れきしどころ真理庵

江戸時代の江戸を中心に、医学史・蘭学史を調べています。日々の暮らしを歴史からみた写真日記。

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続「赤い靴の少女」きみちゃんの人生

2006-10-31 07:40:37 | 歴史散策

9月22日にきみちゃんについて書かせて頂きましたが、
その後、きみちゃんにまつわることを
U氏より新聞記事2箇所からお知らせ頂きましたので、
再び書かせて頂きます。
「北海道新聞」9月20日号と、「東奥日報」9月21日号です。

http://jin3.jp/kimi/hokkaidou060920.htm

「北海道新聞」の「赤い靴の物語上」には、
9月22日のブログに書きました菊池寛先生と、
麻布十番商店主の山本仁寿さんのお話が載っていました。

菊池寛先生とは、ある「歴史散歩」できみちゃんのことを取り上げ、
その時ご本の引用許可を得るためコンタクトを取って以来、
1年のお付き合いになります。
ですので、多少は存じ上げていましたが、
この北海道新聞の記事で、菊池先生のお母様のことを知り、驚きました。
先生が5年間きみちゃん母子を追った原動力になったもの、それは亡母の思い出。

菊池先生のお母様は菊池先生が10歳の時に亡くなられました。
「赤い靴」を歌ってあやしてくれた背中を鮮明に覚えているそうです。
「体の弱い母は、子どもの行く末を見守ることができないことを知っていたのでは。
そして、自分がいなくても、
この歌のようにだれかが新しい世界に連れて行ってくれるという希望を
私に伝えたかったのではないか」(「」内新聞記事引用)
と、北星学園大学教授となられた今思っていらっしゃるとのことでした。
(実は北星学園大はミッション系なので、
牧師夫婦に引きとられたきみちゃんに影響を受けてのことかと
以前菊池先生にお尋ねしましたが、「偶然です」とお返事頂きました。
でも、私には偶然には思えなかった…)

また、麻布十番できみちゃん像のお世話をしている山本仁寿さんも
45歳でお子さんを授かったとこの記事で初めて知りました。
(山本さんにも「歴史散歩」企画のときにお世話になっています)

身近にいながら知らないことばかりだったと反省した次第です。

              *

「東奥日報」の方は、きみちゃんの義父鈴木志郎の出身地青森県鰺ヶ沢町では
童謡ゆかりの地として記念像を建てる計画が上がっているそうです。

http://www.toonippo.co.jp/news_too/nto2006/20060921090410.asp

きみちゃんに関する動きをいろいろな媒体からお知らせ下さったUさん、
有難うございました♪

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『種まく子供たち』とIさん

2006-10-30 22:44:52 | 真理庵文庫・その他

先程メールチェックをしていたら、Iさんからのメールが来ていました。
久ぶりのメールは、定年退職のお知らせでした。。。
Iさんの記者生活は33年7ヶ月3日(11月3日で)だそうです。
Iさん、お疲れ様!!!
でも、私の中では、Iさんが現役を退くっていうイメージは全くありません。
だから小休止したら、また、スタートだよ!!!

Iさんとの出会いは、東京・生と死を考える会でした。
たまたまワークショップで同じ班になり、お声をかけて頂きました。
新聞記者とお聞きしましたが、
あまり脂っぽい感じや世慣れた感じは受けませんでした。
(勝手な固定観念はテレビドラマの見過ぎでしょうか?!)
人生の先輩ながら、純朴で、生真面目な印象を持ちました。
ですから、ずっとあしなが育英会の取材を続けていらっしゃるとお聞きして、
納得がいきました。
【人情家】というのが、私のIさんの印象です。

『種まく子供たち-小児ガンを体験した七人の物語-』には
Iさんが最初新聞記事として書いた文章が転載されています

この本は七色の種に七人を見立てて、書かれています。
Iさんの関わったのは「ひまわりいろの種-清水真帆さんのこと」です。
清水真帆さんはお茶大に在学中に急性骨髄性白血病を発病し、
23歳の若さで亡くなりました。
モダンバレー大好きの活発な美人さんは、
骨髄バンクのポスターにもなったので、
ご存じの方も多いと思います。

病気したおかげで、
人はずっと
生きてるわけじゃないっていうことに
気がついたっていうか。
それだったら、やっぱり、
それまで
どれくらいハッピーでいられるかが
勝負だろうなっていう気が、
今はする

(1994年10月。雑誌インタビューで)佐藤律子編『種まく子供たち』ポプラ社
p74より引用

ここ半月、連日のように中学生のイジメ自殺のニュースが報道されています。
あまりに平凡な表現だけど、「大切な命なんだよ!!!」って、声を大にして言いたいです!

