マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

聖金曜日・・・『主の受難』・・・『彼が刺し貫かれたのは私たちの背きのため、打ち砕かれたのは私たちの咎のためであった。』

2019-04-19 15:00:00 | 待降節。クリスマス。降誕節。四旬節。復活節。

今日は4月19日。聖金曜日。午後三時。

        『主の受難 』         


     キリストの受難と死を思い起こす『主の受難の祭儀』は、
   キリストが息を引き取ったとされる三時に行われます。
   
    『主の受難』の典礼は、
『救いの歴史』における『キリストの受難と死』の意義を思い起こし、
  復活への希望のうちに十字架の勝利を賛美するものです。

全体は、『ことばの典礼』『十字架の崇敬』『交わりの儀』の三つの部分で構成されます。

                      
                ご一緒によろしくお願いいたします

 

 祭壇は、昨晩裸にしたまま、十字架もろうそくも置かず、祭壇布もかけない。
 聖櫃は、空です。
 
   『キリストの受難と死』は過ぎ越しの途上の出来事なので、
   『主の過ぎ越し』を記念するミサは聖金曜日には行われず、
      また聖なる過ぎ越しの断食が守られるのです。


司式司祭は、祭壇前にひざまずいて、しばらく祈った後に、典礼が始まりました。

 

     第一部  『ことばの典礼』


 『祈願』

  『憐れみ深い神よ、
御子キリストは、あなたの民のためにご自分の血によって過ぎ越しの神秘を定めてくださいました。
   慈しみを忘れず、この民を永遠の愛のうちにお守りください。』


まずは。
旧約聖書から。

 『救いの歴史』における『キリストの受難と死』の意義を思い起こしてまいりましょう。

                                             

『イザヤの預言』

『主は言われる。

         見よ、わたしの僕は栄える。 はるかに高く上げられ、あがめられる。

         かつて多くの人をおののかせたあなたの姿のように 彼の姿は損なわれ、
                 人とは見えず、 もはや人の子の面影はない。
                
それほどに、彼は多くの民を驚かせる。

                  彼を見て、王たちも口を閉ざす。
    だれも物語らなかったことを見 一度も聞かされなかったことを悟ったからだ。

          わたしたちの聞いたことを、誰が信じえようか。
            主は御腕の力を誰に示されたことがあろうか。

 乾いた地に埋もれた根から生え出た若枝のように この人は主の前に育った。
  
    見るべき面影はなく、 輝かしい風格も、好ましい容姿もない。
      
彼は軽蔑され、人々に見捨てられ、 多くの痛みを負い、病を知っている。

         彼はわたしたちに顔を隠し、 わたしたちは彼を軽蔑し、無視していた。
 

   彼が担ったのはわたしたちの病 彼が負ったのはわたしたちの痛みであったのに、
  わたしたちは思っていた 神の手にかかり、打たれたから 彼は苦しんでいるのだ、と。

     彼が刺し貫かれたのは わたしたちの背きのためであり
     彼が打ち砕かれたのは わたしたちの咎のためであった。
      
                   
エル・グレゴ作品

    
     彼の受けた懲らしめによってわたしたちに平和が与えられ
      彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。

  
       
わたしたちは羊の群れ

     道を誤り、それぞれの方角に向かって行った。

   
   そのわたしたちの罪をすべて主は彼に負わせられた。
     

    
 苦役を課せられて、かがみ込み 彼は口を開かなかった。

 屠り場に引かれる小羊のように 毛を切る者の前に物を言わない羊のように 彼は口を開かなかった。
      捕らえられ、裁きを受けて、彼は命を取られた。


       
彼の時代の誰が思い巡らしたであろうか

  わたしの民の背きのゆえに、彼が神の手にかかり 命ある者の地から断たれたことを。


     彼は不法を働かず その口に偽りもなかったのに
   その墓は神に逆らう者と共にされ 富める者と共に葬られた。


    病に苦しむこの人を打ち砕こうと主は望まれ

      彼は自らを償いの献げ物とした。

     彼は、子孫が末永く続くのを見る。
   主の望まれることは彼の手によって成し遂げられる。
  わたしの僕は、多くの人が正しい者とされるために 彼らの罪を自ら負った。


多くの人の過ちを担い 背いた者のために執り成しをしたのは この人であった。』
                    
イザヤ署 52章13ー53章12節

     旧約は、神の義と救いの預言でした。
  神の愛は、人々の積み重なる罪をはるかに超える愛で・・・
    ゆるし、あがない、約束を守り、必ず実現するのです。
 ここに『神の義』が示され、それは 人間からは『救い』なのです。
  


