マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

都心の発見・・・『日常の日々』 そして 『わたしは金や銀は持っていないが、持っているものをあげよう。』

2018-04-04 16:00:00 | 娘と娘家族
今日は4月4日。 東京3日目。

穏やかな一日…今日は、葉桜になった桜街道を孫息子と走ってみた

   ほっとします・・・   『変わらぬ日常』
   
 『心をいやす風景』          日々の練習 。     


人の幸せとは何だろう。

喧騒から静寂に戻る時、心に平安が戻る。そんな『日常』が確保されていることが『幸せ』ではなかろうか?
派手さもない。大きな変化もない。それらに代わって、『笑い』と『安心』がある。

都心の中…変化し続ける世界情勢を映し出す喧噪の町とは正反対の、変わらぬ『人の営み』が繰り返される『家庭』がありました。


そして。

今日は、復活の水曜日。

『今日の集会祈願』

『聖なる父よ、あなたは、御子キリストによって新しい希望を世にお与えになりました。
主の復活を祝うわたしたちが、永遠の喜びへの道を力強く進むことができますように。』


『今日の第一朗読 使徒たちの宣教』

『ペテロとヨハネが、午後三時のお祈りの時に神殿へ上って行った。
すると、
生まれながらに足の不自由な男が、神殿の境内に入る人に施しを乞うために、運ばれてきた。

   彼はペテロとヨハネが境内に入ろうとするのを見て、施しを乞うた。

  
 『跛者の治癒』       マゾリーノ作品

  ペテロは、ヨハネと一緒に彼をじっと見て、「わたしたちを見なさい」と言った。

その男が、何かもらえると思って二人を見つめていると、ペテロは言った。

「わたしは金や銀は持っていないが、持っているものをあげよう。
ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」


そして、右手を取って彼を立ち上がらせた。
すると、たちまち、その男は足やくるぶしがしっかりして、踊り上がってたち、歩き出した。』

        使徒言行録 3章1-10節


     『跛者の治癒』 は 『イエス・キリストの名によって』、起こったことです。
     聖霊の働きが、イエスの使徒を通じて、驚くべき『わざ』 となったことです。



イエスの生涯の中で、
弟子を育てることは、『収穫は多いが働き手が少ない』と言われ、最も重要な仕事のうちのひとつでした。



     『イエスの弟子たちの養成』マルコ福音書 3章13-15節

まず。これと思う十二人を呼び寄せ、任命し、使徒と名付けられた。

次に。使徒の養成です。
 
   ①ご自分のそばに置く。
     ・・・ご自分が病気を直したり悪霊を追い出したりする『お手本』を見せて学ばせました
   悪霊を追い出し、あらゆる患いをいやす追い出す、権能を授ける。
   ③宣教のため派遣する。 

養成後。

イエスさまは、
必要な力を与えた弟子たちを、『天の御国が近づいた』と宣べ伝えるように、派遣されたのです。
    

 
では・・・

私たちキリスト者も、イエスの弟子の一人です。
イエス様を必要とされている方の元に、イエス様から派遣されていくのです。

  そのために・・・私たちも養成されねばなりません。

   まず、 『聖書』を読み、イエスのおそばを離れることなく、イエスから学びます。 
   次に、 『祈り』を続け、神の権能を頂くのです。
   そして、『愛』を持って、『神の国』を証ししながら、宣教するのです。



    『自分の力』を見つめるのではなく、『イエスの力』を信じる時・・・
    私たちも、使徒ペテロと同様に、イエスの協力者となれるのです。 ならねばならないのです。
                   頑張りましょう! ファイト!



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
小2年の孫息子が、『幸せは足るを知ること』と習ってきました。そうですね。 お元気で!

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