マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

登山会『4月月例会』・・・『義経道』 そして 『復活の聖なる徹夜祭』・・・『死者の中から復活されたキリストはもはや死ぬことがない』&『なぜ、生きておらる方を死者の中に捜すのか』

2022-04-16 09:30:00 | 登山・ハイキング
4月16日。土曜日。晴れ。

今日は、
大好きなNHK大河ドラマ
現在放映中の『鎌倉殿の13人』、
ゆかりの道の散策です。

目指すは・・・
源平合戦の時、
源義経が
鎌倉から出て神戸の途中で一気に降った
『丹生山』からの下り道の『義経道』


           『丹生山』
 

    『丹生神社』の鳥居の先に見える『丹生山』
     丹生山系が連なる中の『515mの低山』
      
    丹生山から一気に山里まで下る道が『義経道』
     その道は細く
    『源平合戦』に向かう義経の騎馬隊の大軍がどのように降ったのか?
        謎の一つです。

       『鎌倉殿の13人』の脚本家・三谷幸喜氏が
          『義経道』をどのように脚本するのか楽しみで楽しみで・・・
             『本番』を観る前に、
         自分の足で歩いてみてこなくてはと、今日の散策になった次第です。


朝9時半。
箕谷駅出発。

まずは、
『丹生山田の里文化財』巡りです。


      『新兵衛石』

    そこは、
    晴天の青空の下、
    北側に丹生山系が連なる、美しい 田園地帯でした。

    徳川10代将軍家治の時代(1770年頃)
    このあたりの領主・下総古河藩主土井炊頭が、領内巡見のついでに福地に立ち寄った。
    そのとき、この石の陰から庄屋の子・村上新兵衛が突然飛び出して、
    年貢の軽減を訴えた。
    村の田畑は、日照りの害が多いのにもかかわらず租税が高く、
    かねてから代官に訴えて続けていたがその効果がなかった。
    直訴は大罪である。
    15歳の若年の親兵衛は捕らえられ、尋問され、その言い分を訴えた。
    大炊頭は、少年の勇気を賞して、罪を問うことなく許した上、
    年貢の軽減も聞きとどけた。
    村人の喜びの記念として、ここにこの石を据え、後世に残したのです。


正義の領主・土井炊頭
そして 正義の15歳青年
二人の話が250年続いて、
記念の『石』が語り継がれる。
美しい里山の美しい話です。


続けて・・・

        『六條八幡宮』 
           『三十塔』は国指定重要文化財         
           旧山田13ヶ村の『氏神六條八幡』


     丹生山系の山すその農道あたりは自然がいっぱい残っている。
        ※平清盛の明要寺の月参り。
        ※源平の戦いに深い関わりを持つ地。
     古くから大坂への交通の要路であり、文化の流入に恵まれ    
        ※古跡や文化財を多く残した地。

美しいながらも、
陽を遮るものがない中で
フウフウと
2時間歩く。

11時半。

   一休憩・・・      『昼食』  
   イカナゴ巻き寿司(いかなごも巻きずしも手作り)。 果物とデザート。 生ビール。

   今日は『KIS会』の月例会。三人の登山会を楽しむ。
   今日の登山会は平坦な里山歩きで、いつもの険しい登山とは少し勝手が違います。

      これでは登山の満足感がないかもと・・・
     『丹生山』登山は来月の月例会に残すことにしまして、

 昼食後・・・    『藍那古道』約4,6km      
               予定を変更して、『険しい山歩き』をすることにしました。

      険しいこの道は、
      ※義経軍勢も歩いたはずです。
      道途中で・・・
      イノシシの大群が出たのでしょうか、
      ふもとにある小学校の生徒を襲っては大変ということでしょうか、
      ※神戸市の『猟銃隊』のおおぜいの人たちに出会いました。


      やはり、険しい山々!
      こうこなくちゃ、私たちの『登山会』が始まらない。

      今日も、”山がそこにあるから登る!”
        大満足の登山会でした。
         23838歩 14,5km
          感謝!感謝!


そして。

今日は4月16日。復活の主日。

  
      『復活の主日・復活の聖なる徹夜祭』
 
   
         『主の徹夜祭 祭壇』

『光の祭儀』

      『御子を世の光として私たちに与えた神よ、
         『新しい光』 を祝福してください。
     
       『2022年 復活のロウソク』

    この過越の祭りによってわたしたちが新しい希望に燃え、
    清い心での永遠の光を受けることができますように。』


『使徒書の朗読』

   『皆さん、あなたがたは知らないのですか。

  キリスト・イエスに結ばれるために洗礼を受けたわたしたちが皆、
    またその死にあずかるために洗礼を受けたことを。

    わたしたちは洗礼によってキリストと共に葬られ、
     その死にあずかるものとなりました。
    それは、
    キリストが御父の栄光によって
     死者の中から復活させられたように、
     
        『復活されたイエス』

    わたしたちも新しい命に生きるためなのです。

  もし、
  わたしたちがキリストと一体になってその死の姿にあやかるならば、
     その復活の姿にもあやかれるでしょう。

  わたしたちの古い自分がキリストと共に十字架につけられたのは、
     罪に支配された体が滅ぼされ、
    もはや罪の奴隷にならないためであると知っています。

     死んだ者は、罪から解放されています。
     わたしたちは、
      キリストと共に死んだのなら、
    キリストと共に生きることにもなると信じます

  そして、
  死者の中から復活させられたキリストはもはや死ぬことがない、
                   と知っています。
     死は、もはやキリストを支配しません。

  キリストが死なれたのは、
     ただ一度罪に対して死なれたのであり、
  生きておられるのは、
     神に対して生きておられるのです。

  このように、
   あなたがたも自分は罪に対して死んでいるが、
   キリスト・イエスに結ばれて、
   神に対して生きているのだと考えなさい。」
      ローマの教会への手紙 6章3-11節


    使徒パウロは、
    洗礼によってキリストと強く結ばれた者は、
    洗礼によってキリストとともに死に、葬られ、
    ともに『新しい命』に生まれる。
          と、述べます。


    洗礼は、
    イエス・キリストが死に、葬られ、墓から立ち上がること、
        を象徴的に表しているのです。
    
    キリスト者は、
    信仰によって心からキリストと結ばれ、
        洗礼を受けることによって、
    💗キリストと共に復活し、『新しい命』を与えられ、
    💗キリストを頭とする『新しい人類』に属する者となり、
    💗『復活のキリスト』を身に着けるのです。