Iさん、こんなご時世だから、あなた様の出番はまだまだ沢山あります。
ですから、引退はしないでくださいね!
(まあ、そのおつもりはないでしょうが…)

 

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1日だけの京都行

2006-10-29 14:19:24 | 歴史散策

26日東京から夜行バスに乗って、27日夜行バスで京都を発ち、
昨朝東京に戻ってきました。

その計画を人に伝えると、
「まるで学生みたい(に強行スケジュール)だ!
(年齢を考えて)
悪いことは言わないから、新幹線にしなさい」
と、諭されてしまいました!
確かにそうですよね~。。。
でも、あちらに着いたら息子のアパートに直行。そこで睡眠不足を解消!と
勝手に計画していたので、強行してしまいました。
で、実際朝7時前に息子の処について、
息子をケータイで起こして部屋に入れてもらいましたが、
いざ寝ようと思っても、
いろいろと息子と話が弾んで、寝られなくなってしまいました。
で、近所のスタバで、朝食を取りながらまたまた喋る。。。
地元のゆる音屋さんという和風スパゲッティ屋さんで昼食をとって
今日の目的である京大付属図書館富士川文庫に行こうとしたら、
(息子は他大学ですが)演劇仲間がいるので京大はよく知っているからと、
京大まで案内してくれました!
何かひどく過保護な京都行きでした。。。

で、肝心の富士川文庫ですが、事前に予約を入れてありましたので、
資料はちゃんと用意されており、久しぶりに古文書に触れる快感を味わいました。

正直なところ、ここのところ歴史関係は行き詰まりを感じていました。
で、原点に戻る意味で
坪井信道の関係文書を読んでみようと思ったのです。
今回読んだのは写本です。坪井の訳したものを書き写し、
和綴じ本にしたものを読みましたが、
几帳面すぎるくらい几帳面に書かれた文字を目で追うと、
これを書いた人が百数十年前の人達とはとても思えませんでした!
実はマイクロフィルム化して全ページコピーしてもらう(有料)サービスもあります。
が、今回そうしませんでした。
本と語りたかった。。。そういう意味においては至福の時間を過ごせました!

で、京都から帰って、ブログを開いて、驚いた!!!
前回の「川本幸民」の記事に北康利氏より、コメントが入っていたのです♪
ブログを始めて一ヶ月、初めてのコメントはビッグネームからでした!!!
嬉しかった♪

挫折しかかっていただけに、【歴史の女神様(?)】はいるのだと、
元気をもらった気がしました。
北さん、有難うございました!

写真はランチしたゆる音屋さんの中庭。


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司亮一著 『川本幸民』

2006-10-25 23:46:23 | 真理庵文庫・歴史&医学

先程までNHK「その時歴史が動いた」で、白洲次郎を取り上げていました。
白洲人気は根強いなと感じるのは
奥様の正子にしても次郎にしても亡くなっても
人気の衰えないところでしょう。
まして白洲次郎は現代人からみても「イケメン」ですし…。

今回ゲストとして、『白洲次郎-占領を背負った男』の著者、
北康利氏が来ていました。
彼は現在銀行系証券会社で部長をなさっているとのことで、
またまた経済畑の人を取り上げる羽目になってしまいました!
ですが、彼にはもう一つの顔-兵庫県三田藩の郷土史家としての-があります。
私が北氏に興味があるのは、郷土史家としての彼です。
ですから、「白洲次郎」に関してはまた、別の時に述べさせて頂きます。

今日は司亮一の『川本幸民』について述べます。
え!?北氏について述べてたはずなのに、いきなり司って誰!?
司亮一は北氏のペンネームで、司は尊敬する司馬遼太郎からとったそうな。
ですが、この人の場合、本名の方がカッコよくみえますよね。
本名で書いた『白洲次郎』が山本七平賞を受賞したのは
内容が素晴らしかったからでしょうが、
北康利という名前の雰囲気もヒットに一因しているように感じました。