次に。

新約聖書から。

 『救いの歴史』における『キリストの受難と死』の意義を思い起こしてまいりましょう。


      『ヨハネによる主イエス・キリストの受難』

『夕食のあと、イエスは弟子たちと一緒に、キドロンの谷の向こうへ出て行かれた。
  そこには園があり、イエスは弟子たちとその中に入られた。

それでユダは、

一隊の兵士と、祭司長たちやファリサイ派の人々の遣わした下役たちを引き連れて、そこにやって来た。
      松明やともし火や武器を手にしていた。


 イエスは御自分の身に起こることを何もかも知っておられ、進み出て、言われた。

       「だれを捜しているのか。」
 

    彼らは答えた。「ナザレのイエスだ。」
   イエスは言われた。
 「わたしである。」「わたしを捜しているのなら、この人々は去らせなさい。」

 シモン・ペトロは、
剣を持っていたので、それを抜いて大祭司の手下に打ってかかり、その右の耳を切り落とした。
 イエスはペトロに言われた。
  「剣をさやに納めなさい。父がお与えになった杯は、飲むべきではないか。」


  そこで一隊の兵士と千人隊長、およびユダヤ人の下役たちは、イエスを捕らえて縛り、
     まず、アンナスのところへ連れて行った。

  シモン・ペトロともう一人の弟子は、イエスに従った。
この弟子は大祭司の知り合いだったので、イエスと一緒に大祭司の屋敷の中庭に入ったが、
   また出て来て門番の女に話し、ペトロを中に入れた。

門番の女中はペトロに言った。「あなたも、あの人の弟子の一人ではありませんか。」
  
    ペトロは言った。  「違う。」


          
大祭司はイエスに弟子のことや教えについて尋ねた。

 
    イエスは答えられた。

    
      「わたしは、世に向かって公然と話した。
   わたしはいつも、ユダヤ人が皆集まる会堂や神殿の境内で教えた。
    ひそかに話したことは何もない。なぜ、わたしを尋問するのか。
    わたしが何を話したかは、それを聞いた人々に尋ねるがよい。
       その人々がわたしの話したことを知っている。」

 

「何か悪いことをわたしが言ったのなら、その悪いところを証明しなさい。
         正しいことを言ったのなら、なぜわたしを打つのか。」


アンナスは、イエスを縛ったまま、大祭司カイアファのもとに送った。
   

  シモン・ペトロは立って火にあたっていた。人々は言った。
     「お前もあの男の弟子の一人ではないのか。」
   ペトロは打ち消して、言った。 「違う。」


  大祭司の僕の一人で、ペトロに片方の耳を切り落とされた人の身内の者が言った。
    「園であの男と一緒にいるのを、わたしに見られたではないか。」
 
     ペトロは、再び打ち消した。するとすぐ、鶏が鳴いた。


 
人々は、イエスをカイアファのところから総督官邸に連れて行った。明け方であった。

      そこで、ピラトが彼らのところへ出て来て、言った。

        「どういう罪でこの男を訴えるのか。」

     「あなたたちが引き取って、自分たちの律法に従って裁け。」
ユダヤ人たちは言った。 「わたしたちには、人を死刑にする権限がありません。」

 

   そこで、ピラトはもう一度官邸に入り、イエスを呼び出して、言った。
 
         「お前がユダヤ人の王なのか。」
 「お前の同胞や祭司長たちが、お前をわたしに引き渡したのだ。いったい何をしたのか。

イエスはお答えになった。   
    「わたしの国は、この世には属していない。
もし、わたしの国がこの世に属していれば、わたしがユダヤ人に引き渡されないように、部下が戦ったことだろう。
     しかし、実際、わたしの国はこの世には属していない。」


そこで ピラトが言った。「それでは、やはり王なのか。」
イエスはお答えになった。

       「わたしが王だとは、あなたが言っていることです。
    わたしは真理について証しをするために生まれ、そのためにこの世に来た。
          真理に属する人は皆、わたしの声を聞く。」



    ピラトは、もう一度、ユダヤ人たちの前に出て来て言った。
 
      「わたしはあの男に何の罪も見いだせない。
 
ところで、過越祭にはだれか一人をあなたたちに釈放するのが慣例になっている。

     あのユダヤ人の王を釈放してほしいか。」


すると、彼らは、大声で言い返した。
     「その男ではない。バラバを。」バラバは強盗であった。


そこで・ピラトはイエスを捕らえ、鞭で打たせた。
  
兵士たちは茨で冠を編んでイエスの頭に載せ、紫の服をまとわせ、

  

    そばにやって来ては、平手で打って言った。
         「ユダヤ人の王、万歳。」


ピラトはまた出て来て、言った。
    「見よ、あの男をあなたたちのところへ引き出そう。
   そうすれば、わたしが彼に何の罪も見いだせないわけが分かるだろう。」


   イエスは茨の冠をかぶり、紫の服を着けて出て来られた。
 

      ピラトは言った。「見よ、この男だ。」
  祭司長たちや下役たちは、イエスを見ると叫んだ。
     「十字架につけろ。十字架につけろ。」


ピラトは言った。
「あなたたちが引き取って、十字架につけるがよい。わたしはこの男に罪を見いだせない。」
ユダヤ人たちは答えた。
    「わたしたちには律法があります。
       律法によれば、この男は死罪に当たります。
         神の子と自称したからです。」

 