『今日の福音 イエスの御言葉』

   『週の初めの日の明け方早く、
 婦人たちは、準備しておいた香料を持って墓に行った。
    見ると、石が墓のわきに転がしてあり、
 中に入っても、主イエスの遺体が見当たらなかった。

    そのため途方に暮れていると、
   輝く衣を着た二人の人がそばに現れた。
 

  婦人たちが恐れて地に顔を伏せると、二人は言った。
  「なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか。
     あの方は、ここにはおられない。
      復活なさったのだ。
     まだガリラヤにおられたころ、
    お話しになったことを思い出しなさい。

  人の子は必ず、罪人の手に渡され、十字架につけられ、
    三日目に復活することになっている、
      と言われたではないか。」

   そこで、婦人たちはイエスの言葉を思い出した。
   そして、
   墓から帰って、十一人とほかの人皆に一部始終を知らせた。
   それは、
     マグダラのマリア、ヨハナ、ヤコブの母マリア、
      そして一緒にいた他の婦人たちであった。

   婦人たちはこれらのことを使徒たちに話したが、
   使徒たちは、
    この話がたわ言のように思われたので、
      婦人たちを信じなかった。
   しかし、
    ペトロは立ち上がって墓へ走り、
     身をかがめて中をのぞくと、
     亜麻布しかなかったので、
   この出来事に驚きながら家に帰った。』
      ルカによる福音書 24章1-12節


   死んで葬られたイエス様は、復活なさいました。

       復活なさったイエス様は、
       人の目には見えなくても、
       共同体の中に共にいて、
       力強く働いておいでなのです。

使徒パウロは語ります。

   『死者の復活もこれと同じです。
    蒔かれるときは朽ちるものでも、朽ちないものに復活し、
    蒔かれるときは卑しいものでも、輝かしいものに復活し、
    蒔かれるときには弱いものでも、力強いものに復活するのです。』
          コリントの信徒への手紙 15章42&43節

    私たちの今のこの体は、朽ちるもの、卑しいもの、弱いものです。
    しかし、
    復活において与えられる体は、
    朽ちないもの、輝かしいもの、力強いものなのです。

   『自然の命の体が蒔かれて、霊の体が復活するのです』15章44節

    私たちのこの世での体は「自然の命の体」であり、
      復活の体は「霊の体」なのです。
  私たちは、世の終わり、キリストの再臨の時に、霊の体へと復活するのです。

 
   弟子たちは、
   婦人たちからイエスが生きていることを聞いても、
            信じなかったのです。
   弟子たちにとって、
   復活を信じることは、
            簡単なことではなったのです。


   私たちも、
   信仰は簡単にできるものではありません。
   しかし、神は今もいつでも、人の心の中で働いて、
       信仰を勧めてくださっています。
   そして、信仰を生きている人を見て、又 神の働きを見て、
       キリストに出会う人がいるのです。
   キリスト者として、
   毎日キリストに出会い、キリストを証してまいりましょう。
        祈りましょう。

『今日の奉納祈願』

   『いつくしみ深い父よ、
   あなたの民の祈りを聞き、
 過越の神秘によって始められた救いのわざをわたしたちのうちに完成させ、
   永遠の喜びに導いてください。』


皆様!
ご訪問に感謝申し上げます。
キリストの復活の時期は、新緑の候でもあります。
美しい新緑で心癒され、穏やかな日々をお過ごしください。 お元気で!

『マリア様の花』・・・『ペタルゴニウム』 そして 『聖木曜日・主の晩餐』・・・『このパンを食べこの杯を飲むごとに、主の死を告げ知らせる』そして『イエスは弟子たちをこの上なく愛し抜かれた。』

2022-04-15 03:00:00 | 待降節。クリスマス。降誕節。四旬節。聖週間。復活節。
4月15日。木曜日。晴れ。

今日は、
受難週の聖木曜日。
『主の晩餐』の執り行われた日です。


   咲き出した・・・  『ペラルゴニウム』
   

    今朝は3時に目が覚めました。
    その後、
    ず~と、
    『聖木曜日・主の晩餐』に出席していた自分を想像いたしました。

 私なら・・・
 ※ヨハネようにイエス様にもたれかけて座っていたでしょうか?
 ※弟子たちの足を洗われるイエス様をお助けるつもりで、
    足を洗うための洗面器を持って差し上げたのではなかろうか?
 ※足を洗われる私の番が来たら、あまりの畏れ多さに、
    その意味も分からず、”自分で洗います!” と言ったのではなかろうか?
 ※『イエスの御体と御血』の『パンとぶどう酒』を、有り難さのあまり、
    ”もう一つください!” と言ったのではなかろうか?
 
     等々。想像するうちに涙が出てきました。


色も白色、赤色など
たくさんの種類があります。

     『真っ赤のペラルゴニウム』
   

   ペラルゴニウムの花言葉は
   「愛情」「尊敬」「決心」「篤い信仰」
   など多くの花言葉を持っているそうです。


   ラジオを聴いていると・・・
   女性が、子を産む『決心』をして、
   無事に生まれてくることを願う『篤い信仰』
    を意味することもあるそうです。と話されました。

   その説明を聴きながら・・・
   正に、
   『ペラルゴニウム』は『マリア様の花』、と私は思いました

    ※マリア様はイエス様を生まれる『決心』をなさり、
      『マリアは言った。
     「わたしは主のはしためです。
     お言葉のとおり、この身になりますように。」』ルカ1ー38

    ※『神にできないことは何一つない。』ルカ1ー38
       『天使の言葉』を『篤い信仰』を持って信じて、
        イエスが無事に生まれてくることを願ったのです。

  
     私は、今朝・早朝三時から、
     キリスト・イエスをあがめ、感謝しながら、
     今夕の『主の晩餐』を黙想し、祈ることができました。
     有り難い時間を過ごすことができました。
           感謝!感謝!