で、『川本幸民』について。
多分一般の人で川本幸民を知っている人は少ないでしょう。
ですが、私にとっては、川本幸民は、
自分なりにまとめてみたかった人物の一人です。
数年前ですが、私は彼を調べるため、
上野の日本学士院に1年以上も通いました。
で、江東区の「ふるさと歴史論文」に応募し、
洋学史研究会では発表したものの、
出版の形で日の目を見ることはありませんでした。
ですから、北氏が『川本幸民』を出版したのを知ったとき、
「ああ、先を越された!!!」って、正直なところ悔しかった。
で、読んでみてなおさら悔しかった!
きちんとまとめられていたからです。
それ以前にも柳田昭氏が『黒船何するものぞ』という
川本幸民の小説を書いていますが、
こちらは、お話しとしては面白かったものの、
そんなにきちんと調べている印象はありませんでした。
ですから、私なりの川本幸民を書く余地はあると思いましたが、
北氏の本を読んだときは「次に書いたら二番煎じになってしまう!」と、
世に出すことが遅れたことを悔やみました。

「あとがき」で北氏が書かれていますが、
氏が郷土史を始めた切っ掛けは、お父様がずっと郷土史をなさっており、
その遺志を継ぐ形で北氏が三田の英雄達の伝記を書き始めたとのことです。
『川本幸民』の前に『男爵九鬼隆一』を書かれており、
本業がファイナンスとは思えない、優れた文章力です。

で、私は歯ぎしりしながら『川本幸民』を読んだわけですが、
この調子だとまだ読んではいませんが、『白洲次郎』も秀作でしょう。

読んでみたいようなみたくないような…
複雑な気持ちで、手元の本をみています

写真はベランダの花。

 

 

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縁というもの

2006-10-23 15:47:47 | 日常茶飯事記

一昨日のことですが、書斎の読書ノートをまとめておいてある処に
何となく目がいってしまい何冊かノートをパラパラとめくりました。
と、7月6日と日付の入った頁に
本の著者と題名を見つけ唖然としました!
藤田憲一著『トコトンやさしいCRMの本』

そうです!昨年7月に私は既に藤田憲一氏の本を読み
ノートにまとめていたということです。

悲しいかな、この頃は新しいことが入りにくくなっていたせいで、
著者名にこだわれなかったことと、

【トコトンやさしい】と銘打ってあった割りには
私には易しくなくて、6頁にわたって書かれたメモを読み返しながら、
経済用語の入り口で四苦八苦した1年前のことを遠い昔のように感じました。

今回タイトルに「縁」と入れたのは、改めて藤田憲一氏とは
(広い意味で)ご縁があったなとノート見ながら感じたからです。
6月来彼のブログに行くことが多かったのですが、
7月2日のブログを見たとき、唖然としました!
(今日は唖然とすることが多いです)
6月28日に私は東京ビックサイトのCRMエキスポ展に行っていましたが、
藤田氏も夕方からのレセプションのため会場にいらしたとのこと。
時間を考えると、行き違えにはなっていましたが、
同じ場所にいたことは間違いありません。

どんな分野もそうでしょうが、専門家の数は限られているわけで、
たまたま特殊な分野だったからそうなったと言えばそれまでのことかもしれません。
ですが、「袖振り合うも他生の縁」というレベルで考えれば、
これはかなりな高確率の「縁」じゃないでしょうか?

大学時代の専門は心理学。
その後も経済学とは無関係に過ごしてきました。
昨年あたりから経済関係の本を読み出そうという気になったのは
ベンチャー起業した知り合いのことが気になったからです。
畑違いの処からいきなり企業を興したことで四苦八苦しているのを見、
ちょっとはお手伝いできないものかと思ったからでした。
3年前からアカデミーヒルズのライブラリー会員になったのも、
自分が一般企業へ再就職を望んでいたからではなく、
やっぱり、その知人のことがありました。