    ピラトは、この言葉を聞いてますます恐れ、再び総督官邸の中に入って、
     イエスに言った。「お前はどこから来たのか。」
       しかし、イエスは答えようとされなかった。


     ピラトはイエスを釈放しようと努めた。


ピラトは、イエスを外に連れ出し、裁判の席に着かせた。
      
それは過越祭の準備の日の、正午ごろであった。


   ピラトはユダヤ人たちに言った。 「見よ、あなたたちの王だ。」
 
   彼らは叫んだ。 「殺せ。殺せ。十字架につけろ。」


   そこで、ピラトは、十字架につけるために、イエスを彼らに引き渡した。
       こうして、彼らはイエスを引き取った。


 
  イエスは、自ら十字架を背負い、

  
  『キリストと十字架イエス』      エル・グレコ作品

   「されこうべの場所」、ゴルゴタという所へ向かわれた。
    そこで、彼らはイエスを十字架につけた。
  また、イエスと一緒にほかの二人をも、イエスを真ん中にして両側に
 
     十字架につけた。

 ピラトは罪状書きを書いて、十字架の上に掛けた。
   それには、「ナザレのイエス、ユダヤ人の王」と書いてあった。
    それは、ヘブライ語、ラテン語、ギリシア語で書かれていた。

 

イエスの十字架のそばには、
   その母と母の姉妹、クロパの妻マリアとマグダラのマリアとが立っていた。
    
    『イエスの磔刑』      エル・グレコ作品


 
イエスは、母とそのそばにいる愛する弟子(ヨハネ)とを見て、母に言われた。

      「婦人よ、御覧なさい。あなたの子です。」

    それから弟子に言われた。「見なさい。あなたの母です。」
   そのときから、この弟子はイエスの母を自分の家に引き取った。


この後、イエスは、すべてのことが今や成し遂げられたのを知り、言われた。

             「渇く。」


    そこには、酸いぶどう酒を満たした器が置いてあった。
人々は、このぶどう酒をいっぱい含ませた海綿をヒソプに付け、イエスの口もとに差し出した。
      イエスは、このぶどう酒を受けると、言われた。


          「成し遂げられた。」

         そして、頭を垂れて息を引き取られた。


  そこで、兵士たちが来て、イエスのところに来てみると、
      既に死んでおられたので、その足は折らなかった。
   
しかし、兵士の一人が槍でイエスのわき腹を刺した。

       すると、すぐ血と水とが流れ出た。

 

    イエスが十字架につけられた所には園があり、
   そこには、だれもまだ葬られたことのない新しい墓があった。

 その日はユダヤ人の準備の日であり、この墓が近かったので、そこにイエスを納めた。』
                    ヨハネ福音書 18章1節ー19章42節

    
    新約は、旧約の預言を、すべて成就したのです。
     『神の儀』:『人類の救い』の実現でした。

ここで。

『司式司祭の説教』

                「単に、イエスは亡くなったのではないのです。
   私たちは、『イエスの死』の意味を、自覚しなければなりません。
  
   イエスは、『神の御計画=全人類を救うための死』、を選んだのです。
   私達は、何よりも、『イエスの死』、を伝えなければならないのです。
   キリスト者は、『イエスの死』を『本当の事』として、伝えるのです。

    『十字架』と共に、罪は完全に取り去られているのです。
   私たちは、イエスの赦しにより、失敗しても、やり直せるのです。
   私たちは、人間を愛して愛して下さる『神との関係』を、取り戻せるのです。
    イエスは、誰をの死を望まず、皆の『回心』を望んでおられるのです。

    『十字架上での磔刑』を、もう一度、味わい直してみましょう。」
                     
                   以上。司式司祭様の説教の一部でした

 

          第二部  『十字架の礼拝』

  
        
十字架の顕示と礼拝が行われました。

 

≪十字架の顕示≫

  『見よ、キリストの十字架、世の救い』 『ともにあがめよう』
       
        歌の後、全員で、沈黙の祈り。

 ≪十字架の礼拝≫
  司祭、奉仕者、会衆の順に、十字架の前に進み、深い礼をして崇敬を表しました。


           『十字架の賛歌』   
   『見よ、この木によって あまねく世界に喜びが来た。』
 『気高い十字架の木 すべてに勝る尊い木  尊い体を担った木』

 

そして。
最後。

         第三部 『交わりの儀』


   聖体拝領となりました。
 
                 
聖金曜日の聖体拝領。涙でした。


『拝領祈願』

『全能永遠の神よ、
あなたは御子キリストの尊い死と復活によって、わたしたちをあがなってくださいました。
     この過ぎ越しの神秘にあずかるわたしたちが、
  いつも心を尽くしてあなたに仕えることが出来ますように。』

 
       閉祭の歌もなく、沈黙のうちに・・・
     聖金曜日の『主の受難』の典礼は終わりました。


          以上。『聖金曜日・主の受難』の典礼のご一緒していただき有難うございました。

 皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
新緑が萌出る時期となりました。美しい季節が喜びの時期となりますように! お元気で!

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