れきしどころ真理庵

江戸時代の江戸を中心に、医学史・蘭学史を調べています。日々の暮らしを歴史からみた写真日記。

広告

※このエリアは、60日間投稿が無い場合に表示されます。記事を投稿すると、表示されなくなります。

「格差社会」に思うこと

2006-09-29 09:59:07 | 真理庵文庫・歴史&医学
ここのところ「格差社会」という言葉に関心を持っています。
今月中旬のことですが、
アカデミーヒルズのライブラリー会員の集まりで
「格差社会」のことを取り上げて、
ディスカッションをしました。
その時まず、「格差とは何か」ということから始まり、
○ 格差はなぜ起こるのか?
○ 我が国における「格差」の現状(所得格差)
○ 「格差」はいいことなのか、悪いことなのか?
○ 経済的豊かさと、心や生活の豊かさは関係するのか?
等々話し合いました。

昨年夏『希望格差社会』という本を読みましたが、
現状分析的な意味ではいい本でしたが、(経済中心で)
「こころの問題」には踏み込んでいませんでした。

今回海原純子氏の『こころの格差社会』を読みましたが、
題名から分かるように『希望格差社会』を踏まえた上での
こころの状態を「勝ち組」「負け組」と一般に言われている
両方のグループについて述べています。
その上で、「自分らしい人生」をどう生きるかのヒントを
提案しています。

海原純子氏は心療内科、特に女性のストレス・マネージメントを
専門にしてこられたので、
本の中にも具体例が多く、身につまされることも多かったです。

その中で、「ワベンジとアメリカンドリームが同居する社会」
というのがありましたが、これは、新しい見方だと思いました。
アフリカには「ワベンジ」(ベンツに乗ってる輩)と呼ばれる
一握りの金持ちがいるそうです。
アメリカでは、ベンツに乗った人を見たら
「努力してあそこまでいったのだろう」と憧れますが、
アフリカでは「ちぇ、コネを利用したんだろう」とやっかむということです。
日本は氏によれば努力しても報われることばかりではない、
「ワベンジとアメリカンドリームが同居」する社会だというのです。
江戸時代のように士農工商の身分差社会ではないものの、
「努力しても仕方ない」という無力感に囚われている人が多いのも
事実でしょう。

ですが、敢えて言わせて頂きますが、
士農工商の江戸時代にも、身分の壁を越えた人々はいました。
蘭方医でした。
農民出身の伊東玄朴は一代侍として藩医に、
後には奥医師にまでなっています。

「ガラスの天井」は確かにあるのかもしれません。
ですが、見えないのだから無いのと同じと考えることも、
(極端な言い方ですがですが)ありかと思っています。
海原氏も文章の最後を「なりたい自分を生かす」で
締めくくっています。

* 前回の写真は京都駅地下の「火の鳥像」。
* 今回の写真は2年前に近所で撮った秋の草。

コメント

『ブラック・ジャック』の置きどころ

2006-09-27 13:02:55 | 真理庵文庫・歴史&医学
昨日手塚治虫のことを取り上げましたが、
手塚の医学物といったら、『ブラック・ジャック』を
外すわけにはいきません。
この作品が連載されていた当時、
医学部受験を迷っていた私には、
とても思い出深い作品です。

「ウィキペディア」によると、
この作品が『週刊少年チャンピョン』に連載されたのは
1973年(昭和48年)からだそうです。
あの頃の手塚氏は倒産・借金問題を抱えていました。
そんな時期に「医は仁術」と言う発想からは遠く外れた、
「優秀な医師にはそれに見合った高額の報酬を」という
ブラック・ジャックのやり方は、
世間の非難を浴びたと記憶しています。

現在『ブラック・ジャック』は多くの医学図書館に
置かれているそうです。
若いお医者さんがブラック・ジャックに憧れて
医学部に入ってくる時代になりました。
30年前、「正当な高額の報酬」と言う発想は非難されましたが、
今ではそんなに非難されないのではないのでしょうか。
時代は変わったなと思います。

医学部のある大学の付属高にいた私は
結局、内部推薦の医学部受験をあきらめました。
経済的事情です。
もし、お金があったら医学部に行けたかと思うと、
当時ですら、ブラック・ジャックのやり方に
共感こそすれ、非難する気にはなれませんでした。

医学研究所に勤務したり、
医学史をやろうと思った背景に、
高校生の私の果たせなかった夢があることを
否定はしません。
だからこそ、現役のお医者さんには
いい仕事をして頂きたいと願って止みません。

コメント

みんなのうた『笑顔』

2006-09-26 01:16:01 | 日常茶飯事記
息子の好きなアニメーション作家に
新海誠さんがいます。
透明感あふれる映像でとくに空・雲・光が綺麗です。