社会人になって最初の勤め先は自動車会社の宣伝部でした。
ですからマーケティングが、全く無関係と言うことはありませんでしたが
バブル以前の旧来のマーケットの時代ですから、
重きの置き方は今とは全く違ったものでした。
バブルがはじけ「失われた10年」を経て、今はどうなの?
素朴な疑問からはじまったことです。

幸い私のめちゃくちゃな専門書探しを見かねてか、
CCQタロー氏がご自身のブログの読書欄を紹介してくださり、
その後はそれを頼りに100冊ほど読みました。
で、多少は用語に慣れたかなとは思いますが、
授業で教わったわけではないので、
本当のところはよく分かっていません。

子供を出産するにあたって、自分で納得のいくようにしたいと思いました。
で、いろいろな経緯を経て、愛育病院に行き着いたわけですが、
同様に、経済を知りたいという素朴な願いをしたら、
いろいろな出会いが現在まで続いています。

「他生の縁」は今後もいろいろなところで、いろいろな人と起こるのでしょう。
そう思うと何となく楽しみです。

 

写真は先週近所を散歩していて拾ったドングリ。



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ライブラリートーク

2006-10-22 23:50:14 | 日常茶飯事記
先週19日に六本木ヒルズ49階の
グレートブックスライブラリーで、
ライブラリートークが行われました。
今回の題名は
「いまさら聞けない!
株式市場、M&A関連ニュース
を振り返るやわらか本音トーク」
でした。
ファシリテーターは保田隆明氏と田中慎一氏。

で、経済関係門外漢の私ですが、
ファシリテーターのお二人の
息がピッタリのトークセッションで、
バブル崩壊後の経済の動きの一端を
垣間見ることができ、楽しかったです。

で、私も一つ質問させて頂きました。
何かというと、経済動向ではなく
田中慎一氏へ「責任の取り方」についてです。
田中氏は『ライブドア監査人の告白
-私はなぜ粉飾を止められなかったのか-』という
ライブドア事件に関わった人間としての思いと、
実際その時自身に起こった出来事を綴った
ドキュメンタリーの著者です。
社会的反響の大きな本ですが、
私も事前に読みました。
彼は港陽監査法人の解散を余儀なくされた上で、
公認会計士の資格を自ら返上してしまいます。
ある意味潔いのですが、
30代半ばの若い世代の人にしては
余りに古風というか日本的「責任の取り方」に思えて
そのことを直接ご当人にお聞きしたわけです。
ですが、私の言葉足らずで、
今一歩納得いくお返事が頂けず
仕方なく彼のブログにメールして
もう一度お訊きしました。
「ご自分の責任を感じすぎていらっしゃるように、感じました。
公認会計士を返上なさることはないのにと思いました。
私が大学(医学部)で働いていたとき、
世間では色々な医療ミス等
医者が起こした事件がありましたが、
医師会から処分されたのではなくて
自ら医師免許を返上した話はきいたことがありません」と。

それに対して、すぐに田中氏から
丁寧なお返事を頂きました。
「考えた末のことです」と。

私はライブラリートークの2時間近く以外、
田中氏に関しては、著書を読んだだけの
知識しかありません。
しかしトーク・ご本・メールを通じて感じた
彼のお人柄は凄く真摯な人だということです。
自分より10歳以上も若い「団塊ジュニア」と
呼ばれる世代にこんな逸材がいるのだと、
改めて思いました。
そういえば藤田憲一氏も同世代。
この年代もなかなかいいなとの思いを新たにしました。

写真は六本木ヒルズけやき坂通りにある【マップ】です。



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藤田憲一さん、ありがとう

2006-10-17 23:50:19 | 日常茶飯事記
先程、「銀座ではたらく社長のblog」に行ったところ、
2006-10-17 15:25:31に

「ご挨拶 藤田憲一様のお父様 藤田郁夫様より

長男藤田憲一儀かねて療養中のところ、
10月12日(木)午後2時22分
胃がんのため永眠いたしました。」

という記事が載っていました。
http://ameblo.jp/fujita1/entry-10018470717.html#cbox

今月4日のブログに
藤田さんのことを書きました。
藤田さんならもう一がんばりくらいできると
思っていました。
残念ながら今回は踏ん張りきれなかったようです。

でも、立派だったよ、余命3ヶ月といわれながら、
それより半年も長生きしたんだから。。。

偶然息子の電話で藤田さんのことを知ったわけですが、
あなたの駆け抜けた人生を、
その36年間を思うと、
悲しいより、目を見張ってしまいます。
何事からも逃げない、
真正面から問題と向かい合う
あなたの生き方に私は敬意を表します。

