 I & II』いくら猫好きでも…

2017-10-22 21:14:03 | 日本の作家


疲れた… 2冊続けて読んだら。

日本の錚々たる作家・著述家・芸術家が、よってたかって猫について書いた
エッセイ・小説・書簡・詩・童話などなどが、80篇!おさめられています。
あまりにありすぎて、ひとつひとつはあげられません。

『猫の文学館 I』は
1 のら猫・外猫・飼い猫 2 仔猫がふえる! 3 猫も夢を見る 4 猫には何軒の家がある? 
5 そんなにねずみが食べたいか 6 パリの猫、アテネの猫 
の6章にわかれていて、エッセイが多めでした。
うちの猫自慢とか、猫は高貴で優雅だ、みたいな内容が多かった気がします。

『猫の文学館 II』は
1 死んだ猫のゆくえ 2 ペット・ロス症候群 3 猫の精霊ばかりが住む町
4 化け猫と不思議な話 5 猫の一族 
の5章から成っています。
サブタイトルどおり、猫にまつわるミステリアスな内容のものが大半でした。

ほぼ全ての作品の題名に “ 猫 ” “ ねこ ” がついていて、同タイトルもありました。

作家陣には、以前読んだ『猫』と重複している方々もいました。
有名どころをあげると、太宰治・三好達治・与謝野晶子・壷井栄・室生犀星・内田百閒
向田邦子・佐藤春夫・川端康成・井上靖・高村光太郎・井伏鱒二・谷崎潤一郎・村上春樹
志賀直哉・夏目漱石・吉行淳之介・三島由紀夫・筒井康隆・小泉八雲・菊池寛・星新一 etc…
特に、大佛次郎さんのものはいくつもありました。

だけど、村上春樹さん以外は、皆さん一昔前すぎる面々ですよね?
そんなわけでこの本を読んで解ったことは、昔は皆さん、猫をペットとして飼うにあたり
ネズミ退治をしてもらうという目的も大きかったということです。

今なら、ネズミどころかセミやカマキリなんかくわえてたら「バッチィでしょ!」と
あたふたしちゃう感じですが、昔は「エラいエラい」と褒められたわけですね。
それから、不妊手術などはしてなくて、どんどん生まれる仔猫を
しかたなく捨てたとか始末したという話しを正直に書いています。

だけど猫を可愛がる気持ちは今と変わらず、エッセイは自分ちの猫にデレデレの
内容になってますし、病気になればちゃんと “ 家畜病院 ” なんかに連れて行ってます。

出産や食べ物についてと、うちの子はよその猫より器量よしで賢いについては
皆さん書かずにはいられないみたいですね。
谷崎潤一郎さんは、あいかわらず「猫は外国の猫じゃないと…」と書いてます。

各作品の後に作者の説明が書かれていて、他の猫についての作品が紹介されています。
皆さん、猫についてはいろいろあるみたいで、いくつも書かれていました。

一番好きだったのは、大佛次郎さんの『猫家一族』という、フランスの墓地で見つけた
日本語に訳すと “ 猫 ” と “ 雌猫 ” という墓標から想像がふくらむというエッセイでした。

もう少し最近の作家の『猫の文学館』が読みたいですよね。
海外版も読んでみたい。 でも1冊でいいかもしれん…

ネコにどっぷりつかってみたくありませんか?
読んでみたいな!という方は下の画像をクリックしてね

 

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ボヘミア公コンラト1世妃 ウィルピルカ

2017-10-17 21:39:15 | ボヘミア王妃
                Jarmily Haldovéさん作
なりふりかまってられません
コンラト1世妃 ウィルピルカ・ズ・テングリング


生没年不詳/在位 1092 

兄のヴラチスラフ2世が亡くなってボヘミア公の座についたコンラト1世の妃は
Sieghard z Tenglingu という方の娘さんです。
     
なんでもヴラチスラフ2世王子ブジェチスラフが反乱をおこした時
ウィルピルカは独断でヴラチスラフを訪ねて、夫コンラトと息子に領地をくださいな!
とお願いしたらしい…

この勇気ある行動に感動したのか、ヴラチスラフ2世はOKしたのですが
なんと! コンラトはたった8ヶ月で亡くなってしまいました。
ウィルピルカのその後のことはわかりません。