先日NHKみんなのうたを観ていたら
ハムスターとお姉さんの可愛らしい、
新海誠っぽい映像が出てきたので
新海さんのサイトを検索してみました。

http://www2.odn.ne.jp/~ccs50140/works/egao/index.html

するとやっぱり!そうでした。
岩崎宏美の深く澄んだ声と画面がマッチしてました。
で、さっそく購入し今日はメイキングなども楽しみました。

私が一番好きなアニメーション作家(漫画家)は、
手塚治虫さんです。
子供の頃は『鉄腕アトム』に始まり、
一連の虫プロ作品を必死で観てました。
(ビデオがなかった時代ですから…)

ところで、歴史関係でも手塚治虫氏の作品にお世話になりました。
手塚の曾祖父の蘭方医・手塚良庵を描いた『陽だまりの樹』です。
初めて歴史論文を書いたとき、
参考文献の欄に秘かにこの本を加えておきましたが、
ある医学部教授がそれを見つけて、おおいにウケてました!

『陽だまりの樹』は芝居も観ており、
中井貴一が主人公手塚治虫を演じましたが、
宮沢りえもその時出ており、
若いのに凄く上手だったので驚きました!
彼女はその後外国の映画祭などで受賞したりして、
今では若手実力派の一人になりましたね。
「伊右衛門」のCMは短編映画のように美しいです。

写真は京都駅ビルの喫茶店のカプチーノです。
「うさぎ」を頼んだら、描いてくれました!
『ワンダースリー』を思い出したりして…




コメント

「赤い靴の少女」きみちゃんの人生

2006-09-22 01:03:49 | 日常茶飯事記
麻布十番のパティオ十番に
小さな女の子の像があります。
野口雨情『赤い靴』のモデルになった少女、
きみちゃんの像です。
1989年2月、商店主達によってこの像は建立されました。

『赤い靴』では、女の子は横浜から
外国に行くことになっていましたが、
実際は結核のため、行けずに
きみちゃんは明治44年9月15日
鳥居坂教会の孤児院で亡くなりました。
たった9年の短い人生でした。

ことことを調べたのは、
当時北海道テレビ勤務だった菊池寛氏です。
氏は5年の歳月をかけ、
女の子の生涯を追跡しました。
そして北海道から麻布(現在十番稲荷のあるところ)に
行き着いたのです。
このことをもとに氏は『赤い靴はいてた女の子』を
書きました。(1979年・現代評論社)

昨年あるところの「歴史散歩」で
きみちゃんを取り上げました。
菊池氏のご本を紹介・引用しようと
許諾のお願いをしましたところ
ご快諾頂きました。

氏もきみちゃんによって
様々な出会いをしたようですが、
私も思いがけない菊池氏との出会い、
そして山本仁寿氏との出会いがありました。

今年の4月、きみちゃんのチャリティーが
1000万円になったそうです。

http://jin3.jp/

一人のたった9年しか生きられなかった少女は、
孤児院で亡くなったとはいえ、
アメリカ人宣教師の養父母に愛情深く育てられました。
だから、人々に幸せを運んできてくれています。
私もそのおすそ分けにあずかった気がしました。

命日を過ぎてしまいましたが、
近いうち青山霊園の鳥居坂教会共同墓地に
お参りに行って来るつもりです。

写真はきみちゃん像。









コメント

O157

2006-09-19 02:56:14 | 日常茶飯事記
ニュースによると、米食品医薬品局(FDA)は15日までに、
病原性大腸菌O(オー)157の集団感染が
複数の州で発生したと発表したそうです。
袋入りのホウレンソウが原因とみられ、
ニューヨーク州を含む全米20州で感染が報告されて、
94人が食中毒になり、1人が死亡したとか。
早く流行が収まることをお祈りします。

このニュースを聞きながら、
96年大阪堺市の小学校の学校給食で、
O157の集団食中毒がおこったことを思い出していました。
あれからもう10年になるのですね。

あの時日本ではカイワレが悪人にされましたが、
今度はサラダ用のほうれん草とか。
いずれも生食がよくなかったのでしょう。

O157には思い出があります。
当時私は某大学の医学研究所に勤めていました。
研究室は細菌学系。
O157事件が起こるやいなや、
マスコミからの問い合わせが殺到しました。
それが収まると今度は、各地の研究所や保健所から、
実験用に菌株を分けて欲しいとの依頼が殺到しました。
スタッフ総出で菌株を送付したことを憶えています。