あなたが最期を過ごした病院は
このマンションから目と鼻の先の位置。

(お亡くなりになった日時を知って)
あなたがお亡くなりになる直前、
私は職場健康診断の2次検診で採血をし、
気分が悪くなって、
職場の保健室のベッドで横になっていました。
結構長く生きてきたけど、初めての出来事でした。

きっとこれも藤田さん流のパンチの効いた
お別れのご挨拶だったのかもね。

合掌



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パウロ・コエーリョ著 『アルケミスト』

2006-10-16 00:29:13 | 真理庵文庫・その他
昨日の午後、ららぽーと豊洲のイベント広場で
アルケミストのコンサートを聴きました。
ららぽーと豊洲は今月オープンしたばかりですが、
先日近所なのでウインドーショッピングに行ったところ
イベントの欄にアルケミストの名前を見つけました。

パウロ・コエーリョのことを紹介して下さったのは
CCQタロー氏です。
Bookmarkに氏のブログがありますので、
クリックして行ってみて下さい。
『星の巡礼』を読んではまってしまい、
つい最近でた『11分間』『ザーヒル』まで読んでいます。
そのコエーリョの作品の中でも人気の高い作品の題名が
『アルケミスト』というのです。

ですから、日本のアルケミストが
ピアノ&ヴォーカル・デュオときいたとき
ちょっとひっかかってしまった。
その上に「パウロ・コエーリョが認めた」と入っていたので、
逆に警戒してしまったのです。
ですので、(ゴメンナサイ!)期待半分で行きました。
ですが、聴いてみて、考えが変わりました。
凄く言葉を大事にした詩作りをしています。
最近は使われなくなったが、【癒し系】というのか。。。
こんやしょうたろう氏(ヴォーカル)は
左手の肘から先がありません。
そのことで一時夢を諦めようとした。
それがある日ふと、
「僕は今、ここで、こうして生きている。
もうそれだけで、失敗なんてありえないと思ったんです」

http://www.voicerecords.net/alchemist/

こういう風にふっ切れるって、
実は結構大変なことだと思います。
『アルケミスト』の中にも
「夢を追求している時は、心は決して傷つかない。
それは、追求の一瞬一瞬が神との出会いであり、
永遠との出会いだからだ。」
という一文があります。

夢追い人のアルケミストの活躍を
期待したいなと、思いました。

そして、みんなのうた『笑顔』を思い出しました。
作詞作曲の永田雅紹氏は23歳で
ベーチェット病により失明しています。
DVDのパンフレットには
「どうか諦めずに一輪の花を探して下さい。
必ず見つかります。
どうかあなたに祝福がありますように」
とありました。
彼もまた夢追い人なのでしょう。


写真はららぽーと豊洲の運河の碇マーク。

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キティちゃんという白ネコ

2006-10-15 08:55:14 | 副庵主・白ネコ
実家にいた頃の話ですが、
いつの頃からか母は白ネコの小物を
集め出しました。
その頃丁度白ネコを飼っており、
本物のネコに触発されて小さな置物を
買ってくるようになったのかもしれません。
飾り棚の一角には
母のお手製の座布団にちょこんと座った
陶器のネコたちの置物がありました。
娘の私はそんな母を醒めた目で見ていました。
まさかそれから30年後同じように
自分が白ネコグッズを集め出すとは
思ってもいませんでしたから。。。

野ばらちゃんが偶然キティちゃんのプロデュースを始め
勢い私の周りにはロリータキティが増えだしました。

写真は昨日買ってきたキティ根付け。
生きたネコが飼えない
(どうしてもネコの方が短い寿命故先に死んでしまう)
ゆえにこれからも白ネコグッズは増えていくことと思います。
ですので、副庵主に昇格(?!)です!