その後はヴラチスラフ2世の王子ブジェチスラフ2世が後を継ぎました。
妃はルカルタ・ズ・ボゲヌ(1075〜?)ですけど、チェコ語が読めず…
               
              Jarmily Haldovéさん作ルカルタ



              
退位のときがお別れの時
ボジヴォイ2世妃 ヘルビルガ・バーベンベルスカー


?〜1142/在位 1100〜1107/1117〜1120

ブジェチスラフ2世の次は弟ボジヴォイ2世が継承しました。
妃はオーストリア辺境伯レオポルト2世の娘ヘルビルガです。
         
1100年に結婚しました。
1120年、ボジヴォイがハンガリーに追放されると、ヘルビルガは兄がいる
オーストリアに帰っちゃいます。
そして、ゲットヴェグ修道院に入り、そこで1142年に亡くなりました。

ちなみに、ヘルビルガのドイツ名はゲルトルードというらしいです。
この後、ゲルトルーダ・バーベンベルスカーという王妃が登場します。
なぜチェコでの呼び名が違うんでしょうね?

              
             Jarmily Haldovéさん作ヘルビルガ

その後は、ボジヴォイたちの従兄弟にあたるスヴァトプルク(1107〜1109)が
ボヘミア公になります。妃はいましたが、詳細不明です。
                  
            この方らしいですJarmily Haldovéさん作

(参考文献 Wikipedia英語版)

ひとことK-POPコーナー
パワフル&セクシーなテミン炸裂中ですね!
ソロコンもどんどんこなし、エンターティナーとしての完成度を高めていっているみたい… 頼もしいかぎりです
普段のテミンとのギャップ萌えがたまりませんわ


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ボヘミア公スピチフニェフ2世妃 イーダ

2017-10-10 20:50:22 | ボヘミア王妃
                Jarmily Haldovéさん作
実家でも嫁ぎ先でも…気が休まりませんね
スピチフニェフ2世妃 イーダ・ヴェッティンスカー


1031〜不詳/在位 1055〜1061

ブジェチスラフ1世の後を継いだスピチフニェフ2世の妃は
下ラウジッツ辺境伯ディートリヒ2世の娘イーダです。
        
イーダの父親は、母マティルダの兄マイセン辺境伯エッケハルト2世に殺されました。
たぶんイーダが幼い頃ではないかと思われます。

スピチフニェフ2世が1061年に亡くなると、すぐに子供二人とともに追放されました。
どこにかはわからないんだけど、たぶん実家に帰ったんじゃないかなぁ?


               
                Jarmily Haldovéさん作
完全に政略結婚でした
ヴラチスラフ2世妃 アデレージャ・ウヘルスカー


1040〜1062/在位 (公妃)1061〜1062

兄スピチフニェフ2世を継いだヴラチスラフは、神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世のおかげで
初代ボヘミア王ですが、一代限りで世襲はしませんでした。

結婚は3回していて、ひとり目のマリアというお妃はさっぱりわかりません。
二人目の妃が、ハンガリー王アンドラーシュ1世とアナシュタシアの王女アデレージャです。
この結婚により、ハンガリーとの同盟を結ぶことができました。
         


               
後継ぎがいても苦労は絶えず
ヴラチスラフ2世妃 スヴァタヴァ・ポルスカー


1046〜1126/在位 (公妃)1062〜1085 (王妃)1085〜1092

ヴラチスラフ2世の三人目の妃は。ポーランド公カジミェシュ1世と
マリアの娘スヴァタヴァです。
        
だんだん “ 中欧三つどもえ状態 ” が激しくなってまいりましたね。

ヴラチスラフ2世は、スヴァタヴァの兄ポーランド王ボレスワフ2世との
友好な関係を表していましたが、国境線ではもめてました。

1092年にヴラチスラフ2世が亡くなった時、成長していた王子は3人…もめそう…
後に三人ともボヘミア公になってますけどね。

スヴァタヴァは、下の二人の不和をやわらげようと苦労したみたいです。
この当時の王家の皆さん、家族(兄弟)力を合わせて!!っていう概念がなさそう。
親からでも兄弟からでも権力を奪おう! という発想はどこからでてくるんだろう?
母親も大変ですよね、ただの兄弟ゲンカじゃないんだもの。  

末子ソビェスラフがボヘミア公になったのを見届け、1126年に亡くなりました。

                
              Jarmily Haldovéさん作スヴァタヴァ

(参考文献 Wikipedia英語版)

ひとことK-POPコーナー
少女時代が5人に… あぁスヨン… INFINITEは6人になっちゃったし、BEASTはHIGHLIGHTになっちゃったし
それ以外にもいろいろと気が休まらないKポ界
そう考えるとSHINHWA(神話)ってすごいわ! このままずーーーっとSHINHWAでいてほしい


