健康食は犬好食- 眼からうろこのはがれる真の栄養学

こころとの思い出とこれからを生き抜くために必要なこと。老老の愚痴など心のバランスを保ちたいそんな日記です

秋の空気

2018年08月17日 | 日記
成功ではなく、幸福について語ろう
岸見 一郎
幻冬舎

空気は正直に季節を運んできます。
すごいですね。
今日は、涼しいです
驚きの気温差と感じています。自然って偉大すぎて訳わからん…

天気予報が言ってはいますが、実感として五感に入ってくるこの気配といいましょうか、空気と言いましょうか、この現状は、、自然が地球上のすべてを圧倒してるって感じですよね。

人の運気も動きます。
痛感しています。
どうして動くのか、じっと考えてみると、その人の溜めてきたものが気となって動いているような気がします

心からの本気を溜めて溜めて自分の気を動かしていくことができれば、幸せだと思えます。
自分が創り出している気ですから。

ふとそんな事を秋の空気が教えてくれました。

                おそまつ
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お盆の寺参り

2018年08月16日 | 日記
老いる勇気 これからの人生をどう生きるか
岸見 一郎
PHP研究所



ふと思えば、仏教が肌に合うのかもしれません。

叔母の幽霊を見、金縛りにあい、みょうちくりんな言葉が意思とは関係なく口をつき、なんでこんなこと言ってんのと自身が驚くことがあり、、
考えてみれば、変な奴でした…

お経も下手くそで、送り仮名を間違えて適当に読んで見たりしますが、どこか、心地いいんです。我ながら、面白いな、と感じています。

ミッションスクールに行った割にはキリスト教概論を落とし、ぎりぎりで再履修で通ってみたり、なんか、ホントに妙ですよね。

何か、心の支えがあればいい
と思っています。だから仏教でもキリスト教でも、その人が心地よければよいんです。
心のよりどころがあれば、とても心強く生きていけます。
それは間違いありません。
何せ、誰もが言います。
         信じる者は救われる
                            と。

そんなふれあいの日がお盆だとか、お彼岸だとかなんです。
だから、お詣りに行けるとどこか心が軽くなってス~っとします。
私はこのお寺のご廟に入ります。お墓は作りません。
そう決めています。
そう決めただけでどれほど生きることが楽になったことでしょう。
つくづくそう思っていますよ。

送り火でまた天上界へと帰っていく魂が見守ってくれることを信じて。
そんなお盆でした。
 
              おそまつです。

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絶好の花火日和

2018年08月15日 | 日記
成功ではなく、幸福について語ろう
岸見 一郎
幻冬舎



知らぬ間に一日お休みしていました
それくらい一日が過ぎていく速さを認識していません…

昨日、事務所のメンバーで地元の花火大会に出掛けました。
その前に「焼肉」なるものを食べて。
なかなか、ヴィーガンにはなれません…

して、移動
車を留めててくてくと堤防まで歩いて行きました。
お天気というより、空の様子、雲の様子、風の様子が全て
花火むきだったように感じます。
前日まであった夕立もなく、本当にドンピシャの花火に最適な日よりでした。



ナイアガラも披露され、大玉もあがり、すっごく良かった花火でした。

なんていいましょうか。
決してド派手な花火大会ではないんですが、

地元の人たちが楽しめて、その中にそれなりの見せ場があり、みんなが心に残る花火

って感じがひしひしとしました。

大曲の花火とか、長岡の花火とか、そういうものではないんですけど、地元の人が楽しめる地に足が着いている大切な花火だなと思った次第です。

もう60歳になろうかという大人が4人で、突っ立ったまま見つめ続けるってシーンはそうそうありませんよ、普段では。
ましてや、その中の一人は来賓席にいける立場の人なんですよ。
楽して座って涼やかに見ることができるのに、一緒に立って花火を見て、今度は大玉が上がるよ、なんて言いながら一緒に見ることのできる、そういう人です。
なかなかそういう行動はとれませんよ。
凄いな、って思ってしまう私です。

大きな声ではいえませんが、私ならドカッと来賓席で偉そうにのけぞりそうです…

って思っちゃいますもん。
とっても楽しいひと時でした。

           ありがとうございました
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呼び戻せ、第六感

2018年08月13日 | 日記
波動の癖を治したら宇宙は全部願いを叶えてくれた! 100%「魂」のカタチ ~魂で生きるとは、「本音」で生きること~
浅井 咲子,松本 良美
ヒカルランド



最近以前にもましてあぶないばばぁ全開の私です…

ところが、全く危ないと自覚していない自身がいます…
なんか、まんざらこれもありだろって思えるようになったからです…


社会の最前線でとりあえず張り切っていた頃、こんなこと思いもしなかったのに、
この歳になり、ぼちぼち終焉を迎える準備をしようかという頃になり、

あぁ、忘れていたこの感覚ってホントにあるんだ…

と、今更の如く認識するようになりました。

だからなんなの

といわれれば、

いえいえ、何という事はありません。忘れていた自然と共振するアンテナを再び上げて自然の一部だという事を感じて生きていけるようにしただけの事

そういうステージに入ったという事ですね。
そうわかったことが私には感謝です。
人には寿命がありますから、それに合わせてステージも変わっていくのでしょう。
きっと私は「今」なんです。
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なぐちゃんの講演会

2018年08月12日 | 日記
個人心理学講義―生きることの科学 (アドラー・セレクション)
アルフレッド アドラー
アルテ


岐阜で行われた講演会、南雲吉則医師がスピーカーでした。
南雲先生だったので行ったのですが…

流石の講演でした。

彼は外科医です。その観点からの講演内容は非常に興味のもてる物でした。
目標にされている方向性は我が鶴見先生を始めとする先生方と同方向かと思いました。

食事で改善されるという考え方は共通するものの「自然治癒力」という言葉は一度もきかれませんでした。

それでもこの講演会を主催された側の病院の医師たちが食事の重要性に気がついたと言われたことについてはこの講演の重みは認識されるべきと思います。
その一方で、医者は本当に食事の重要性を知らないんだなという確認にもなった皮肉な結果だったと個人的には感じています。

こういう医師が徐々に増え食事の重要性をまずは医師たちに説き、その医師たちが実践しながら病院の管理栄養士たちにも伝え、更には患者にも伝え、という波が必要なんです。
その波を医師側から起さないと、巨大な薬の利権に飲まれてしまいます。

小さくても始めることが大切です。
そう言った意味では非常に意味のある講演会だったと確信しています。

その後、お茶をして、酵素風呂へ出かけ、帰宅して夕食を抜き、久々のプチファスティングをしました。みぞおちから胃がせり出して腹部が大きく拓いてくると、お腹が出てきます。
胃を休めてみるとそのみぞおちのセリだしがへっこんで本来ある胃の位置におさまってお腹が小さくなります。
骨盤を閉めるように、みぞおちも定位置に戻してあげると食べ過ぎを自覚し、通常の食事量に戻っていきます。
まずは自分のお腹が開いてしまっているかどうかを知る事が食べ過ぎ防止への一歩かもしれませんね。その手段の一つは間違いなくファスティングですよ。

とても良い刺激でした。ありがとうございます。


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