5月26日。復活節第六月曜日。
カトリック教会では記念日です。
『聖フィリッポ・ネリ司祭』
イタリア人 『喜びの聖人』&『イタリア第二聖人』と称される。
1515年(約500年前) ~ 1595年(79歳)
『聖人』と称される方とは?
今日は改めて考えました。検証です。 ご一緒によろしくお願いいたします
まずは・・・
「聖人」とは?
最高の人格を備え、高い学識や深い信仰を持つ人。
カトリック教会で、殉教者や、信仰と徳に特に秀で教皇によって公式に列聖された人。
広辞苑より。
次には・・・
聖フィリッポ・ネリの 『生い立ち』 は?
公証人の父。貴族階級家系の母(弟の出生による産褥で死亡)。4人兄弟姉妹の長男。
17歳: 伯父の富裕な商人の家を継ぐべく、養子に出る。
18歳: 神への祈りに生きるべきであると確信し、ローマに出る。
聖アウグスチノ修道会にて学びつつ、病院や救貧院での奉仕を始める。
修道院において聖職者になるための勉強をする時間が、祈りの時間を削ることになる。と考えるようになる。
修道院での勉強に終止符を打ち、カタコンベで独り祈り、奉仕をする生活を始める。
聖セバスチャンのカタコンベにて、自らがペンテコスト(聖霊降臨)と表現する、神秘的な体験をする。
ここから、彼の宣教活動が始まる。
信徒たちの集まりを組織し、教会の『小祈祷所(オラトリオ)』で集会を持ち、信徒達とともに、病院や救貧院に奉仕に出かけた。
40歳: 司祭叙階。
なるほどね~。
最近の日本の司祭も、社会に一度出た方が司祭叙階をなさるケースが多い。とか。
現代社会では、なお一層のこと、社会と繋がってこその信仰。 司祭の社会理解は、欠かせないことかもしれませんね。
それでは・・・
聖フィリッポ・ネリの 『思想』 とは?
『宣教活動は司祭と信徒の共同のものである』 と考えた。
なるほどね~。
現代では、バチカン公会議後は、当たり前となってきた『思想』の 『信徒使徒職』。
500年前程前に、『思想』を考えついたのはすごい。 そして 社会が受け入れられず、迫害に耐えたのもすごい。
では・・・
当時の社会情勢は?
ルネッサンスと宗教改革の影響により、
若者は、宗教離れと享楽主義が多く、退廃的で非宗教的になっていた。
聖職者も、一般の民衆から離れた、貴族的な司祭像があった。
では・・・
フィリッポ・ネリの 『手法』 とは?
若者の中に自ら飛び込んでいく、新しい形の聖職者像をつくりあげた。
奉仕に「喜び」を見出せるような、音楽や歌唱を取り入れることで、明るさを演出した。
この手法は、教会離れが進んだ当時のローマの若者にとって、新鮮であった。
そして・・・
ネリ自身の 『モットー』 は?
『神への従順。神のみ旨への謙遜。神以外のすべてのものからの離脱。』
隣人愛。福音的な単純さ。喜びにあふれる神への奉仕。
以上。ウィキペディアと私の意見もあり。
ではでは・・・
私達も聖書を開いて・・・
『今日の御言葉』
『パウロや弟子たちは、祈りの場所があると思われる川岸に行った。
神をあがめるリディアという婦人はパウロの話を注意深く聞いた。』
使徒言行録 16章13&14節
これから・・・
私たちはどうする?
『信仰は聞くことから始まる』
ローマ人への手紙10章13~21節
信じるためには、第一に、『御言葉』を聞かなければなりません。
『神様の御言葉』に出会うなら、そのとき信仰が生まれますよね。
最後に・・・
『有名なお話』を一つ。 分かち合いです。
アメリカに住んでいたある信仰深いおばあさんが、思わぬ病気で1年近く入院しました。
この人は健康な時も伝道熱心でしたが、病気で入院しても、どうしたら伝道できるかなぁと一生懸命に考えました。
そして祈っているうちに、神様はこのおばあちゃんにすばらしい知恵を与えました。
おばあちゃんはアルバイトの大学生を雇うことにしたのです。
「一日三時間から四時間聖書を読んで聞かせてください。」 と頼みました。
「私は病気になって聖書を読めないから、私の横で読んでおくれ。
一週間で幾ら幾ら、一ヶ月で幾ら幾ら払います。」 と雇いました。
「お安いご用ですよ。」
学生は、マタイ・マルコ・ルカ・ヨハネと、聖書を順番に読んでいきました。
このおばあちゃん、わざと聞こえないふりをして
「ちょっと学生さん、よく聞こえないわね。そのところもう一度読んで下さるかしら」と。
初めのうちは何も起こらなかったのですが、
二,三回続くうちに、
大学生は『御言葉』を読んで感動し、聖霊の促しによって悔い改めへと導かれ、主を信じるようになった。
おばあちゃんはこの方法で、一年間に十人以上の学生を救いに導いた。 との話です。
めでたし! めでたし!
確かに・・・
毎週集まる 『聖書通読会』 の私の仲間達。
『御言葉』から離れることなく、信仰がどんどん深まります。 目に見えます。
めでたし! めでたし!
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。 夫婦間でも、子供とも、『聞くことで相互間の愛が生まれる!』 との話ですよ!