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ボヘミア公オルドジフ妃 ボジェナ

2017-09-28 21:10:56 | ボヘミア王妃
ドラマのような玉の輿
オルドジフ妃 ボジェナ


生年不詳〜1052/在位せず

異母兄ボレスラフ3世からプラハを取り戻したヤロミール&オルドジフ・ブラザーズ。
しかし、共通の敵がいなくなると、自分が優位に立ちたくなるものなのかな?
ヤロミールは1004〜1012年と1033〜34年、オルドジフは1012〜1033年と1034年
2回づつ即位しています。

で、ヤロミールは最後はオルドジフに投獄されて亡くなります。
結婚していたかどうかは不明なのですが、去勢されたって…
       
さて、オルドジフですが、最初は貴族の女性と結婚していたそうです。
しかし子供ができないので、愛妾だったボジェナと再婚しました。

ボジェナの素性はさっぱりわかりませんが、伝説によると
オルドジフがペルツへ狩りに出かけた時、美しい娘を見かけ天にも上る気分になったと…

ラブ・ハンターになったオルドジフは「動物なんか狩ってる場合じゃない!」と
さっさと切り上げ、彼女をプラハに連れ帰ったということです。
拉致ってるし… 親御さんは悲しんだことでしょう。
それとも自分からホイホイついて行ったのかしら?

“ 村で出会った ” ということで、ボジェナは身分が低かったと見られています。
オルドジフとボジェナは貴賤結婚ということになっていますが
ブジェチスラフという息子を生んだことで、プシェミスル家の救世主と呼ばれました。

有名な話しなんでしょうね? たくさん絵が残っているみたいです。
いかがでしょう? イヤがってるんでしょうか? 誘ってるんでしょうか?

   


              
           野性味溢れるJarmily Haldovéさん作ボジェナ

オルドジフの後は、息子のブジェチスラフ1世が即位しました。
ボジェナを母に持つブジェチスラフは、母親の身分の低さからずっと庶子扱いされていて
身分の高い女性との結婚の必要性にかられていました。
そんなわけで、バーベンベルク家のジェトカを拉致っちゃう、という行動にでます。
すぐ連れ去っちゃうのは親ゆずり?
              
             Jarmily Haldovéさん作ジェトカ

(参考文献 Wikipedia英語版)

ひとことK-POPコーナー
京セラドームも終わって、今年はこれで終わってしまうのかしら… と、虚無感とともにすぎていく毎日ですが
テミンが言ってくれた「今度はみんなで…」を心の支えに生きていきます


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ボヘミア公ボレスラフ2世妃 エンマ

2017-09-23 21:43:48 | ボヘミア王妃
                Jarmily Haldovéさん作

王妃? 公妃? 掘り間違えちゃった?
ボレスラフ2世妃 エンマ


950〜1006/在位 989〜999

家系図、アディヴァの使い回しですみません…
          
素性ははっきりしていませんが、生没年は(不正確ながら)入ってますよ〜
ブルゴーニュ公家の公女らしいです。
西フランク王ロタール1世の未亡人と同一人物だという説もあるそうです。
そうだとするとイタリア(南フランク)王ロタリオ2世王女ということになります。

999年にボレスラフ2世が死去して、前妃アディヴァの息子ボレスラフ3世が
ボヘミア公になりました。
すると、怖れをなしたエンマは子供たちを連れてバイエルンの宮廷に逃げ込みました。
さては結婚する時に、アディヴァにひどい仕打ちでもしましたかね?

ちなみに、ボレスラフ3世は “ ボヘミア君主の中で最低 ” と言われてるらしい…

1001年にエンマの息子たち、ヤロミールとオルドジフが
神聖ローマ皇帝ハインリヒ2世の援護をうけてボヘミアに戦いを挑みました。
これは神聖ローマ帝国支配からの、ボヘミア支配を決定的なものにします。

1004年にヤロミールはプラハを占領し、君主だと宣誓しました。
エンマはボヘミアに戻ってムニェルニークで過ごしたとされています。

エンマの存在を裏付けているのは、ビアゴタ同様コインに刻まれていたということで
コインには “ 公妃 ” ではなく “ 王妃 ” と彫られています。
ボヘミアで初めて王になるのはブラチスラフ2世(1085〜1092)なんだけどな…