そして。

今日は4月14日。聖木曜日。主の御受難の前夜。

  イエスと12人の弟子たち全員で・・・ 『主の晩餐』 
 
                     レオナルド・ダ・ヴィンチ作品

『今日の入祭唱』

    『わたしたちには、わたしたちの主イエスの十字架のほかに、
       誇るものが決してあってはなりません。
      キリストのうちに私たちの命と復活があり、
     キリストによってわたしたちは救われたのです。』
         ガラテアの信徒への手紙 6章14節参照


『今日の第二朗読 新しい契約と聖体の設定』

    『わたしがあなたがたに伝えたことは、
     わたし自身、主から受けたものです。
   すなわち、
      主イエスは、引き渡される夜、
    パンを取り、感謝の祈りをささげてそれを裂き、 
 
   「これは、あなたがたのためのわたしの体である。
    わたしの記念としてこのように行いなさい」
                と言われました。
   また、
      食事の後で、杯も同じようにして、
 

  「この杯は、わたしの血によって立てられる新しい契約である。
    飲む度に、わたしの記念としてこのように行いなさい」
                と言われました。
 
  だから、
    あなたがたは、このパンを食べこの杯を飲むごとに、
       主が来られるときまで、
      主の死を告げ知らせるのです。
       コリントの信徒への手紙Ⅰ 11章23~26節 


   今日の使徒パウロは、
   主・イエス・キリストが制定した『主の晩餐』
            について語りました。


   『主の晩餐』は、
    主イエスが十字架につかれる前夜、
    エルサレムのある二階座敷で、弟子たちと共になした、
       『記念の晩餐』です。

     イエスは、パンとぶどう酒を分かち合い、
     弟子たちに与えて、食べさせたのです。
     それは、
     『イエスの体』、また 多くの人のために流す『イエスの契約の血』
             であるとイエスは説きました。

     又、

        イエスを記念するために、
        『記念の晩餐』すなわち『聖餐』を、
        すなわち、主の死を告げ知らせる『聖餐』を、
        イエスの再臨の時まで行うようにと、
         イエス様は言われたのです。


      『最後の晩餐』は、『過越の食事』と関連し、
  旧約において、家の鴨居に塗った『過越の小羊の血』がイスラエル民族を救ったように、
  新約においては、
  『イエスの御血』が『罪人・人類を救うための御血』となることを示したのです。


『今日の詠唱』

      『新しいおきてをあなたがたに与える。
   『互いに愛し合いなさい。わたしがあなたを愛したように。』


『今日の福音 イエスの御言葉』

   『過越祭の前のことである。
 イエスは、この世から父のもとへ移る御自分の時が来たことを悟り、
   世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた。

 夕食のときであった。
 既に悪魔は、イスカリオテのシモンのユダに、
 イエスを裏切る考えを抱かせていた。

   イエスは父がすべてを御自身の手にゆだねられたこと、
   また、御自分が神のもとから来て、
     神のもとへ帰ろうとしていることを悟り、
   
     食事の席から立ち上がって上着を脱ぎ、
     手ぬぐいを取って腰にまとわれた。
     それから、
     たらいに水をくんで、弟子たちの足を洗い、  
  
     腰にまとった手ぬぐいでふき始められた。

    シモン・ペトロのところへ来ると、
    
     ペトロは、
   「主よ、あなたがわたしの足を洗ってくださるのですか」
                       と言った。

   イエスは答えて、
   「わたしのしていることは、今あなたには分かるまいが、
       後で、分かるようになる」 と云われた。

   ペトロが、「わたしの足など、決して洗わないでください」 
                        と言うと、
   イエスは、
      「もしわたしがあなたを洗わないなら、
     あなたはわたしと何のかかわりもないことになる」 
                        と答えられた。  

   そこで、
   シモン・ペトロが言った。
      「主よ、足だけでなく、手も頭も」
   イエスは言われた、
    「既に体を洗った者は、全身清いのだから、足だけ洗えばよい。
      あなたがたは清いのだが、皆が清いわけではない。」
   イエスは、
    ご自分を裏切ろうとしている者がだれであるかを知っておられた。
     それで、「皆が清いわけではない」と言われたのである。』

   さて、
       イエスは、弟子たちの足を洗ってしまうと、
        上着を着て、再び席について言われた。
 
     「わたしがあたながたにしたことがわかるか。
    あなたがたは、わたしを『先生』とか『主』とか呼ぶ。
     そのように言うのは正しい。わたしはそうである。
    ところで、
    主であり、師であるわたしがあなたがたの足を洗ったのだから、
      あなたがたも互いに足を洗い合わなければならない。
 
       わたしがあなたがたにしたとおりに、
    あなたがたもするようにと、模範を示したのである。」』
        
ヨハネによる福音書 13章1-15節


    『最後の晩餐』の席で、イエス様は、
      父のもとへ移るべき時が来たと悟り、
    世にいる弟子たちを愛して、この上なく彼らを愛し抜かれました。
    更に、
    イエスは、弟子たちの足を洗うほどにへり下り、『模範』を残されました。

      
     神の独り子・イエス様は、
     この世においての生涯の間中、
     弟子たちを愛し、教育し、
     弱い立場の人や病人たちを大切にしました。
   
     永遠の祭司キリスト様は、
      『最も大切な掟』=『愛神愛隣』
       を徹底して生き抜かれました。
      『模範』を示された人生でした。


     更に、
     師であるイエス様は弟子たちを励ましました。
    『わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、
       わたしにしてくれたことなのである。』マタイ25ー40
       私がいなくなっても頑張りましょう! と。
     
   
私たちも、
   『聖体:イエスの御体』で、自分の中にイエス・キリスト様を受け、
         神の力に満たされ、
    『篤い信仰』を持って、『愛の掟』を実行してまいりましょう!
         祈りましょう。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
わたしのブログは半日遅れとなってしまいました。
今日・金曜日の三時には、『主の受難』となります。
憐れみ深い神は、
民のために御子キリストの血によって、
『過越の神秘』を定めてくださいました。
世界中の民を永遠の愛のうちにお守りくださいます。
今日も、皆様の一日が、穏やかで平安でありますようにお祈りいたします。 お元気で!

