マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

復活の祝杯・・・『イエスが婦人たちの行く手に立っていて、「おはよう」と言われた。』

2019-04-22 18:00:00 | 待降節。クリスマス。降誕節。四旬節。復活節。

 4月22日。月曜日。夕餉。

  イエス様が復活なさいまして・・・  『祝杯』

      主は、仰せのとおり死者のうちから復活された。
  アレルヤ。『喜び歌え、主はとこしえに治められる。』アレルヤ。

  
  『祝酒』は、娘婿の友人が始められたボジュール農園『Pinot Noir』です。
     
      神に感謝! 神に感謝! かんぱい!かんぱい!


神の御子でありながら、その身に固執せず、この世を救済するために命を懸けられたイエス様。
  そして。
医師の身でありながら、その身に固執せず、長野県に11年前に移住しワイン作りに命を懸けた男性
     
     それぞれの人生に栄光あれ! かんぱい!かんぱい!

 

 アレルヤ、アレルヤ。『きょうこそ神が造られた日、喜び歌え、この日をともに。
     しあわせな人、神の恵みを受け、その喜びに生きる人。』アレルヤ、アレルヤ
                      

     信仰の喜びに感謝!感謝! かんぱい!かんぱい!

                おいしいワイン。喜びの祝杯。いいものですね。

     

 

そして。

今日は4月22日。復活の月曜日 。                                          

        イエス様の復活の朝の出来事です。

『今日の福音 イエス様の御言葉

『そのとき、婦人たちは(天使の話を聞いて)、恐れながらも大いに喜び、
  急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走って行った。

     すると、イエスが行く手に立っていて、
       「おはよう」と言われたので、
 

   婦人たちは近寄り、イエスの足を抱き、その前にひれ伏した。』
                マタイ福音書 28章8-15節


    
    イエスが亡くなり埋葬した翌日の朝の出来事ですよね。

 婦人たちは、朝一番、イエスを埋葬した墓に行きました。
      すると、そこに、イエスはいなくて、
         天使がいて、婦人たちに告げたのでした。
  

   「イエス様は復活なさったのです。ここにはおいでになりません。」

そして、
  婦人たちが、『イエスの復活』を弟子たちに伝えるために、急いでいる道で、
      イエス様は、婦人たちにご自身をお見せになったのです。
            「おはよう!」
        と、婦人たちに、ご挨拶をなさったのです。
 

   婦人たちは近寄り、イエスの足を抱き、その前にひれ伏したのです。


   イエスの復活を一番最初に知ったのは、3人の婦人でした。
      そして。
     復活のイエスが、一番最初に現れたのも、
    復活のイエス様が、一番最初に話しかけれれたのも、
                 3人の婦人たちでした。
       更に。
  イエスの復活を伝えるようにとイエス様から『使命』を最初に与えられたのも、
                           3人の婦人たちです。

 

   復活なさったイエス様の『第一声』は、『おはよう』でした。
        しかも。弟子たちにではなく、婦人たちにでした。

 
 あまりにも当たり前の、普段の朝の通りの『挨拶』を、ご婦人たちになされました。
      それは、何を意味するのでしょうか?

考えてみました。

 イエスを亡くした夜から・・・皆の心は、朝を迎えても、暗黒の中にあったことでしょう。
   そんな時。
 イエスの当たり前の『おはよう』の挨拶で、暗黒の心に、一気に『朝の光』が訪れたのです

   
    イエス様の『おはよう』『一言』で、

凍りついたようになってしまっていたマリアたちの命に、再び『生命』が取り戻されたのです。
    昨夜までとは全く違う『新しい命』が生まれたのです。

  
    いつものようにやさしく微笑んでいるイエス様のお姿を見て、
  その事実が、何よりもマリアたちの心に『喜び』がもたらされたのです。


    婦人たちは近寄り、イエスの足を抱き、その前にひれ伏したのです。
  足を抱きしめて、イエス様は『生きておられる』と、体で確かめたのです。

  

    3人の婦人たちは、
迷うことなく、蘇られたイエス様と『共に生きる』、『新しい生き方』を始めたことでしょう。

 

   暗闇は過ぎ去り・・・
     『朝の光』が、マリアたちの心も体も照らしてゆきます。      
 この『朝の光』は、『復活の朝の光』『永遠の命の光』 なのです。


    どうして?
   復活の始まりは、婦人たちから始まったのでしょう?
     イエス様は、婦人たちの揺るぎのない信仰を。知っておられたからでしょうか?

 

                  以上。考えました。お粗末様でした。

 
『昨日・復活の主日ミサの説教』 一部です。

『イエスさまの復活を通して、「死は終わりではない」ということが知らされました。
   私たちはいま、よみがえられたイエスさまの命の中を生きています。
   すでに亡くなった人々も、その命の光の中を、共に生きています。
       イエスさまはいまも生きておられます。
   どんなときも、私たちは独りきりで生きているのではありません。』

 

皆様!
ご訪問に感謝申し上げます。
朝の太陽の光も、朝の「おはよう!」の挨拶も、その日一日の元気の元になりますよね。 お元気で!

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