マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

『聖書通読』

2008-09-12 14:00:00 | 父の日。母の日。結婚記念日。
         聖書通読クラス、始まる。

メンバー13人がそれぞれの夏休みを過ごし、2ヶ月ぶりに、聖書通読のために集いました。

神を信じ信仰の世界にいる者と、神を知ろうとしている者とが、半々のクラスです。
それぞれが自分の思いで聖書を読み、全員が読んだ感想を発表する。

今日は、「レビ記1章~16章」を読んでの感想です。
同じ箇所を読んでも、一人一人の感想は全く違うのには、今日も驚かされる。
同じ箇所を読んでも、一人一人の琴線に触れる所は、人それぞれと、今日も知る。

聖書通読8回目にもなっても、聖書通読に最高の喜びを感じる私の、聖書通読の喜びとはどこにあるのかと、考えてみました。

毎週集い、気心が知れた仲間になり、悲しみも喜びも分かち合える場所が持てるのは、大きな魅力です。  励まし合い、喜び合えるのは嬉しいことです。
その毎週の集いで、自分の心の思いを全部出して話せる魅力も大きい。

8回の通読の度に、聖書の読み方が、大きく違います。
今回の私の聖書通読で感じていることは、パウロがヘブライ人に宛てた手紙に書いた思いと同じです。
『神の言葉は生きており、力を発揮し、どんな両刃の剣よりも鋭く、精神と霊、関節と骨髄とを切り離すほどに刺し通して、心の思いや考えを見分けることが出来る。』と言うように、
私も聖書を読むと、自分の思いや考えが、否応なしにあらわにされるのです。
あらわにされた思いや考えの、貧しさに、恥じ入る毎週です。
しかし私の心は、「神の許し」を信じる者が与えられる「平安」で、充たされる毎週でもあります。

毎週、神の言葉によって、あらわにされる「恥」入る私の思いや考えが、
同じ神の言葉によって、「平安」に取って代わり、完全な『自由』の再体験で心の解放を味わう・・・
      今の私の聖書通読の最高の喜びです。