成長する孫たち&縮む祖母・・・『孫たちのお古』 そして 『受難週』・・・『人の子は、聖書に書いてあるとおりに、去って行く。 だが、人の子を裏切るその者は不幸だ。』

2022-04-13 16:27:00 | 娘と娘家族
4月13日。水曜日。晴れ。


孫たちは
今日から明日へと
目覚ましく成長する毎日です。

         『孫たちのスニーカー』  
                              ママが綺麗に洗ってあります。
      左二足:孫息子の靴  右一足:孫娘の靴

   孫二人は、毎日伸びるがごとくに背丈がぐんぐんと伸びていく、背丈で私に勝ちました。
   只今、
   中学一年生の孫息子は162cm & 中学三年生の孫娘は163cm。
                       ちなみに孫たちのママ(我が娘)は172cm。
         他のお母様方より頭一つ分背が高い。孫たちが大きくなるのは当たり前のことなのでしょう。
  

   一方、
   祖母の私は、年を重ねて縮まっていくようで、背丈で孫たちに負けました。
   只今、162cmだった背丈が、私は160cmに縮まりました。
        私は『骨密度』には自信があり、
          今年の検診結果は『最高骨量の96% & 同じ年令の骨量の118%』でしたが、
              忍び寄るMY高齢化には逆らえないようです。
          私の年令になると
          背丈は、伸びることなく、現状維持に努めなくてはなりませんね。
 

      孫たちの成長の早さは、
      スニーカーが駄目になる前に、綺麗なままではけなくなるのです。
      そこで、
      私は、私のサイズにちょうどなので、
      孫たちのスニーカーを譲り受けることにしました♡♡


        成長する孫たち。 退化する祖母・私。
        今日も、私は、孫たちの成長を喜びながら、
    孫たちの『お古のスニーカー』をはいて、喜々と笑顔でお買い物です。
             感謝!感謝!


そして。

今日は4月13日。受難の水曜日。

『今日の入祭唱』
      
 『キリストは、人間の姿で現われ、へりくだって、死に至るまで、
    それも十字架の死に至るまで従順でした。
   このため、神はキリストを高く上げて主となさいました。
   こうして、
 天上のもの、地上のもの、地下のものすべて、イエスの御名にひざまずくのです。』
     フィリッポの信徒への手紙 2章8-10節

『今日の詠唱』

   『わたしたちの王である主よ、
  わたしたちの過ちをあわれんでくださったのはあなただけです。』



『今日の福音 イエスの御言葉』

 『そのとき、十二人の一人で、
      イスカリオテのユダという者が、
     
      祭司長たちのところへ行き、
   「あの男をあなたたちに引き渡せば、幾らくれますか」
                       と言った。

 そこで、
     彼らは銀貨三十枚を支払うことにした。
     
 そのときから、
     ユダはイエスを引き渡そうと、良い機会をねらっていた。

 除酵祭の第一日に、
     弟子たちがイエスのところに来て、
  「どこに、過越の食事をなさる用意をいたしましょうか」と言った。
 イエスは言われた。
    「都のあの人のところに行ってこう言いなさい。
      『先生が、「わたしの時が近づいた。
     お宅で弟子たちと一緒に過越の食事をする」
               と言っています。』」
 弟子たちは、
      イエスに命じられたとおりにして、
        過越の食事を準備した。

 夕方になると、
    イエスは十二人と一緒に食事の席に着かれた。
 
 一同が食事をしているとき、
       イエスは言われた。
      「はっきり言っておくが、
   あなたがたのうちの一人がわたしを裏切ろうとしている。」
 
 弟子たちは非常に心を痛めて、
      「主よ、まさかわたしのことでは」
                と代わる代わる言い始めた。
 イエスはお答えになった。
    「わたしと一緒に手で鉢に食べ物を浸した者が、
         わたしを裏切る。

    人の子は、聖書に書いてあるとおりに、去って行く。
       だが、人の子を裏切るその者は不幸だ。
     生まれなかった方が、その者のためによかった。」

 イエスを裏切ろうとしていたユダが口をはさんで、
     「先生、まさかわたしのことでは」 と言うと、
 イエスは言われた。
      「それはあなたの言ったことだ。」』
         マタイによる福音書 26章14-25節


    今日の福音は、
    十二使徒の一人ユダが裏切りを企てる、ことが語られます。


 ユダは、
 イエス様から呼ばれ、教育され、イエス様に大切にされ、愛され、
    日々イエス様の行動を見、日々イエス様の言葉を聞いていました。
 それなのに、
 なぜに? イエス様を裏切ったのでしょうか?
   『銀貨30枚』(奴隷購入のために支払う金額)が、イエスを裏切る以上の魅力があったのでしょうか?
    私たちには、『ユダの心』は分かりません。

 イエス様は、
 ただ、ユダに向かって、
   『しようとしていることを、今すぐ、しなさい』ヨハネ13ー21 と言われたのみです。
 また、
 誰が裏切るのかと不安に思う弟子たちに向かっての『返事』を利用して、
   ユダに呼びかけたのです。 ユダに回心を計ったのです。
      『人の子を裏切るその者は不幸だ。
     生まれなかった方が、その者のためによかった。』マタイ26ー24 と。

私は考えます。

    イエス様は『神の御心=万民の救い』を実現するために
       この世に派遣されたのです。
  それは、『最後の審判』の時に、皆で一緒に『天国』へ行くためでした。
   それでも、イエスを拒否し、『下の世界』に行くことを選んだ人を
         イエス様は救うことは出来ません。

    『神の救い』の及ばぬ『その者は生まれなかった方が良かった』
         とイエス様は考えられたのでしょう。
       その者たちの回心を心から望まれたのでしょう。


 私たちも、
 私たちの生活の中で、辛いことがあります。
 友人と思った方から、裏切られるような経験をすることもあるかもしれません。
 そんな時、イエス様もその経験をしたことを思い出すのです。
   イエス様のユダに裏切られた経験は、
     私たちを力づけてくれます。
 ユダから裏切られても、決して神から棄てられることはないと信じていたイエス様です。
 私たちも、どんなに辛いときでも、神様が共にいてくださることを信じましょう。
        祈りましょう。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
若者の成長は嬉しいものです。
それは私たち先輩たちが、ちょっぴり『現実』を見つめるときでもありますね。
若者の世代は急成長です。喜びましょう。 お元気で!

