マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

年次総会とカテキズム・クラス・・・『夫婦の自立』 そして 『彼はそこをたち、父親のもとに行った。』

2019-03-23 19:00:00 | 待降節。クリスマス。降誕節。四旬節。復活節。

3月23日。土曜日。 春めいていた気候が、一気に13度ほども下がり、冬に逆戻り。

    春到来を喜んだ・・・   『春の花々』
    
       『桃。かすみそう。そして チューリップ』
         寒さの再来に縮み込んだ。 私も・・・。

私たち夫婦の一日。
今日の午後。夫はスポーツクラブの今年度最後の『年次総会』 & 私は毎週土曜日の『カテキズム講座』。
  年を重ね…日常は、互いを尊重し、互いの好みに生きる午後…夫婦自立です。
     そして。
夕方6時。 夫婦共に、『夕食』 & 互いの『一日の分かち合い』。  
  年を重ね…食事は、互いを尊重し、自由に使える時間を融通して…夫婦一緒です。 


      今日も穏やかな一日の熟年夫婦でした。感謝!感謝!


そして。

今日は3月23日。 四旬節第二土曜日。

  今日は、有名な『放蕩息子の帰還』の『たとえ』です。

 

『今日の福音 神の御心

『イエスは次のたとえを話された。

        「ある人に息子が二人いた。
弟の方が父親に、、『お父さん、わたしが頂くことになっている財産の分け前をください』と言った。

それで、父親は財産を二人に分けてやった。何日もたたないうちに、

     下の息子は全部を金に換えて、遠い国に旅立ち、

   そこで放蕩の限りを尽くして、財産を無駄遣いしてしまった。
  
何もかも使い果たしたとき、その地方にひどい飢饉が起こって、彼は食べるにも困り始めた。

    そこで、彼は我に返って言った。
 
『父のところでは、
あんなに大勢の雇い人に、有り余るほどパンがあるのに、わたしはここで飢え死にしそうだ。
    
ここをたち、父のところに行って言おう。

「お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。
   
もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください」と。』

    
    そして、彼はそこをたち、父親のもとに行った。

       ところが、まだ遠く離れていたのに、
 
   父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した。

         父親は僕たちに言った。
  『急いでいちばん良い服を持って来て、
   この子に着せ、手に指輪をはめてやり、足に履物を履かせなさい。
 
    そ
れから、肥えた子牛を連れて来て屠りなさい。食べて祝おう。
 この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったからだ。」

            そして、祝宴を始めた。』
                  ルカ福音書 15章11-32節


     人は、待ってくれる人がいるから、その人の元に帰るのです。
   私たち・人類全員は、御父・神の元から離れて、『放蕩息子』なのです。
    帰りを待ってくれる御父・神がいるから、御父の元に帰るのです。

 

  今日のイエスの『たとえ』は、こういうことです。
息子は『人類・人間』。父親は『御父・神』。父の家は『神の国』。宴会は『天国』。です。

 

人祖アダムとイブは・・・
神が与えてくださった『自由』を使って、『神の家・エデンの園・天国』を飛び出し、地上に移り住みました。

ある人の息子は・・・
父親が与えた『財産』を持って、『大勢の雇い人のいる父親の家』を飛び出し、遠い国に旅立ちました。

 
  人は、成長したとき、故郷の幸せな生活を思い出し、『故郷』を思うようになるのです。
     人は、大人になって初めて、『父親の深い愛』を知るようになるのです。
私たち・人類全員は、『キリストの磔刑』によって、神が『人類の帰還』を待っておられるのを知りました。

  
     正に。 ふるさとは遠きにありて思ふもの ですね。

    

   アダムとイブも・・・ある人の息子も・・・人類全員が・・・
       我が身のわがままを改心して、
両手を広げて待っていてくれる『御父・神の愛』を信じて、『神の国』に帰還いたしましょう。

 

皆様!
ご訪問に感謝申し上げます。
それぞれの仕事を終えて家に帰り、愛に包まれて一日を終える。素敵なことですよね。 お元気で!

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