ボレスラフ3世(999〜1002/1003)は、未婚じゃないようなんですが相手がわかりません。
ヤロミールとオルドジフがプラハ奪取のために戦っている間に
一瞬王になったブラジヴォイ(1002〜1003)は既婚だか未婚だか不明です。
ブラジヴォイは、ボレスラフ1世とビアゴタの娘ドゥブワヴカ
初代ポーランド公ミェシュコ1世の息子です。

国内にいる親戚縁者だけでも「俺がなる!」と大騒ぎなのに、嫁ぎ先まで絡んでくるとは…

その後は、ブラジヴォイの兄弟にあたるボレスラフ4世が一瞬ボヘミア公になりました。
ボレスラフ4世は、ポーランド王ボレスワフ1世で、ハウニルダ、ユディタ
エムニルダ、オダと、4回結婚しております。

(参考文献 Wikipedia英語版)

ひとことニュースコーナー
ユアタイムが終わっちゃう〜  報道ステーション → ニュース23 → 半からユアタイム というのが
家の夜の過ごし方だったのに… 10月からももニュース番組?  どなたがMCかしら?


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ボヘミア公ボレスラフ1世妃 ビアゴタ

2017-09-11 22:51:46 | ボヘミア王妃
                Jarmily Haldovéさん作

かなりふんわり・・・なアウトライン
ボレスラフ1世妃 ビアゴタ


生没年不明/在位 935〜972

聖ヴィート大聖堂を建て、チェコの聖人として奉られているヴァーツラフ1世は
未婚なのか、お妃の記述が見あたらん…
でも愛妾というか、内縁の妻はいたらしいです。 聖人で内縁…
どうも中世の敬虔さってよくわかりません。
                
             この方らしいです Jarmily Haldovéさん作

で、そのヴァーツラフを暗殺し君主になったボレスラフ1世なのですが
そのお妃のビアゴタも “ たぶん ” 妻だった…ということです。
何枚かビアゴタが刻まれたコインがあって、妻だろう、と信じられています。

ただ確証がなく、成人した四人のお子様の母親かどうかもはっきりしていません。
出生も生い立ちもわかりませんが、ビアゴタというのはブルガリア系の古い名前だそうです。
           

                    
さらにふんわり・・・な存在
ボレスラフ2世妃 アディヴァ


生没年不明/在位せず

ボレスラフ1世の公子で、ボヘミア公になったボレスラフ2世は
2回結婚したことになっているのですが、ひとり目のお妃さまのアディヴァは
ビアゴダを上回る “ いたのかな? ” 感が漂っています。

ただ、後にボヘミア公になる、ボレスラフ(3世)のお母さまとされています。
若くして亡くなったのか、正式に結婚していなかったけど、息子の即位によって
結婚してた…ということになったのかもしれないですね。
Jarmily Haldovéさんのお人形の中にもいないのよ… 謎が深まりますね。

アングロ-サクソン王エドワード・ザ・エルダーと二人目のお妃エルフレッドの
子孫にあたると言われていますが、それはアディヴァという名前が
アングロ-サクソン系だという一点にかかってます。
          
イングランドの貨幣鋳造の影響をボヘミアが受けていた、というのも
存在したという理由のひとつになっているそうです。

(参考文献 Wikipedia英語版)

ひとことドラマコーナー
だんなさんが、『ごめん、愛してる』とともに、なぜか『ウチの夫は仕事ができない』にハマっちゃって
欠かさず見ているのだが、必ず文句言うんだよね。 そんなにイヤなら見なければ良いと思うのですけど…


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『Front Row アナ・ウィンター』伝記だけど…褒めてんの?

2017-09-07 19:51:55 | アメリカの作家
FRONT ROW ANNA WINTOUR 
2005年 ジェリー・オッペンハイマー

わたしは自己啓発本とか、成功した人のバイオグラフィーとかはほとんど読まないのですが
旦那さんが仕事がらみで購入してたので、せっかくだから読んでみました。

アナ・ウィンターと聞いてピンとこない方も、『プラダを着た悪魔』の
編集長のモデルと聞けば、なんとなく想像がつくのではないでしょうか?
もっとも、アナモデル説は、作者(ローレン・ワイズバーガー)が否定してるらしいです。
でも作者はアナの下でしばらく働いたことがあるのよね〜

で、内容はというと、アナの生い立ちが、両親の出会いから書かれていて
編集者になるまでとなってから、ヴォーグのエディターになって編集長になるまで
あとは恋愛を含む私生活のこととか、スキャンダルのことなどなど…です。
しかし、本人はこの本の出版をOKしたのかしら? 謎だわ。

もちろん、アナ・ウィンターは成功しているわけで、どのように登りつめたかというのが
最大のテーマだと思うんだけど… うーん、よくわかんない、何が言いたいんだろうか?