春本番・・・『藤咲くや日もうらうらと奈良の町』 そして 『受難週』・・・『あなたがたのうちの一人がわたしを裏切ろうとしている。』&『鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたしのことを知らないと言うだろう。』

2022-04-12 17:37:10 | 自然・花々・樹木・ガーデニング・畑
4月12日。火曜日。晴れ。

今日は、
日もうらうらと
暖かく・・・
夏日となりました。

今年も咲き出しました。


  お隣さんの・・・   『藤の花』 

     『藤咲くや日もうらうらと奈良の町』 芥川竜之介

    そこで私も一句・・・
        藤咲くや夏日となった隣の窓辺 


    花々や木々は神聖なものです。
    その神聖は、自ら生み出すものではなく、
    自らの中に宿る『神聖』を、そのままに受け入れ、それを生きている姿であろう。

          私たちは、
          『神聖』を生きる花々に傾聴することで、
            『真理』を体得するのです。

     
         人は、尽きない悲しみや苦しみに、
          希望を失いそうになります。
         すると、
         花々の声が聞こえてきます。
          ”大丈夫! 私に真似てみて! 
         自分の中の『真理=神』にあなたの悲しみも悩みも
           すべてをゆだねなさい!”
                 と応援してくれるのです。


        『イエスの御言葉』を思い出します。

    『今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、
         神はこのように装ってくださる。
     まして、あなた方にはなおさらではないか、信仰の薄い者たちよ。
           だから、思い悩むな。
         明日のことは明日自らが思い悩む。
       その日の労苦は、その日だけで十分である。』
          マタイによる福音書 6章30-34節
        

    今日も、世界でも日本でも、悲しい出来事を見聞きします。
         今日も、神にすべてをゆだねて、
        希望を持ち続けることができました。
            感謝!感謝!
  


そして。

今日は4月12日。受難の火曜日。

『今日の入祭唱』

   『主よ、貪欲な敵にわたしを渡さないでください。
 偽りの証人、不法を言い広める者が、わたしに逆らって立ちました。』
        詩編 27章12節

『今日の詠唱』

   『わたしたちの王である主よ、
 父に従ってあなたは十字架につけられるため、子羊のように連れて行かれた。』


『今日の福音 イエスの御言葉』
   
   『そのとき、
   イエスは、弟子たちとともに食事の席についておられたが
  
       心を騒がせ、断言された。

        「はっきり言っておく。
   あなたがたのうちの一人がわたしを裏切ろうとしている。」

   弟子たちは、だれについて言っておられるのか察しかねて、
         顔を見合わせた。

      イエスのすぐ隣には、弟子たちの一人で、
    イエスの愛しておられた者が食事の席に着いていた。
       シモン・ペトロはこの弟子に、
   だれについて言っておられるのかと尋ねるように合図した。

     その弟子が、イエスの胸もとに寄りかかったまま、
      「主よ、それはだれのことですか」と言うと、
     イエスは、
     「わたしがパン切れを浸して与えるのがその人だ」
                  と答えられた。

       それから、パン切れを浸して取り、
     イスカリオテのシモンの子ユダにお与えになった。
        ユダがパン切れを受け取ると、
         サタンが彼の中に入った。

     そこでイエスは、
      「しようとしていることを、今すぐ、しなさい」
                   と彼に言われた。

       座に着いていた者はだれも、
       なぜユダにこう言われたのか分からなかった。

     ある者は、
        ユダが金入れを預かっていたので、
        「祭りに必要な物を買いなさい」とか、
         貧しい人に何か施すようにと、
        イエスが言われたのだと思っていた。


        ユダはパン切れを受け取ると、
       
          すぐ出て行った。
           夜であった。

     さて、ユダが出て行くと、イエスは言われた。
        「今や、人の子は栄光を受けた。
       神も人の子によって栄光をお受けになった。

     神が人の子によって栄光をお受けになったのであれば、
      神も御自身によって人の子に栄光をお与えになる。
        しかも、すぐにお与えになる。

    子たちよ、いましばらく、わたしはあなたがたと共にいる。
        あなたがたはわたしを捜すだろう。
     『わたしが行く所にあなたたちは来ることができない』
               とユダヤ人たちに言ったように、
       今、あなたがたにも同じことを言っておく。」


        シモン・ペトロがイエスに言った。
     
      「主よ、どこへ行かれるのですか。」
    イエスが答えられた。
      「わたしの行く所に、あなたは今ついて来ることはできないが、
          後でついて来ることになる。」
    ペトロは言った。
      「主よ、なぜ今ついて行けないのですか。
        あなたのためなら命を捨てます。」
    イエスは答えられた。
      「わたしのために命を捨てると言うのか。
         はっきり言っておく。
   鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたしのことを知らないと言うだろう。」』
         ヨハネによる福音書 13章21-33節&36-38節

     
     今日のイエス様は、
     ※一人の弟子がイエスを裏切ること、を予告しました。
     又、
     ※ペトロの否み、を予告しました。


 イエス様は、
 最後の晩餐の席で、弟子たちの足を洗いました。
 そのときに、「今あなたたちは綺麗になりましたが、皆が綺麗になっていない」
                と言われました。
 更に、
 「あなたたちの中に、一人は私を裏切る」と言われました。
 その後で、イエスはユダにパン切れを与えて、
  「今すぐに、することをしなさい」と言われました。


      ユダが出て行ったのは『夜』でした。
         夜は暗さを表します。
  その暗さは、イエスの回心の呼びかけに応えることのなかった、
      ユダの心を表しているのでしょうか。
        『希望』のない心です。

     ところが、
     イエス様は、その『暗さ』の時を、
     『今や人の子は栄光を受けた』時、とおっしゃったのです。
     『イエスの時』=『受難の時』が来た、とおっしゃったのです。
     それは、
     イエスが敵・死に勝ち、愛が憎しみに勝利し、罪に勝たれる時、
         『勝利の時』なのです。
   
         『十字架』
    
    それは『イエスの栄光』となりました。

    💖イエスは、御父・神に最後まで従順であり、
       『御父の御心』を完成させて、
      御父に『栄光』をお与えになりました。
    💖御父は、イエスの従順に応えて、
       イエスを復活させて、
     イエスに『栄光』をお与えになったのです。


   私たちも、
   私たちの罪ゆえに、神を恐れる必要がなくなりました。
   イエスの『十字架』が、私たちの罪に勝利してくださったのです。
   私たちは、ただ神を愛して、感謝するだけでいいのです。
   神に信頼して、神のもとに戻ることにいたしましょう。
          祈りましょう。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
花々も新緑も美しい季節になってまいりました。
名所を訪ねるのも良し、又 近所で美しさを愛でるのも良しですね。
穏やかな一日をお祈り申し上げます。 お元気で!

