マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

G7外相会議・・・『流沙浄土変』前で記帳。 そして 『聖スタニスラオ司教殉教者 記念日』

2016-04-11 20:49:53 | 日々のこと。 世界のこと。

4月10日。広島市で、『主要国7か国(G7)外相会合』 開催。
4月11日。核軍縮・不拡散問題討議後、広島市の『平和公園と原爆資料館』 訪問。

原爆資料館訪問後。     全員で・・・『芳名帳にコメント記帳と署名』

記帳の机の後ろに掛けられていたのは・・・ 『流沙浄土変』      1976年(昭和51年)平山郁夫作品
        私の、平山の生地・広島の『平山郁夫美術館』での、『平山郁夫文化勲章記念・広島展』の訪問は、1999年8月でした。

『流沙浄土変』とは。
「西域の砂漠を古代から、中世にかけて東西文化が往来した。
人や文物や宗教などの文化も長い時間をかけて、西から東へと伝来された。
    『キャラバンの上空に微かに雲間に見える三尊仏』 は、
仏教伝来や人々の旅行の安全を祈るように象徴的に描きました。」 『平山郁夫の言葉』より。

アメリカのケリー国務長官の『記帳』。
世界中の人々がこの資料館を見て、その力を感じるべきだ。
ありのままで、厳しく、そして人を引き付ける展示は、私たちに核兵器の脅威を終わらせる義務があるだけでなく、戦争そのものを避けるために全力を挙げなければならないことを思い起こさせる。
戦争は最後の手段であり、決して最初の選択肢であってはならない。
この資料館は、世界中の人々が切望する平和な未来を築くため、そしてこの世界を変えるため、もっと努力するよう訴えかけている。」

『G7外相会議』の成果を、とても興味深く、見守っていた私です。
今夜のNHKニュースを、一語落とさず、聞き取っていた私です。

 NHKニュースの画面は・・・
      サインする『外相達の姿』 と 背景は『流沙浄土変』でした。
   
       『文化勲章受賞記念 平山郁夫展』       展覧会で購入した『本』。
                                         美しい『流沙浄土変』は『本』から


『流沙浄土変』

平山郁夫を心より尊敬する私としては・・・・
ケリー国務長官の記帳内容』 
 『流沙浄土変』 のコラボに感動しました。
平山郁夫の『三尊仏の祈り』が通じたような・・・あるべき『最高のコラボ』でした! 感謝!感謝!

ついでに。

私は、平山郁夫の『絵』が大好きです。

で・・・
 私。 『新版 平山郁夫 私のスケッチ技法』・・・を模写しています。
 
                       『東大寺・多門天像』
   
     いかがでしょうか?

         『人物でしたら、
         やはり顔の真ん中の目や鼻から描いていきますね。』
       
                     『平山郁夫 スケッチの実際ーどこから描くか』 
より。

          今日、私は『世界の平和』を心より祈りました。


そして。

今日は4月11日。       『聖スタニスラオ司教殉教者 記念日』

 聖スタニスラオ司教(1036年ー1079年)                        美しいポーランドの街

1036年(980年前) ポーランド・シチェパヌフで誕生。
両親は子どもに恵まれず、祈りながら待ち続けて、30年後にやっとスタニスラオを授かる。
両親は、感謝の心から、スタニスラオを聖職者として神にささげることを決め、
信仰の面でも愛の行いの面でも立派になるようにと、彼を厳しくしつけました。


学業時代 学業の面でも信仰の面でも、親の期待に応え、学問を修める。

1072年(36歳)  クラクフの司教となる。
貧しい人を助け、毎年のように司祭を訪問し、よい牧者として教会を治めた。
1079年(43歳) 国王ボレスラフ二世の不品行を戒めたことから、王の反感をかい、
           ミサをささげているところを、王の部下によって殺害された。殉教。

       『今日の奉納祈願』
『全能の神よ、聖スタニスラオが、あなたの愛に支えられてすべての苦しみに打ち勝ったように、
わたしたちの心にも愛の火を燃え上がらせてください。』

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
1079年に聖スタニスラオ司教殉教。1999年に平山邦夫文化勲章受賞。そして 2016年のG7
それぞれの生き方で・・・世界に平和を導きます。 私達も頑張りましょう!