その少し前、今最高裁判決が話題になっている
オウム真理教の細菌兵器について
マスコミから問い合わせがありました。
Q熱リケッチャとかでした。
一部の人ではありましたが、
大阪の事件からオウムのことを勘ぐる向きもありましたっけ。

そこの研究室に勤務したことが切っ掛けで
私は医学史を始めたわけで、Q熱やO157を知ることで、
幕末のコレラや、種痘のことに興味を持ち始めました。

1996年7月、夏休み直前に起こった事件は、
結局半年近く尾を引きましたし
(流行そのものはすぐに収まりましたが)
翌年の細菌学会でもO157研究発表は白熱しました。
私は研究者ではありませんが、周辺にいた者として
感慨深い出来事でした。


画像は大好きな故大道寺富子さんの百合の絵です。
コメント

愛育病院の思い出

2006-09-16 21:50:06 | 日常茶飯事記
昨日でしたか、秋篠宮紀子様が悠仁様と
東京・南麻布の愛育病院を退院されたとの、
TVニュースを観ました。
私は22年前のことを懐かしく思い出していました。
私も息子を愛育病院で出産しました!
紀子様が入院なされて以来、ワイドショーなどでは、
愛育病院の病院食の美味しさについて放映していましたが、
食いしん坊(!)の筈の私にはその記憶が全くないのです!
出産予定日一週間前に急に産気づいたことや、
慌ただしい出産のことや、慣れない授乳に
大変だったことは思い出せても、
食事のメニューはちっとも思い出せません!
庶民の私はそれでも紀子様と同じように
退院しました。

前回の「がま池」は実は愛育病院から
ほど近いところにあります。
地番で言うと、港区元麻布2-10。
愛育病院が南麻布5-6-8です。
愛育病院に隣り合わせて有栖川宮公園がありますが、
公園内を歩くと、
あの地域がいかに鬱蒼としたところかは
よくお分かりになると思います。

写真は港区教育委員会の「がま池」案内板。
コメント

散歩の歩調で

2006-09-14 23:54:26 | 日常茶飯事記
このブログを始めようと思ったとき、
「散歩の歩調で」書き進められたらいいなと思いました。
ぶらぶら歩きながら、目に留まった事があったら立ち止まり、
道草を食いながら…と。
淡々として、それでいてほっこりとして、
静かで、密やかで…。

…と、願っていたはずなのに、実際始まってみると、
騒々しい事柄に出会ってばかりの日々だと気付きました!
昨日の【起業サギ】にしたって、何故私なの!?っていうくらい、
珍しいサギだろうし。
(幸い被害にあったわけではありませんが)
それともオレオレサギの次は【起業サギ】でしょうか?

で、もう一度我が身を振り返って、
さもありなんと思いました。
今まで何度となく歴史散策をしてきましたが、
街歩きなのに、
最期には小走りに走りだしている自分がいました!

よく「歴史(こと郷土史)をやっています」と言いますと、
「その若さでそんな年寄りじみたことは止めなさい」と、
年長の人からお説教をいただくことがあります。
始めたときは30代でしたからなおさらでした。
周囲は平均70代のリタイアした人たちばかり。
講習会では、よくスタッフと間違われました。

じゃあ、若い人で歴史をやっている人はいないかといえば、
そんなことはありません。
現に大学には歴史学科があるわけだし。
私の属しているある研究会は30代40代が中心です。
ですので、そこの会の新年会のゲストに驚かれます、
「へえ、お若い人が多いのですね!」と。

私が敢えてブログのタイトルに「歴史」を入れたのは、
世間の先入観をちょっとだけでもいいから
変えたかったからです。
ブログ人口増えて、
60代70代でのブロガーもいらっしゃるとは思います。
ですが、それでも中心はもっと若い世代でしょう。
果たして「歴史」と付けたことがプラスになるのか、
マイナスになるのか?
これだけ大きなブログ世界なら、私と同様30代40代の
歴史好きも、きっといらっしゃることと信じているのですが。。。


早く「散歩の歩調」で書けるようになればいいなと思っています。
アップのペースにしてもそうです。
週2~3回。変わることなくゆっくり長くが目標です。


今日の写真は「麻布七不思議」の「蝦蟇池の蝦蟇」です。





コメント

サギよりサギが好きです??