親の家・・・『故郷』 そして 『受難週』・・・『この人のするままにさせておきなさい。私の葬リの日のためにそれを取っておいたのだから』

2022-04-11 18:01:36 | 日々のこと。 世界のこと。
4月11日。月曜日。晴れのち曇り。

娘家族の家から
我が家に帰ってきて、
片付けも一段落しました。

懐かしい我が家の風景です。


    裏庭・・・   『八重桜とかすみ草』 

    しだれ梅が終わり、ボケと桃が盛りを終えようとしています。
        今は、八重桜とかすみ草が満開です。


       働き盛り真っ最中、学童期真っ最中、の娘家族。
          情熱的で輝く世代です。
          そんな世代から見れば、
          時間が止まったような、
       穏やかな時間、静観の生活、の私たち親家族。


      17日間留守にして、私の神戸の家に帰ってくると、
      私はその美しさと穏やかさに改めて驚かせられました。
       
一方、       
          
  玄関先では・・・    『もみじの若葉』

     東京で過ごす17日間の間にすっかり緑色の新葉が育っていました。
         その美しさにも驚嘆します。


    娘夫婦は、この度、技術の粋を駆使して、超近代的家を建てました。
      それらの多くは、私も真似したいものだと、
            驚嘆に値します。


     そして、
     17日間留守にして、私の神戸の家に帰ってくると、
       私はその古さとそしてその穏やかさに
           ほっとしたのです。

     17日間の時間は流れて・・・
       いつの間にか『受難週』となっていました。
        復活祭のイースター・エッグの飛び出す
      『イースター・カード』も友人から届けられていました。
       年老いた者には、精神の問題、信仰が似合うのです。


      そうです。
      私は、近代的家を求めるのではなく・・・
      私の両親の家がそうであったように、
      子どもたちの『心の拠り所』となるような
       子供たちの『故郷』となるような
      そんな家づくりを目指すべきなのです。

     都会生活ではできないような楽しい生活ができる家。
     新時代の洗礼を受けていない『辺鄙さ』の残る家。


      シンプルにシンプルに、素朴に素朴に、清潔に清潔に、
      そんな家に住むことにいたしましょう。
      そんな生き方をすることにいたしましょう。
          感謝!感謝!


そして。

今日は4月11日。受難の月曜日。

『今日の入祭唱』

  『主よ、わたしと争う者と争い、わたしと戦う者と戦ってください。
     大楯と盾を取り、立ち上がってわたしを助けてください。
        主よ、わたしの神よ、救いの力よ、
   わたしが武器を執る日、先頭に立ってわたしを守ってください。』
        詩編 35章1-2節&140章8節


『今日の詠唱』

   『わたしたちの王である主よ、
   わたしたちの過ちをあわれんでくださったのはあなただけです。』
         


『今日の福音 イエスの御言葉』

   『過越祭の六日前に、イエスはベタニアに行かれた。
  そこには、
   イエスが死者の中からよみがえらせたラザロがいた。
   イエスのためにそこで夕食が用意され、マルタは給仕をしていた。
   ラザロは、イエスと共に食事の席に着いた人々の中にいた。
  そのとき、
   マリア純粋で非常に高価なナルドの香油を一リトラマルタ持って来て、
        イエスの足に塗り、  
    
      自分の髪でその足をぬぐった。
    家は香油の香りでいっぱいになった。

 弟子の一人で、後にイエスを裏切るイスカリオテのユダが言った。
   「なぜ、この香油を三百デナリオンで売って、
    貧しい人々に施さなかったのか。」
 彼がこう言ったのは、貧しい人々のことを心にかけていたからではない。
   彼は盗人であって、金入れを預かっていながら、
     その中身をごまかしていたからである。

  イエスは言われた。
   「この人のするままにさせておきなさい。
  わたしの葬りの日のために、それを取って置いたのだから。
    貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるが、
     わたしはいつも一緒にいるわけではない。」

     イエスがそこにおられるのを知って、
      ユダヤ人の大群衆がやって来た。
     それはイエスだけが目当てではなく、
  イエスが死者の中からよみがえらせたラザロを見るためでもあった。

     祭司長たちはラザロをも殺そうと謀った。
    多くのユダヤ人がラザロのことで離れて行って、
    イエスを信じるようになったからである。』
        ヨハネによる福音書 12章1-11節


   今日は、ベタニアで、マリアはイエス様の足に香油を塗ります。


 イエス様は、エルサレムを訪れた時は、
 マルタとマリア姉妹そして弟のラザロの家にお泊まりになることが多かったのです。

 マリアは、
 イエスが学者たちから反対されることを知って、
 もうすぐイエス様が『死』に渡されることを感じたのでしょう。
 そこで、イエス様の足に『ナルドの香油』を塗りました。

 すると、

 ユダは、
 それを見て、「それは無駄、お金のむだ遣い」ではないかと、つぶやきました。

 しかし、

 イエス様は、
 『そのままにさせておきなさい。マリアは私の葬リの日のためにそれを取っておいたのです』
         とおっしゃいました。


     マリアは、油を売ることができたでしょうが・・・
       イエスを信じ、
     『イエスの葬リの日』のために取っておいた『油』を
                 イエス様の足に塗り、
     イエスが一緒に食卓についておられるつかの間の『喜び』を
        最大限に表したのです。
  

      マリアの信仰者の姿ユダの不信仰者の姿、
         両者の違いが表されました。

  イエスの墓を訪れた婦人たちは、
  イエス様はすでに復活しておられ、
  イエスに『油』を塗ることができなかったのです。
  ユダは、
  本当に貧しい人を助けたいなら、それはいつでもできることです。
  マリアは、
  貧しい人を助けるより、
  死を迎える人に香油を塗ることが大切と考えたのです。

  私たちも、
  貧しい人たちを助けることは、私たちの義務です。
  と同時に、
  キリストを信じる者は、
  毎日、イエス様を日々の生活の中にお迎えしたいものです。
        祈りましょう。


皆様、
御訪問に感謝申し上げます。
自分の家を、自分の年代にふさわしい家に更新しながら、居心地良く過ごしたいものですね。
皆様の穏やかな今週の日々をお祈り申し上げます。 お元気で!    