アナは、有名なジャーナリストの娘さんで、子供の時からファッションと美容に熱心でした。
小学生の頃からお肌とヘアケアのエステに通って自分磨きをしてました。
高校生になると、最先端の服を着て、有名人が集うクラブ通いをしてました。
制服がイヤだからと転校したり、制服をオシャレにリフォームして退学になりました。
つまり、スジがね入りのファッション・フリークなのね。

だから高校中退で大学も専門学校にも通わなかったのですが
ではなぜ一流紙のエディターになれたのでしょうか?

とりあえずは、父親のコネで雑誌業界に飛び込んだアナは「いつかはVOGUEに!」という
野望を胸につきすすんでいきます。

いいところはあるのよ。
効率よし・仕事熱心・ひらめきがすごい・人脈づくりが上手い… etc

その一方、とりあえず、お若い(下っ端の)頃からワガママです。
嫌いなヤツはいびり出す・ミーハーで・男性(特に上司)に取り入るのが上手らしい。
他人は怒り倒しても、自分が人前で怒られるとボロボロ泣く。
人のアイデアは盗むし、人の出世は邪魔するし、ってなわけで、やなヤツじゃない?

褒めといてけなす、持ち上げて落とす、褒めたたえる人のコメントがあってからの
「ヒドい目にあわされた」というコメント、の繰り返しで、だんだん飽きてきた。
けっこう分厚い本だったのよね。

どちらかというと、悪口の方が多かった気がします。
ふつう、こういう本って主役を褒めるもんじゃないの?

一番の驚きは、アナ・ウィンターって文才がないんですってさ!
あと、自分の企画や構想をプレゼンする能力がないんですと!! よく編集者になれたもんだ。

それでも雑誌業界・ファッション業界の女王になれたのは◯◯◯だからだ! という
説得力がないのよね。

美人でスタイルがよくて、オシャレへの関心は誰にも負けない!
でも文才とプレゼン能力がなく、高学歴でもないんだけど
どんな手を使ってもファッション雑誌の編集になりたい…という方には
なんらかの教訓が含まれているかもしれません。 おすすめはしませんけど…

おすすめはしないんだが・・・
読んでみたいな!という方は下の画像をクリックしてね



ひとことK-POPコーナー
キソプ、大丈夫でしょうか? U-KISSペンのKちゃんもとても心配してましたが…
だいたい、なぜそんなに危険な撮影をアイドル本人にさせちゃうかしら? 美しい顔に傷が残ったらどうするのよ〜!!


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ボヘミア公ブラチスラフ1世妃 ドラホミーラ

2017-09-03 11:10:10 | ボヘミア王妃
でたよ!鬼嫁
ブラチスラフ1世妃 ドラホミーラ


877 o r880〜934 or 936/在位 915〜921

ボジヴァイ1世の後を継いだのは、息子のスピチフニェフ1世でした。
しかし2年で亡くなってしまいます。
妃の名前がわからないんですけど、少なくとも息子が二人います。

               
            この方らしいです Jarmily Haldovéさん作

その後を継いだのは、スピチフニェフ1世息子ではなく、弟のブラチスラフ1世でした。
妃は、ドイツ方面のHevelliというところのプリンスの王女ドラホミーラでした。
当時としては晩婚なのか、20代半ばでブラチスラフ1世と結婚しました。
         
二男四女のお子様が成人しました。

921年に夫ブラチスラフが亡くなり、息子のヴァーツラフが継承するのですが
ドラホミーラは、義母ルドミラに政治から外されてしまいます。
ルドミラは、ドラホミーラの息子二人に敬虔な教育を施していて
息子二人もルドミラを敬っていました。

特に兄のヴァーツラフは、多大な影響を受けていました。
ドラホミーラは「姑が長男を修道僧みたいに育てちまって!!」と怒り心頭です。
そして、それほど影響を受けていない次男のボレスラフに愛情を注ぎました。

            
               憎々しげに姑と息子を見る…の図

そして、ヴァーツラフ1世が即位した後、テティーンに隠遁したルドミラを
なんと!家臣に殺害させてしまいます。 引退したんだから、もういいじゃないの〜
ヴァーツラフはドラホミーラを追放しましたが、925年に呼び戻されました。