2006-09-13 10:48:08 | 日常茶飯事記
先日夕方6時頃有楽町駅の地下通路を歩いていたら、
30前後のかなり美人な女性から声をかけられました。
それより1ヶ月くらい前、
同じ場所で道を尋ねられたことがあり、
また同じパターンかと思い、応じてしまいました。
で、白いスーツの彼女曰く、
「今赤坂でハーブティのお店の起業準備をしてるんですが、
ビジネスパートナーを捜しているんです。
で、ご一緒にどうですか?」
私はまず、きょとんとしてしまいました。
頭が回らなかった。
地下鉄の連絡道でいきなり「起業」「ビジネスパートナー」と
言われてもね~。
慌てて頭を振って、「ゴメンナサイ!関心が無くって!」
と、彼女を振りきるように小走りに走り出してしまいました。
その時頭を過ぎったこと。
「これって、新手の詐欺!?」

実は勤め先は六本木。
六本木ヒルズまで歩いて15分程度で行けるので、
アカデミーヒルズの会員になって3年になります。
そこでは「起業」とか「ビジネスパートナー」って、
当たり前のように聞こえてきます。
丁度有楽町駅地下で出会った女性と同年代の人が、
実際起業してるわけで、
家への帰り道、いろいろな思いが過ぎりました。

8月の終わり『ヒルズ黙示録』と『トリックスター・
「村上ファンド」4444億円の闇』を読みましたが、
夏の終わりに魑魅魍魎を見た気がしました。

『トリックスター』の1章は「暗闇坂」ですが、
この坂、実際にあります、麻布十番のところに。
六本木ヒルズの周辺には「麻布七不思議」といって、
不可思議な現象や出来事が7つ以上伝えられています。
坂と谷の多い、木々の鬱蒼とした町なんです、元々は。
仮に化かされるのなら、狸穴の狸かなんかに化かされたい!
有楽町に出現した美人さんよりも。

堀江氏の裁判は今真っ最中ですが、
札束だと思ってかき集めたら、木の葉だったりしないよね!?
昔(江戸時代)のことが分かっていると、
皮肉の一つも言いたくなります。

私は詐欺より鷺が好きです。

*画像はケータイで撮った「六本木ヒルズのクモ」




コメント

「あれから5年」考

2006-09-12 09:18:49 | 日常茶飯事記
昨日ブログを立ち上げましたが、立ち上げてから困った!
「何で今日にしたんだろう!?」って。

昨日TVニュースをにぎわせていたのは、
「9/11 同時多発テロ」でした。
別に記念日にこだわる方ではありませんし、
むしろ「思い立ったが吉日」のほうです。
ですが、結果的には「よりによってこの日じゃなくても…」と、
アップしてから思いました。。。トホホ。

で、言い訳を含め、私の「5年前のあの日」を
書いてみることにしました。
実は5年前の夏休みの終わりに
このマンションに引っ越してきました。
23階という高層階の部屋に、高所恐怖症の私は、
暫く馴染めませんでした。
引っ越してから半月経たないであの出来事が起こったわけで、
窓の外に見えるレインボーブリッジの方向から旅客機が
こっちに向かって迫ってくる様を何度となく想像してしまいました。

30年前ニューヨークに行ったとき、
仲間は世界貿易センタービルに登りましたが、
私はその気が起こらず、「自由の女神像」を選びました。
ですが、あのビルがニューヨークのランドマークであるのは、
よく分かりました。
そのビルに飛行機が突っ込んでいく様子を
リアルタイムで観てしまったという、
あまりに21世紀的な絵柄に絶句するしかありませんでした。
すぐにあそこに入っている日系企業等情報収集しました。
幸い直接的知り合いは無事でしたが、
20数名の日本人が犠牲になりました。
同年代の企業戦士(今どきこういう言い方はしないでしょうが…)が
多く犠牲になったこと、それ以上に世界中の国の人が
何千人と議性になったことに、
ショックで呆然としたことを憶えています。
やっと我に返ってから、お祈りしました。

引っ越し直後にこういった大きな事件があったせいか、
その後のトラブルは皆小さく感じられ、
どうやら5年目に入りました。

この出来事は今の時点では「歴史」ではありません。
ですが、将来的には一つの分岐点に、
必ずやなっていくのだろうと思っています。




コメント

初めまして!

2006-09-11 19:04:13 | Weblog
初めまして!歴史処真理庵 庵主です。

庵主って、尼さんになったような気分ですが、
小さな庵を持つことが私の夢です。
歴史処ってつけたのは、どちらかと言えば、
和風喫茶みたいに気楽に寄って頂いて、
お団子やみつ豆を食べながら、歴史を語り合いたいと思ったからです。
深川・芭蕉庵のすぐ側に住んだことがあり、
その時何度となく芭蕉庵(芭蕉記念館)を訪れました。
それまで日本史には殆ど興味がなかった私が、
歴史散策を始めるようになったのは、
深川のもつ独特の雰囲気のせいかもしれません。
以来10余年、細々と続けております。

コメント