孫息子入学記念ミサ・・・『君は愛されるため生まれた』・・・『Men for others、with others』:『他者のために、他者と共に』

2022-04-08 08:30:00 | 娘と娘家族
4月8日。金曜日。快晴。

今日は
孫息子の入学式。
入学式の前に
『入学記念ミサ』がありました。
祖母の私も出席しました。


入学式前の一時間・・・   
           『入学記念ミサ』
   
                         於:講堂

『今日の入祭の歌』

 『きみは愛されるため生まれた きみの生涯は愛で満ちている
   永遠の神の愛は われらの 出会いのなかで身を結ぶ
   きみの存在が 私には どれほど大きな喜びでしょう』

   
      『君は愛されるため生まれた』
       とコーラスが流れてくると
      私の目に涙があふれ出てきました。

      心から、孫息子のために祈りました。

       『全能の神、
        あなたこそ我が孫に生命を与え、
        その成長をはぐくみ、
        孫に関するお望みのご計画を実現することを
        よろこびとしておられます。
        今、孫の上に助け主である聖霊を送り、
        知恵と理解、判断と勇気、神を知る恵み、
        神を愛し敬う心を与えてください。』


『入祭の歌』を聞きながら・・・
思い出すのは
孫息子の誕生日。
それは
孫息子の父親がアメリカの大学で
学んでいるときでした。
父親と身重の母親(我が娘)、生まれてくる子の姉(2歳の我が孫娘)と私は
アメリカのアパートで『誕生』を待ち望んでいました。
  
             生まれて数時間後の孫息子
  元気に・・・
  『愛されるために生まれた』孫息子
  アメリカと日本の二つの国籍を持ちます。


入学記念ミサは続きました。

『今日の福音 イエスの御言葉』

 『父よ、あなたが私の内におられ、わたしがあなたのうちにいるように、
       すべての人を一つにしてください。
    彼らもわたしのうちにいるようにしてください。
    そうすれば、
 世は、あなたがわたしをお遣わしになったことを、信じるようになります。
 
    あなたがくださった栄光を、
        わたしは彼らに与えました。
 わたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためです。』
   朗読された一部です。ヨハネによる福音 17章21-26節


『チャプレン神父様のお説教』一部です。

   『ご入学おめでとうございます。
     皆様は長い受験準備のため、
  友達と遊ぶこともなくご苦労なさったことでしょう。
  努力の結果として今日を迎えました。
  これはゴールではなくスタートです。
  皆様はどのような人間に育つのでしょう。

  今日の第一朗読、ヨハネの手紙では、
   『わたしが書くのは新しい掟でなく、
    初めからわたしが持っていた掟、
     つまり互いに愛し合うということです。』
        とヨハネは語りました。
  今日の福音朗読では、
    『すべての人を一つにしてください。
     すべての人に栄光を与えるために。』
         とイエスは語られました。

    この二つでの『テーマ』は『愛』です。
  この二つは、イエスの三年間の生活で、十字架の死により、
     弟子たちに伝えたかったことです。
     心の深いところでの『一致』です。

      最近の世界情勢は語ります。
    『憎しみ』と『分裂』と『対立』です。
  
  『愛』と『一致』の二つが難しいことを分かっていたので、
       イエスは語ったのです。
  
    自分と異なるものを受け入れる『愛』をもって、
     初めて『一致』が可能なのです。
     イエスの姿はこの『二つ』です。

  『愛』は一言で言えば、互いに『奉仕』することです。
   これからの6年間の学生生活で、
 皆様は、人々と世界の『一致』のために貢献する人、として成長してください。』


『ご来賓の御方の祝辞』一部です。

   『学校の信念の生き方は、
  『Men for others、with others』『他者のために、他者と共に』です。

   皆様は、『地の塩』、『世の光』なのです。
   他者との関係において、その価値が生まれる塩と光です。
   他者を生かすための塩、他者を輝かせるための光なのです。

     真に良いもの、真に価値のあるものを捜し、
      社会貢献のためになる成長を目指す。

     自分で選ぶことが大切です。
     6年間で、さまざまのことを聞き、見て、
     『本物=とこしえの真』を捜すのです。』


『聖体拝領』

聖体拝領の列に並びながら・・・
思い出すのは
孫息子の洗礼式と初聖体拝領の日。
それは
家族皆とおばあちゃん・私に見守られて
 『第二の誕生』の瞬間でした。
 
 恵み豊かに・・・
 『神に愛されるために生まれた』孫息子
   『神様の子』となりました。
神なる御父とパパなる父の二人の父親を持つ孫息子です。
  

         ママとおばあちゃんそして孫息子
        一列に並んで、聖体拝領をいたしました。

『聖体拝領の歌』 
       『Protect All Life 時のしるし』

    『はるか道のかなた つながる世界
     僕らは未来へ何を残せるだろう?
 嘆き悲しんでいる人がいたなら、ただ行って寄り添い 涙をこぼしたい
     夢をかなえるよ この地球(ほし)で泣いている
     君の声を知らせて きっと出会う奇跡
        巡りあうこの場所で』


そして
『閉祭の歌』
        『なかま』

   『それぞれが 違う場所で生まれて育ち
    違う足跡を残し 道を歩んできた
 強い力によって 道が重なり合って いまここに集まった
   キリストのもっとにあって ともに祈っている

    たくさんの 仲間たちといまここにいる
    悲しみや喜びを ともに分かち合って
 神様に感謝しよう すばらしい友だちとめぐり合えたことを
    みんなで心を合わせて ともに祈っている』


御ミサが終了しました。

    今日、私は、孫息子の入学記念ミサと入学式に参列しました。
    若いお父様やお母様方に混じって、おばあちゃんは私一人でした。

       孫息子よ、ご入学おめでとうございます。
        これからの中学生生活が
      神様の恵みあふれるものとなりますよう
         お祈りしています。
          感謝!感謝!


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
今日は孫息子の入学記念ミサにご一緒していただきありがとうございました。
若者の新しい『出発』は、希望に満ちて善いものでございます。
新しく出発なさる皆様、そして それを見守る皆様、おめでとうございます。
皆様の新しい出発が恵みあふれるものとなりますように、心からお祈り申し上げます。
                  お元気で!