その後はプラハでおとなしくしていたんでしょうか?
934年死去説と、936年死去説があります。

935年にヴァーツラフが暗殺されるんですが、これは弟のボレスラフの画策らいいのよね。

934年死去だと、息子たちの争いを見ずにすんでたってことですね。
936年だと、弟が兄を殺したことへの心労がたたったということでしょうか?
でも、ドラホミーラは本当に何もからんでいなかったのかなぁ… と疑ったりもして…

                
               Jarmily Haldovéさん作ドラホーミラ

ドラホミーラは、オペラの題材にもなっているそうです。
姑殺しの悪女、息子を奪われた悲劇の母、どちらで描かれているのか気になりますね。

(参考文献 Wikipedia英語版)

ひとことK-POPコーナー

SHINee WORLD 2017 -FIVE- Special Edition 東京ドーム に行ってきました



やっぱり泣けてきた… だけど、オニュの分まで頑張ってくれているジョンヒョン・キー・ミノ・テミンに
感謝の気持ちでいっぱいです。 今日も精一杯応援して、一緒に楽しんできます


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ボヘミア公ボジヴォイ1世妃 聖ルドミラ

2017-08-30 22:05:41 | ボヘミア王妃
いずこも初代は大変だよね
ボジヴォイ1世妃 聖ルドミラ


860以前〜921/在位 〜894

“ ボヘミアン ” の由来とも言われるボヘミアは、チェコあたりにあった王国で
ドイツ語ではベーメンといいます。
ドイツ王妃とかハプスブルク家の時には、たぶんベーメンと書いてたと思うのですが
風情があるのでボヘミア(ラテン語)でいきますね。

チェコ語も読み方がよくわかんないので、間違ってたら教えてください。

ハンガリーやポーランド同様、王の入れ代りも激しい国でした。
また、位置的に狙われやすくて国をとられちゃったことも多かったようです。
最初は公国でした。

他国同様、最初は伝説的な統治者が登場し、その後はモラヴィア公国の君主が治め
867年に初代ボヘミア公ボジヴォイ1世が登場します。
ボジヴォイ1世はチェコ族出身、ボヘミア初のキリスト教君主でした。
妃のルドミラは、スラヴ系の王子Slaviborって方の王女です。
        
ボジヴォイとルドミラは、871年頃に夫婦揃ってキリスト教に改宗し
プラハに初めてのキリスト教会を建立しました。

一生懸命ボヘミアのキリスト教化に励んだのですが、最初は上手くいかず
国外に追放されたりしています。
最終的にはプラハに戻り、領地を治め、プシェミスル家の基礎を築きました。

ルドミラは多くの修道院や未亡人たちへの援助を惜しまず
多くの人々に敬われていました。

子供が何人いたのかわからないんですけど、息子が二人ボヘミア公になっています。
弟のブラチスラフ1世の子にあたる孫のヴァーツラフがさらにボヘミア公になりますが
ルドミラは自らヴァーツラフを教育し、摂政のような役目を果たしていました。

ブラチスラフ1世妃ドラホミーラは、日に日に息子への影響力を強める姑ルドミラを
憎たらしー!! と考えるようになります。

そして、ルドミラが隠遁していたテティーンに家臣を送り… 物語によると絞殺らしいです。

領地の人々には慕われても、身内の中に敵がいたとは…
家臣だって、こんないい人を手にかけるなんていやだったと思うよ。

最初はテティーンの聖ミカエル教会に埋葬されたのですが
1100年頃に王廟もある聖イジー教会に移されました。

列聖は死後しばらくしてだそうです。 国にキリスト教を広めたからね。
じゃあ、なぜボジヴォイ1世は列聖されてないんでしょうね?

               
                おやさしそうなのでこちらも
                
                
そしてこれ! カワイイでしょ!! 他の王妃の画像がないので探していたらみつけました
最初は時計塔とか教会のモチーフかと思ったんですけど
Jarmily Haldovéさんという人形作家さんの作品でした
本当に可愛いし、王妃の性格が表れてるみたいなので多用してしまいそうです


(参考文献 沼野充義氏『中欧』 Wikipedia英語版)

ひとことK-POPコーナー
今朝『スッキリ』にBLACKPINKが出演してましたね! 可愛かった〜 ジェニの声が好きなんですよね
日本語も一生懸命話してて愛らしかったよね!


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