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野ばらの薔薇

2006-10-14 21:03:43 | 日常茶飯事記
午前中のことですが、
西銀座デパート2階のサンリオショップまで
行ってきました。
野ばらちゃん(作家嶽本野ばら)がプロデュースした
「ロリータキティ」と「ゴスロリキティ」の
発表会に参加するための予約券をとるためです。
そこで新作のTシャツを買ってきたのですが、
買うとき少し躊躇いました。
だって、サンリオのTシャツ(普通3000円台)なのに
4800円もするから。
まあ、野ばらちゃんに対するご祝儀のつもりで買いました。
そこから家に引き返し、
買ったばかりのTシャツを着てみました。
驚いた!襟口と袖口にレースがついているのは
パッケージの外から見えましたが、
裾にもレースがついていて、
その上カットが綺麗で、体の線にあってました。
思った以上にお値打ちのTシャツと分かり、
これを着てトークショーの時間に
同じ西銀座デパートに、再び戻りました。

いつもは「アカデミック(???)」と称されている
このブログですが、
実は私は男性からは鼻白まれている「ロリータ」大好きさんの一人です!
でも、ご安心下さい。
年齢を考えて、ヒラヒラふりふりのロリータファッションはしていませんから。
この時もヴィヴィアン・ウエストウッドの黒の巻きスカートに
黒のTシャツ。黒のヴィヴィアンのハイヒールでした。
ですが、周囲は映画「下妻物語」で有名になったベイビーのロリータ少女
が沢山いました。
多分他の人からみたら随分異様な集団でしょう!
ですがこの集団、お行儀がいいことで有名なのです!
この日も100人以上の人が集まっていながら
それはそれは静かでした。

で、つつがなくトークショーは終わり、
これも恒例のように、いけてあった生花を頂いてきました。
野ばらちゃんの薔薇です。
前回は青紫(スプレーされたいた)でしたが、
今回は普通のオレンジ色の綺麗な薔薇です。
ジャムの空き瓶に活けて記念撮影しました。




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曼珠沙華

2006-10-13 23:45:52 | 日常茶飯事記
もう何年も前になると思いますが、
お誕生日に息子から
山口百恵の「ベストコレクション」のCDを
プレゼントされたことがあります。
息子の気遣いが嬉しかった!
でも、残念ながら私は百恵ちゃんのファンではありません。
息子は多分私が「良い日旅立ち」や「横須賀ストーリー」を
口ずさんでいたので、ファンだと誤解したのでしょう。
ですが、同時代を生きたという意味では、
百恵ちゃんのヒットソングは自分の青春時代を重ねて
思い出せる限られた歌手の一人でしょう。

このCDには、「曼珠沙華」も入っています。
この曲は凄くヒットしたというわけではありませんが、
なぜか心にのこる作品の一つです。
この歌を聴いているとどういう訳か
石川さゆりの「天城越え」を連想してしまいます。
赤の色と、女の業と。。。

そろそろ曼珠沙華の盛りは終わりですが
月島の民家の庭木の中に曼珠沙華を見つけたので、
写真を撮りました。
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ケータイに感謝!

2006-10-11 00:28:18 | 日常茶飯事記
先月末のことですが、
ケータイを新しくしました。
前のは3年近く使いましたので、
かなり古くなっていました。
でも、旧機に随分救われました。
初めてのカメラ付きケータイだったので、
凄く気軽にカメラ機能が使えることに感激しながら
町歩きをしては、道ばたの植物を撮って楽しみました。
私の歴史散歩を前の機種は大いに助けてくれました。
でも、画素数が低かった。。。
今度のは320万画素もあるので、凄く鮮明ですね~。
さっそくもらった「ムスメドコモだけ」を撮しました!

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『胎児からのメッセージ』

2006-10-09 12:06:32 | 真理庵文庫・歴史&医学
これが本の表紙です
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高橋悦二郎著『胎児からのメッセージ』

2006-10-09 11:57:09 | 真理庵文庫・歴史&医学
台風一過というのか、昨日今日と晴れ渡った秋の空で、
今日の東京は清々しいです。
今回の前線の通過で、各地に爪痕が残されているようです。
場所によっては、まだ復旧の最中でしょうが、
ご無事をお祈りします。

ところで、9月16日に「愛育病院の思い出」を
書かせて頂きましたが、
先日図書館で、思いがけない本に再会し、
懐かしかったです!