カトリック教会では記念日です。
『聖フィリッポ・ネリ司祭』
イタリア人 『喜びの聖人』&『イタリア第二聖人』と称される。
1515年(約500年前) ~ 1595年(79歳)
『聖人』と称される方とは?
今日は改めて考えました。検証です。 ご一緒によろしくお願いいたします
まずは・・・
「聖人」とは?
最高の人格を備え、高い学識や深い信仰を持つ人。
カトリック教会で、殉教者や、信仰と徳に特に秀で教皇によって公式に列聖された人。
広辞苑より。
次には・・・
聖フィリッポ・ネリの 『生い立ち』 は?
公証人の父。貴族階級家系の母(弟の出生による産褥で死亡)。4人兄弟姉妹の長男。
17歳: 伯父の富裕な商人の家を継ぐべく、養子に出る。
18歳: 神への祈りに生きるべきであると確信し、ローマに出る。
聖アウグスチノ修道会にて学びつつ、病院や救貧院での奉仕を始める。
修道院において聖職者になるための勉強をする時間が、祈りの時間を削ることになる。と考えるようになる。
修道院での勉強に終止符を打ち、カタコンベで独り祈り、奉仕をする生活を始める。
聖セバスチャンのカタコンベにて、自らがペンテコスト(聖霊降臨)と表現する、神秘的な体験をする。
ここから、彼の宣教活動が始まる。
信徒たちの集まりを組織し、教会の『小祈祷所(オラトリオ)』で集会を持ち、信徒達とともに、病院や救貧院に奉仕に出かけた。
40歳: 司祭叙階。
なるほどね~。
最近の日本の司祭も、社会に一度出た方が司祭叙階をなさるケースが多い。とか。
現代社会では、なお一層のこと、社会と繋がってこその信仰。 司祭の社会理解は、欠かせないことかもしれませんね。
それでは・・・
聖フィリッポ・ネリの 『思想』 とは?
『宣教活動は司祭と信徒の共同のものである』 と考えた。
なるほどね~。
現代では、バチカン公会議後は、当たり前となってきた『思想』の 『信徒使徒職』。
500年前程前に、『思想』を考えついたのはすごい。 そして 社会が受け入れられず、迫害に耐えたのもすごい。
では・・・
当時の社会情勢は?
ルネッサンスと宗教改革の影響により、
若者は、宗教離れと享楽主義が多く、退廃的で非宗教的になっていた。
聖職者も、一般の民衆から離れた、貴族的な司祭像があった。
では・・・
フィリッポ・ネリの 『手法』 とは?
若者の中に自ら飛び込んでいく、新しい形の聖職者像をつくりあげた。
奉仕に「喜び」を見出せるような、音楽や歌唱を取り入れることで、明るさを演出した。
この手法は、教会離れが進んだ当時のローマの若者にとって、新鮮であった。
そして・・・
ネリ自身の 『モットー』 は?
『神への従順。神のみ旨への謙遜。神以外のすべてのものからの離脱。』
隣人愛。福音的な単純さ。喜びにあふれる神への奉仕。
以上。ウィキペディアと私の意見もあり。
ではでは・・・
私達も聖書を開いて・・・
『今日の御言葉』
『パウロや弟子たちは、祈りの場所があると思われる川岸に行った。
神をあがめるリディアという婦人はパウロの話を注意深く聞いた。』
使徒言行録 16章13&14節
これから・・・
私たちはどうする?
『信仰は聞くことから始まる』
ローマ人への手紙10章13~21節
信じるためには、第一に、『御言葉』を聞かなければなりません。
『神様の御言葉』に出会うなら、そのとき信仰が生まれますよね。
最後に・・・
『有名なお話』を一つ。 分かち合いです。
アメリカに住んでいたある信仰深いおばあさんが、思わぬ病気で1年近く入院しました。
この人は健康な時も伝道熱心でしたが、病気で入院しても、どうしたら伝道できるかなぁと一生懸命に考えました。
そして祈っているうちに、神様はこのおばあちゃんにすばらしい知恵を与えました。
おばあちゃんはアルバイトの大学生を雇うことにしたのです。
「一日三時間から四時間聖書を読んで聞かせてください。」 と頼みました。
「私は病気になって聖書を読めないから、私の横で読んでおくれ。
一週間で幾ら幾ら、一ヶ月で幾ら幾ら払います。」 と雇いました。
「お安いご用ですよ。」
学生は、マタイ・マルコ・ルカ・ヨハネと、聖書を順番に読んでいきました。
このおばあちゃん、わざと聞こえないふりをして
「ちょっと学生さん、よく聞こえないわね。そのところもう一度読んで下さるかしら」と。
初めのうちは何も起こらなかったのですが、
二,三回続くうちに、
大学生は『御言葉』を読んで感動し、聖霊の促しによって悔い改めへと導かれ、主を信じるようになった。
おばあちゃんはこの方法で、一年間に十人以上の学生を救いに導いた。 との話です。
めでたし! めでたし!
確かに・・・
毎週集まる 『聖書通読会』 の私の仲間達。
『御言葉』から離れることなく、信仰がどんどん深まります。 目に見えます。
めでたし! めでたし!
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。 夫婦間でも、子供とも、『聞くことで相互間の愛が生まれる!』 との話ですよ!