東京滞在最終日・・・私の『The Tokyo』

2022-04-07 12:00:00 | 娘と娘家族
4月7日。木曜日。晴れ。

今日で、
私の娘宅、新居の引っ越し手伝いも
最終日となりました。


  娘宅新居玄関・・・     『飾り棚』   
    『Chateau Mouton Rothschild 1972年&1968年』

     娘夫婦の一人一人の生まれ年の『ムートン・ロスチャイルド』空き瓶です。
       夫婦の新居に飾られたワイス好き夫婦の
         『愛の証』『新居の徴』です。
  
  
       いよいよ娘夫婦の新居引っ越し後の片付けも一段落して、
       私も16日間の手伝いを終えて、
       明日は神戸に帰ります。

       16日間は、
       私にとっての『The Tokyo』の日々でもありました。

 
 『The Tokyo』ー①    『手打ちそば』 

     故郷の味:母が打ってくれた『そば』の味が忘れられない。
       関西では味わえない、故郷・関東のお味です。
         一押しのMy『The Tokyo』
         孫娘と二人で楽しみました。

    
      街角の素朴な『そば処:やぶ重』の玄関先  
           満開のチューリップが東京の『粋』を感じさせます。
   

  『The Tokyo] -②   『都立石神井公園』 
  
    『白鷺』の降り立つ公園   なんとも美しい

    家族ずれで賑わう・・・   『満開の櫻』

     娘の新居の近くの公園・・・
     孫娘と自転車でゆっくり一周して楽しんだことは、
       正に、私の『The Tokyo』でした♡♡

                      今年の私の『桜観賞』は、
       旅先の、娘家族と共にでした。
       東京といえども、石神井公園はまわりを雑木林に囲まれていた。
       そこは、孫娘と『自然との対話』を共有する場所でした。

   孫娘と共に手を合わせて・・・『厳島神社』  


  『The  Tokyo』ー③    『孫息子の中学初登校』
    
                 入学式前の登校日

     孫息子は、通学に、家から学校まで、2時間弱を要します。
     初日の今日は、父親と『駅前自転車置き場』のチェックです。


     孫息子の『新しい人生』の始まりです。
     娘夫婦も、下の子(孫息子)の中学入学で、
     12年間の子育てから解放されて、『新しい人生』のスタートです。
     我が娘(ママ)は、思いっきり『研究生活』を再開したい、と申します。


    めでたいめでたいと・・・ 『入学式前夜祭』    

     未開封の引っ越し荷物の中での『入学式前夜祭祝膳』

     新調した食卓がまだ届かないで、『仮食卓』での『祝賀会』です。
     明日から、親子共々に、本格的『勉強と研究生活』のスタートです。
     シャンパン:『MOET』&『鯛の刺身』&『佐賀牛ステーキ』
       娘家族と団らん・・・正にMY『The Tokyo』でした。
     
     
      縁あって、私の生まれ故郷となった東京です。
      若かりし日々の思い出の輝く東京です。
      何よりも、25歳になるまで両親と共に過ごした懐かしい東京です。

      年を重ねた今、
      私にとっての、『The Tokyo』とは何なのか。

      心の中に生き続けている故郷:東京で、
      東京住まいの娘や息子の家族と共に、
      『生きている喜び』:『生命』を楽しむことが、私の『The Tokyo』のようです。
           感謝!感謝!


皆様!

御訪問に感謝申し上げます。
皆様の故郷はどちらですか。やはり故郷は心の拠り所ですね。
今置かれている場所に感謝して、穏やかな週末をお過ごしください。 お元気で!


村上春樹ワールド・・・『ドライブ・マイ・カー』・・・『その先にあるものを、僕はまだ知らない』

2022-04-02 10:00:00 | 大学。大学院。本。コンサート。ラジオ。映画。
4月2日。土曜日。晴れ。

今日は、
孫娘と映画鑑賞です。

      『ドライブ・マイ・カー』
 
  村上春樹原作    『SAAB車』  
                    確か、村上春樹氏の愛用車もSAABだったのでは?

     『その先にあるものを、僕はまだ知らない』


   主人公の舞台俳優兼演出家は、
   寡黙な女ドライバーのと出会い、
   これまで目を向けることがなかったこと、に気づかされていく。 



      私は、正に『ハルキシト』、村上春樹氏の大ファンです。
      初めて春樹に出会った『ノルウエイの森』以来・・・
      読みあさるという感じで、どの分野の本も読みます。

         どの本も難解なのが好きなのです。
         私にとって難しいのが面白いのです。
         村上春樹に挑戦をするのです。それが面白いのです。


      ※紀行文も大好きです。
       『もし僕らのことばがウイスキーであったなら』
          春樹の『ウイスキー巡礼』の道をそのままに、
          ウイスキー好きでもある私は、
          アイラ島を大雪の季節に、たどりました♡♡
      ※『辺境・近境』も大好きです。
        『村上春樹の青春クリニエル 故郷・西宮=神戸を歩く』
          阪神大震で傷を受けた私は、
          震災の傷が生々しく残る兵庫県内を
           ※春樹の文章と共に歩いた。
           ※私も常連の『ピノッキオ』では、
            春樹と共に?ピザを食べました。


映画:『ドライブ・マイ・カー』は、
中学三年になる孫娘には、
まだ難しすぎたようでした。
映画の途中で、
”あれは、どういうこと?”
と、何回も聞いてきました。


      村上春樹の文章は、
      平坦で(感情表現がなく)、メタファ-(たとえ)が多く、
       ※読む人の数だけ、その『解釈』があるのでしょう。
       ※一人の人でも、読む時の年齢によって、その『解釈』が違ってくるのでしょう。


      人は、
      若い頃には『見えないもの』が、年を重ねる毎に見えてくるようになる。
      若い頃には見えない『人の心』が、年を重ねて見えてくるのです。
      年を重ねる毎に、『この世のこと』が分かるようになってくるのです。


       今日の私も、
       以前に読んだ『女子高校生の空き巣』事件を
       『ドライブ・マイ・カー』の監督の『解釈』で読むことができました。
        『その先にあるものを、私は少し知ることができました』
       目に見えない何か空気のようなものを感じることができました。
       My『ハルキスト』に、深みを加えることができましした。
                 感謝!感謝!


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
皆様は、映画がお好きですか? どんな映画がお好きですか?
私は、まず、映画の原作本を読み、次に、原作が映画化されてその映画を観て・・・
最後に、改めて三回目、”私ならこういう風に演出するでしょうに!” 等と考えながら、
読み返すのです。楽しいですね。   お元気で!


私は、東京の娘家族の引っ越しの手伝いが、すでに13日目になります。
あと二日ほどで手伝いを終えて神戸の家に戻るつもりです。
大好きな『毎日の聖書・典礼』の分かち合いを、皆様とブログ上でできないのが残念です。
また再開しました折りにはよろしくお願いいたします。