高橋悦二郎著『胎児からのメッセージ』二見書房

この本は1984年に初版が出ました。
その本のモデルの一人が息子でした。
当時高橋先生は愛育病院にお勤めで、
新生児室で息子を見つけて、
この本の(実験)モデルとして、
写真撮影なさったとのことでした。
(実は息子は最初に決めていたモデルが急にご機嫌斜めになったため
ピンチヒッターとして急に決まり、私への撮影許可は事後でした)

今回2004年9月出版のはそれの改訂新版で、
大判になり、本の装丁もピンク色を中心とした
新米ママに優しいイメージになっています。

愛育病院で出産することを決めたのは
出産間際の8ヶ月の時でした。
【新しい物好き】の私はマタニーティースイミングに
通っていました。
当時妊婦のスイミングには多くの医師が反対で、
私のそれまで通っていた病院の医師も
私がスイミングをしていると分かった途端、
態度を硬化させました。
で、困った末に、スイミング推進派の愛育病院に
泣きついたのです。
綱渡りの出産劇の末に
この「新生児モデル」の出来事があったわけで、
私にとっても、息子にとっても
思い出深い本でした。

ですが、最初の本は初版が出たのみでしたので、
長いことこの本のことは忘れていました。
久しぶりに図書館で再会し、
しかも今風の可愛い様子に変身していたので
とても嬉しかったです。

ちなみに息子の写真は
第1章、第2章、第3章、p121、第5章、
(それから多分?表紙)です

*写真は先日銀座松屋で行われた「イタリアンフェスタ」で
飲んだカプチーノ。またウサギさんです♪



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藤田憲一著『末期ガンになったIT社長からの手紙』

2006-10-04 13:59:00 | 真理庵文庫・歴史&医学
IT関係で藤田社長と言えば
『渋谷で働く社長の告白』を書いた藤田晋氏しか
思いつかなかった私ですが、
6月のこと、関西の大学に行っている息子から
「藤田さんが末期ガンだって!」
と電話で言われたとき、その場で彼のブログに行きました。
でも、彼はぴんぴんしてる。
しかし息子は「さっきTVに出てた」と言う。
何か変だと思いながら翌日、再び息子から
「あの藤田さん、藤田憲一って言うんだ」との
電話があり、やっと藤田憲一氏に行き着きました。

それからすぐに図書館から
『末期ガンになったIT社長からの手紙』を借り、
読みました。

私はこの十数年ターミナルケアやホスピスについて
関わってきました。
実はそういったグループにも属しています。
ですから、末期ガンの人の手記はかなりの数
読んできました。
で、これを読んだのですが、
新しいタイプの人が出たなと思いました。
日本人をみている気がしませんでした。
今まで読んできた手記は
「いかに死を受容するかの道程」を書いたものが
大半だったからです。
それに多くは末期ガンである時点で闘病生活に専念して
殆どの人が職場から退職しています。
最後の日々をいかに穏やかに過ごしているか
そのことに感謝しながら文章をまとめています。
藤田氏はどちらもやっていません。
「どこまでもガンと闘ってみせる」
「最後まで現役でいる」
彼は穏やかで静かな日々ではなく、
敢えて戦いの日々を選びました。
36歳の若い人らしい選択と思いました。

それから藤田氏の立ち上げた3つのブログに行っては
彼のガンとの戦いを秘かに応援してきました。
ところが7月22日を最後にアップが途絶えてしまいました。
気が気ではない思いでこの2ヶ月余りを過ごしました。

その内コメントの中に
「彼は講演会ができるくらい元気になった」との情報が入り、
一昨日彼のことをここに書こうと思って
書店で第3刷になったこの本を購入しました。

で、昨晩、再びニュース23で藤田氏の近況を知ることができました。
その後ブログに行ったのですが、
そこで、ブログの再開を知りました。

本を買おうと思ったのは、「虫の知らせ」だったのでしょうか?
いずれにせよ、彼のことを知り、彼が一日でも長く生きるよう
祈った人々の気持ちが通じていることは確かでしょう。
私もその一人としてお祈りしたいと思います。

彼のブログ:銀座で働く社長のblog
http://ameblo.jp/fujita1/entry-10017848280.html#cbox

*写真は今年の東京湾大花火大会の華火
藤田氏も観ていたようでした。


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